榊原信行

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榊原 信行(さかきばら のぶゆき、1963年11月18日 - )は、日本のイベントプロデューサー。元ドリームステージエンターテインメント (DSE) 代表取締役で、株式会社うぼん、株式会社沖縄ドリームファクトリー代表取締役。愛知県半田市出身。

来歴

1987年愛知大学を卒業し、東海テレビ放送の子会社でイベント事業を行う東海テレビ事業株式会社へ入社。東海テレビ事業では「美浜海遊祭」を立ち上げ、「K-1名古屋大会」、「UWFインターナショナル名古屋大会」などをプロデュ-ス・主催する。これがきっかけとなり、高田延彦と知り合い、ヒクソン・グレイシー戦の実現に奔走。1997年10月、格闘技イベントとしては初の東京ドームでの大会となる「PRIDE.1」開催に携わる。

2003年 DSEの代表取締役社長であった 森下直人 氏の自殺 [1]を受け、1月にはDSEの代表取締役に就任。「PRIDE GRANDPRIX」、「PRIDE男祭り」などのヒット興行と立て続けに放ち、PRIDEは“世界最高峰のリング”という評価を不動のものとする。しかしながら、大晦日の三つ巴興行で選手の引き抜きに関して反社会勢力に解決を依頼したことが引き金となり、  後に訴えられる。[2]

2004年には映像事業を行うドリームステージピクチャーズを設立し、社長を兼務。同社の映画製作にも、製作総指揮として直接関わり、カーリングを題材にした映画「シムソンズ」を手がける。また、この年、プロレスイベント「ハッスル」を立ち上げるも大きな損失を出し、後にブレインであった紙のプロレスを発行していた山口日昇氏へ譲渡する。 2006年反社会的勢力との付き合いを問題視され、フジテレビから格闘技イベントPRIDEの放映を打ち切られる。[3] 2006年10月、アメリカネバダ州ラスベガスで「PRIDE.32 "THE REAL DEAL"」を開催。日本の企業としては初主催となるラスベガスでの格闘技イベントを成功させた。

2007年3月27日、UFCを主催するズッファ社のオーナーであるロレンゾ・フェティータにPRIDEの営業権を移管。

2007年12月19日には、当時サッカーの日本フットボールリーグ(JFL)に所属の沖縄のプロサッカークラブ、「FC琉球」の運営に、榊原が新たに設立した株式会社沖縄ドリームファクトリーを通じて参画することとなった。また、榊原のサッカーや沖縄に対する理念を元サッカー日本代表監督のフィリップ・トルシエが理解・共感し、FC琉球の総監督への就任と同時にマネージメントを行うことを発表。2008年より共にJリーグを目指すこととなった[4]。2009年12月、営業権が株式会社沖縄ドリームファクトリーに移管、球団代表に就任。

2014年シーズンからのJ3リーグ設立に伴い、2013年9月1日、FC琉球の運営を株式会社沖縄ドリームファクトリーから、サッカー事業に特化した琉球フットボールクラブ株式会社に移管させ、球団代表を退く。その後、2013年9月17日、FC琉球が悲願のJリーグ準加盟承認。沖縄初のJリーグクラブ創設の礎を築いた。

また、現在は株式会社うぼんにてGACKT早乙女太一といったアーティストのコンサート、舞台のイベント企画やテレビ番組の企画等に携わり、プロデューサーとしての手腕を発揮している。

脚注

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関連項目

外部リンク

  • 「PRIDE 森下社長自殺の波紋」http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/2672/battlefolder/battle-bn/battle43.htm
  • ミロ・ミヤトビッチ氏の証言 http://www.theaustralian.com.au/news/fight-club/story-e6frg6n6-1226532019774?nk=eb008337e2d7af915f15559a65fddebd
  • [PRIDE] 榊原代表、週刊現代報道を改めて否定。フジTVを擁護 http://www.boutreview.com/data/news05/060605pride-fujitv.html
  • 那覇経済新聞 FC琉球にトルシエ総監督-総合格闘プロデュース・榊原信行さんも協力 2007年12月20日