東京都立国立高等学校

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テンプレート:日本の高等学校 東京都立国立高等学校(とうきょうとりつくにたちこうとうがっこう)は、全日制普通科都立高等学校。所在地は東京都国立市東。通称「国高(くにこう)」。

概要

1940年(昭和15年)に旧制中学校東京府立第十九中学校として開校した。日中戦争による資材不足からの校舎竣工が大幅に遅れ、東京都立立川高等学校の前身にあたる東京府立第二中学校や山水中学校の校舎を借用して授業が行われていたこともあった。

学校群制度時代には、従来学区トップ校であった立川高校と72群を組んだことも一因となり、1980年代中頃までは東大合格者数を30人前後数えていた。青山高校富士高校と同様に学校群制度によって進学実績を伸ばした学校の一つである。2003年(平成15年)には進学指導重点校に指定された。

学校群制度以前の校則は他の都立高校とほぼ同様に制服制帽が決まっていた。クラス編成も1年から2年に上がるときにクラス替えがあり2,3年と同一クラスだった。

現在、校則はほとんどなく自由な校風でクラス編成は、3年間クラス替えのない「持ち上がり制クラス」となっている。

沿革

  • 1940年(昭和15年)1月 - 東京府立第十九中学校として開校認可
  • 1948年(昭和23年)4月- 学制改革により東京都立国立新制高等学校となる
  • 1950年(昭和25年)4月 - 男女共学制実施、東京都立国立高等学校となる
  • 1952年(昭和27年)4月 - 学区合同選抜制度導入
  • 1967年(昭和42年)4月 - 学校群制度発足、立川高校と72群を組む
  • 1976年 (昭和51年)- 第1回第九演奏会開催
  • 1980年(昭和55年)8月 - 野球部が都立高校で初の夏の全国甲子園大会に出場
  • 1982年(昭和57年)4月 - グループ合同選抜制度導入。同時に学区が改編され、第十学区102グループに編成される[1]
  • 1994年(平成6年)4月 - 単独選抜制度へ移行
  • 2003年(平成15年)
    • 4月 - 東京都教育庁学区制を撤廃。他の都立高校とともに、原則として離島を除く都内全域が通学対象地域となる
    • 9月 - 進学指導重点準備校に指定
  • 2004年(平成16年)11月 - 進学指導重点校に指定

教育

入試

2004年(平成16年)度より自校作成問題を3教科で実施している。国語の問題は他校と比べて記述問題が多く、選択肢で答える問題が少ない。

進学指導

ほぼ全員が部活動に加入しており、文武両道を前提とした進学指導の充実が行われている。土曜日は自習室が開放されているほか、土曜補習や夏期講習が数多く用意されており、多くの生徒が利用している。高大連携の取り組みや大学による出張授業が行われ、進路意識の向上が行われている。希望制のサマーセミナーや全生徒対象の校外模試も学校で受けられる。

アクセス

ファイル:東京都立国立高等学校3.JPG
立体的な装飾が見られる

目印は大学通りにかかる歩道橋。

国立市の文教地区は北の中央本線と南の南武線に挟まれた地域にある。以前は旧北多摩郡北部地域からの通学には主に中央本線が使われ、京王電鉄小田急電鉄沿線地域からの通学には主に南武線が、それぞれ使われてきたが、多摩モノレール開通後は学区制撤廃もあり通学ルートに一部変化が生じている。

行事

  • 4月下旬には「第九演奏会」が行われ、芸術科の授業において音楽を選択した2年、3年次の者と有志団体「第九サークル」がプロのオーケストラ、ソリストと共にベートーベン交響曲第9番を演奏・ドイツ語で合唱する。これは1976年から続いている。
  • 4月には立川市市民会館(たましんRISURUホール)を借り切って大規模な「新入生歓迎会」が開催され、5月には2日間「クラスマッチ」と呼ばれる球技大会が行われる。(*夏には希望者対象のサマーセミナー合宿が開かれ、クラスの枠を越えた大きな交流がなされている。
  • 文化祭は「国高祭」と呼ばれ毎年9月下旬に行われる。またこれは、後述の体育祭・後夜祭を併せた3つの祭りの総称である。毎年文化祭(9月第2土曜・日曜に行われる場合が多い)の次の週末に体育祭が行われる。3年各クラスは演劇を行うのが伝統で、最も優れた演目には『アカデミー賞』が贈られる。また、主に社会系・科学系の部活動による研究発表や、音楽系の部活動による発表なども行われている。
  • 体育祭は文化祭の1週間後の土曜日に行われ、1年生の大多数と2年生の団長団が東西2団に分かれて行う応援合戦が伝統である。1996年までは赤白青の3軍制で行われていたが、全国的な少子化によりクラス数が1学年8クラスに削減されたのをきっかけに、現在の形式となった。
  • 後夜祭は体育祭の日の夕方に行われ、かつては校庭の真ん中に巨大なファイヤーをともして2週間に渡る国高祭の最後を飾る催しであったが、現在は体育館で行っており校内生だけが参加する。[2]校庭時代はフォークダンスが名物だったが体育館移行と共に広さの問題から廃され、現在では代わりに後夜祭実行委員会による新企画が毎年催される。体育館移行後に何度か行われている企画としては、男子生徒の女装や女子生徒の男装がある。

部活動

部活動が盛んな学校であり、現在、23の運動部、19の文化部が活動している。生物部、物理部、化学部、地学部の全ての分野が揃っているほか、落語研究部や歴史考古学部などの部活も多い。野球部は1980年に都立として初めて夏の甲子園に出場している。

著名な出身者

政官界

現職
元職

経済

学術・文化

マスメディア

芸能

スポーツ

著名な教職員

関連書籍

関連項目

外部リンク

脚注

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  1. この時の通学対象地域は国立市のほか、府中市多摩市稲城市(以上102グループ)、三鷹市調布市及び狛江市(以上101グループ)。
  2. 移行の背景には、安全確保、校舎建て替えとそれ以降の学校周辺地域環境の変化もある。
  3. 2009年7月21日の衆議院解散により失職。