森重文

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フィールズ賞受賞者
受賞年: 1990年
受賞理由:「三次元代数多様体の極小モデルの存在証明」。

森 重文(もり しげふみ、1951年2月23日 - )は日本の数学者京都大学教授。京都大学数理解析研究所元所長。専門は代数幾何学における双有理幾何学理学博士(京都大学、1978年)。愛知県名古屋市出身。代数幾何学での業績により1990年にフィールズ賞を受賞。日本人では3人目だが、国内での研究活動によって受賞した東洋初の数学者。フィールズ賞を選考する組織である国際数学連合の次期総裁にアジア人としては初めて選出される(任期は2015年1月から4年間)[1]

略歴

業績

「接バンドルが豊富なら射影空間である」というハーツホーンの予想を解決した論文は、代数多様体の構造論における最初の一般的な定理として歴史に刻まれるものであり、そこで開発された証明の技法がさらに洗練され「端射線の理論」となった。これは代数多様体および有理写像の構造の研究に有力な手段を与えるもので、これにより2次元の壁を乗り越えて高次元代数多様体の構造を解明することが可能になった。森理論の発表、3次元Fano多様体の研究など高次元代数多様体の研究に新しい視点を提供した。これらの業績により、1983年のワルシャワでのICMの招待講演に招聘された。さらに極小モデルの存在を3次元の場合に示すことに成功し、1990年に京都で開かれた国際数学者会議でフィールズ賞を受けた。

エピソード

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  • 1969年東京大学の入試が中止されたため、京都大学に進んだ。このためフィールズ賞受賞時は「あのとき東大に進んでいたらフィールズ賞受賞はなかっただろう」と『科学朝日』で報じられた。
  • 学生時代、指導教授からある数学書を薦められると1~2ヶ月ほどで「読みました」と戻って来てしまい、次の数学書を薦められてはまた同じことを繰り返した。「数学書を読むのが異常に速い」学生として強烈な印象を与えていたという。
  • 大学時代は全問正解しても80点しかくれない教授の試験で120点を取り続けた。
  • 大学への数学』という受験雑誌の学力コンテストで1年間ほぼ連続満点を続けた伝説の人となり、編集部が森君の答案を楽しみにしていた。
  • 教えていた数学の教師が、高校卒業後も『彼はやがてノーベル賞をとる』と言い続けていた。
  • フィールズ賞受賞の4年前に他の分野で既にフィールズ賞候補になっていてその時は取れなかったが、競争相手が多いメジャーな別の分野を新たに研究して、フィールズ賞を受賞した。
  • 東京大学物性研究所教授の高田康民は、京大では数学志望だったが、同級生の森重文と比べて自分の数学的才能に自信を持てなくなり、翌年東大に入学し直し、物理学志望に変更した[5]

受賞・講演歴

脚注

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外部リンク

テンプレート:フィールズ賞

テンプレート:京都大学数理解析研究所所長
  1. http://www.asahi.com/articles/ASG8D35WCG8DPLZB003.html
  2. http://mathsoc.jp/pamph/history/ICM90/sugaku4301047-050.pdf
  3. http://mathsoc.jp/pamph/history/ICM90/sugaku4301040-047.pdf
  4. http://mathsoc.jp/pamph/history/ICM90/sugaku4301047-050.pdf
  5. http://takada.issp.u-tokyo.ac.jp/Takada_interview.pdf
  6. テンプレート:Cite web