東急バス川崎営業所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

東急バス川崎営業所(とうきゅうバスかわさきえいぎょうしょ)は、神奈川県川崎市中原区小杉御殿町2-74にあり、同市幸区、中原区、高津区宮前区の一部の路線を管轄していた東急バスの営業所である。営業所の略号は「KA」を使用していたが、2文字となっているのは、略号を制定した当時都内に存在した駒沢営業所の「K」との重複を避けたためである。

2010年10月1日付けで、当営業所の管轄路線をすべて他営業所に移管の上で営業を終了した[1]

沿革

川崎における東急バスの幕開けは昭和初期のことであり、2つの前身事業者による路線を挙げることができる。1つは、1933年(昭和8年)に旧・東京横浜電鉄が直営バス事業を再開するにあたり買収した溝ノ口乗合の路線で、川崎 - 溝ノ口間を府中街道経由で結ぶものである。もう1つは、玉川電気鉄道1932年(昭和7年)に個人事業者の八木哲より買収した路線で、丸子 - 新丸子駅 - 勝田間を中原街道経由で結ぶものと、溝ノ口 - 市ヶ尾 - 中山駅柿生駅間を大山街道経由で結ぶものであった。

川崎営業所は、1940年(昭和15年)6月12日の開設であるが、これは旧・東横電鉄が溝ノ口乗合を買収した際に設置した溝ノ口営業所を、玉川電鉄の吸収合併を経て新丸子に移転し、さらに現在の小杉御殿町に移転してできたものである。現在地への移転当初は小杉営業所と呼ばれており、大東急時代に旧京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)から引き継いだ川崎営業所との兼ね合いで、現所名に改称された。テンプレート:See also

ちなみに、終戦直後まで神奈川県内の営業所は当営業所の他にやはり旧東横電鉄から引き継いだ「神奈川営業所」が横浜市に置かれていた。1947年(昭和22年)に神奈川営業所が休止されたため、以後1962年(昭和37年)に日吉営業所が開設されるまでの間、神奈川県内のほぼ全路線が川崎営業所に集約されていた。しかし、両市にまたがる大規模な路線網も、終戦直後は大半が休止状態であり、昭和20年代後半まではその復旧が優先された。復旧にあたって、京浜電鉄からの引き継ぎ路線だった川崎住宅線は事実上京浜急行には受け継がれず(同社は休止のまま引き継ぎ、そのまま廃止した。)、分離独立直後に京急グループ入りした川崎鶴見臨港バスが実質的に引き継いだ。この結果、東急バスは川崎市の国鉄東海道線以南から撤退した。テンプレート:Main

昭和30年代に入ると、多摩田園都市の建設事業が開始され、川崎市では野川・宮前地区において急速な人口増加が始まった。当時は東急田園都市線の開通前であり、人口定着化を図るため、主に武蔵小杉、溝の口を起点としてこれらの地区に向かうバス路線が先行投資的に新設されていった。なお、武蔵小杉における東急バスのターミナルは当初、工業都市(現・東横線小杉駅)にあったが、国鉄武蔵小杉駅前広場の整備に伴い、1959年(昭和34年)12月に小杉駅前に移り、発着路線のルート変更が行われている。テンプレート:See also

こうした中、1962年に日吉営業所、高津営業所が相次いで開設された。これにより、所管路線のうち日吉駅・綱島駅を起点に横浜市内を運行する9路線が日吉営業所に、主に溝の口から郊外へ向かう7路線が高津営業所に移管され、営業所の規模はほぼ現状のようになった。

その後も周辺営業所との所管路線調整が何度か行われているが、2006年(平成18年)3月には横浜市営バス43系統受け入れのため、玉突きによる路線移管が実施された。野川線と久末線を委託路線の受け持ち営業所である高津営業所に分離する(統合により野川久末線となる)一方、新城線を新羽営業所より受け入れたものである。なおこのとき、43系統自体は青葉台から虹ヶ丘に移管されており、虹ヶ丘からは空港リムジン路線が新羽へ移管されている。テンプレート:Main

2008年(平成20年)5月28日に、全ての担当路線でPASMOが導入された。

2010年(平成22年)10月1日、同営業所は全ての路線を他営業所に移管し、その営業を終えた。同日に停留所名は「小杉折返所」に変更され、川32・鷺02系統(一部)などのバスの始発・終着機能を維持していたが、2011年(平成23年)7月1日にはこれも終了し、「小杉御殿町二丁目」へ再改称された[2]。同営業所の跡地はコスモスイニシア阪急不動産によるマンション建設が進められ[3]、7階建ての「ジオ・イニシア武蔵小杉」が2012年(平成24年)9月に竣工した[4]

廃止時の所管路線

川崎線

  • 川31:川崎駅西口北 - 東芝前 - 下平間 - 東横線小杉駅 - 川崎営業所 - 宮内 - 下野毛 - 高津駅 - 溝の口駅
  • 川31:川崎駅西口北→東芝前→下平間→東横線小杉駅→小杉駅→川崎営業所→宮内→下野毛→高津駅→溝の口駅
  • 川32:川崎駅西口北 - 東芝前 - 下平間 - 東横線小杉駅 - 川崎営業所
  • 川33:川崎駅西口北 - 東芝前 - 下平間 - 東横線小杉駅 - 市民ミュージアム
  • 直行:川崎駅西口北 - 東芝前 - 東芝小向工場(川崎駅西口北方向の際、ソリッドスクエア前も含む)

川崎線は、旧・東京横浜電鉄がバス事業を再開するにあたって1933年に溝ノ口乗合自動車より譲り受けた路線を起源に持つ古い路線である。主に府中街道を走り、小杉・高津経由で溝の口に至るが、川31系統は全体の2割ほどしかなく、多くは川32系統や川33系統の折り返し便である。その分、小杉より北では後述する小杉線が運行されている。平日・土曜夜間と、日祝の早朝夜間は川31系統は小杉駅へ入ってから溝の口駅方向へ向かう。

直行・東芝系統は通勤時間帯は頻発で運行されるが日中時間帯は1時間に1 - 2本ほどである(稀に臨時ダイヤで運行の場合有)。現在の運行形態となったのは1999年のことであるが、東芝への輸送も歴史が長く、東芝通信部門の前身・東京電気無線が小向工場を発足させた直後の1940年の路線案内にはすでに川崎駅 - 無線前系統の記載がある。

この路線には、その東芝系統を除き、「土手廻り」との呼称がある。これは、ソリッドスクエア(前) - 妙光寺(前)付近で多摩川の土手沿いを走ることを示すものだが、以前はこのほかにも「幸町廻り」、「新道廻り」と呼ばれる便があった。「幸町廻り」は、明治製菓前(現・ソリッドスクエア前) - 下平間間で中幸町・御幸警察署前(現・幸警察署前)・正教寺前・御幸小学校前・小向交番前(2007年3月31日より東芝科学館前)を経由するものであり、「新道廻り」は、同区間で中幸町・御幸警察署前・正教寺前・御幸小学校前・小向西町を経由するものであった。

同じく川崎駅を発着する荏原営業所の反01は河原町団地前 - 東芝科学館前を別経路(遠藤町・御幸小学校前・戸手一丁目を経由)で運行するので「遠藤町経由」と呼称される。東芝系統も反01と同じ経路で運行している。

2007年4月1日より、乗り場が東口から「西口北」バスターミナルに変更された。2007年10月1日に川32:川崎駅西口北 - 東芝小向工場の系統が廃止された(上記の直行・東芝系統とは異なる)。

また、毎年8月15日は東京都大田区主催の花火大会「大田区 花火の祭典」の開催(予定)日で、開催時は川崎側でも観覧客が押し寄せるため、安全を考慮し東急バス側で運休を行う。なお、荒天(大雨、台風、川の増水)の際は中止になるため規制は行われない。運行規制がかかる区間は、川31 - 33は全て川崎駅西口北 - 戸手アパート前( - 左記のバス停より先は正規路線どおり運行)。途中まで同じ区間を運行する反01も上記同様に区間運休となるが、河原町団地前バス停(反01)から折り返して運行が可能で開催中は運休となるが、その間に付近の路上で進路方向を変えて遠藤町・五反田駅方面へと折り返し運行を行う(この際、川31 - 33は花火大会終了後も直ぐには運行再開ができない。これは終了後、観覧客が万が一道路にはみ出す等、運行に支障が出る程の事態を防ぐため、十分に観覧客が去り、人並みが落ち着いてから、全線での運行が再開される)。

2009年度までは上記の処置がとられていたが、2010年度は迂回運行ルートを変更して、交通規制該当時間帯に当たる便には、下記の要領で運行される事になった。

川31・32(川33は該当時間帯前に運行が終了となる)は、川崎駅西口北 - 東芝科学館前 - (中略) - 溝の口駅・川崎営業所へ。
また、上記便同様のルートを経由する反01五反田駅行きは、上記の迂回運行ルートと同様だが、戸手一丁目も含まれ、以降は通常ルートで終点まで運行。

2010年10月1日から川崎営業所の廃止に伴い、高津営業所に移管。

鷺沼線

  • 鷺02:鷺沼駅 - 中有馬 - 有馬第二団地前 - 稲荷坂 - 南野川 - 久末 - 野川 - 千年 - 中原/中原駅前 - 小杉駅前
  • 鷺02:鷺沼駅 - 中有馬 - 有馬第二団地前 - 稲荷坂 - 南野川 - 久末 - 野川 - 千年 - 新城駅前
  • 鷺02:鷺沼駅 - 中有馬 - 有馬第二団地前 - 稲荷坂 - 南野川 - 久末 - 野川 - 千年 - 中原/中原駅前 - 川崎営業所
  • 鷺02:鷺沼駅 - 中有馬 - 有馬第二団地前 - 稲荷坂 - 南野川 - 久末 - 野川
  • 鷺02:鷺沼駅 - 中有馬 - 有馬第二団地前 - 稲荷坂 - 南野川 - 久末
年表
  • 1959年9月7日:有馬線、荏田 - 有馬根 - 工業都市(現・東横線小杉駅)を開通。
  • 1959年12月15日:荏田 - 小杉駅に変更。
  • 1966年4月1日:東急田園都市線開通に伴い、鷺沼駅 - 小杉駅となる。
  • 1974年12月16日:鷺沼駅 - 新城駅を開設。
  • 1993年11月1日:高津営業所から東山田営業所に移管。
  • 2003年3月19日:一部の便を除き、川崎営業所の担当となる。
  • 2008年3月30日:東山田営業所担当便を高津営業所に移管し、高津・川崎の共管路線となる。これにより鷺02系統は一部の便であるが15年ぶりに高津営業所の担当が復活した。
  • 2010年10月1日:川崎営業所の廃止に伴い、高津営業所担当分も併せ東山田営業所に移管。

高津営業所と共管、川崎市バスと共同運行し、東急バス・市バス共通定期券(小杉駅・新城駅 - 鷺沼駅)を取り扱うが、小杉駅の乗り場は両者で異なるので注意を要する。鷺沼駅 - 久末間の利用客が多い。全体的に渋滞の多い道路を走行するため、ラッシュ時は新城駅発着便が運行されるほか、鷺沼口の区間運行も多数見られる。

営業所廃止前に移管・廃止された路線

平間線

  • 川65:川崎駅 - 中幸町 - 正教寺前 - 小向交番前 - 下平間 - 平間銀座 - ガス橋 - 下丸子折返場

1978年12月20日をもって廃止。

野川久末線

  • 杉06 : 小杉駅前 - 中原駅前/中原 - 千年 - 野川 - 久末 - 道中坂下
  • 杉06 : 中原駅前 - 千年 - 野川 - 久末 - 道中坂下
  • 杉09 : 小杉駅前 - 中原駅前/中原 - 千年 - 野川 - 野川台公園前
  • 杉09 : 中原駅前 - 千年 - 野川 - 野川台公園前

2007年7月1日城01の玉突き移管で、川崎営業所より高津営業所へ移管。(トランセ委託)。2010年5月1日、高津営業所より東山田営業所へ再移管。

小杉線

  • 溝02:溝の口駅 - 高津駅 - 下野毛 - 宮内 - 川崎営業所 - 小杉駅
  • 溝03:溝の口駅→高津駅→下野毛→宮内→新丸子駅西口→小杉駅
  • 番号なし:小杉駅→中原駅前→中新城→新城駅前→溝の口駅
  • 直行:小杉駅 - 等々力グランド

2010年5月1日、高津営業所へ移管(川崎営業所への出入系統は川崎所管)。

新城線

  • 城01:新城駅前 - 千年 - 子母口住宅前 - 蟹ヶ谷 - 下田町 - 高田駅 - 綱島駅
  • 城01:綱島駅 - 高田駅 - 下田町 - 蟹ヶ谷 - 子母口住宅前(出入庫系統)
  • 城01:新城駅前 - 千年 - 子母口住宅前 - 蟹ヶ谷(出入庫系統)

2010年7月1日、新羽営業所へ再移管。

車両

一般路線車

本営業所には日産ディーゼル工業(現「UDトラックス」。以下UD)製およびいすゞ製が在籍していた。ノンステップ車の割合は4割 - 5割ほど。LED式行先表示機については、新車及び車体更新車のみの装備にとどめられていて、このため新城線の移管時においては、一度消滅した方向幕表示が復活することとなったが、一部を除き2006年12月までに装備を完了した。なお、かつて在籍していたUD製のKA1511 - 1515号車は、社番と登録番号の数字部分が一致していたが、これは東急バスでは唯一の例であった。

2006年度の新車はKA725号車の1台のみとなったが、これは新城線の移管と同時に新羽営業所から1600 - 1800番台の5台ほどが転属して1300番台の置き換えに充てたためである。一部の車両にタコグラフが装着されていた。

脚注

  1. 川崎営業所の営業終了について
  2. 武蔵小杉ライフブログ 2012年11月6日付「東急バス川崎営業所跡地「ジオ・イニシア武蔵小杉」による府中街道の歩道整備
  3. 川崎市ホームページ2013年4月12日付 川崎市建築物環境配慮制度(CASBEE川崎) 2011年度(平成23年度)受付分 「11008 ジオ・イニシア武蔵小杉
  4. 東急建設株式会社災害防止協力会 会報「みどり」120号「竣工しましたテンプレート:PDF18ページ、2013年2月号

テンプレート:TokyuBus