本陣殺人事件

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テンプレート:基礎情報 書籍本陣殺人事件』(ほんじんさつじんじけん)は、横溝正史が著した長編推理小説で、金田一耕助シリーズの第1作である。昭和21年(1946年)4月から同年12月まで『宝石』誌上に連載された。降り積もった雪で囲まれた日本家屋での密室殺人を描く。

横溝は本作で1948年第1回探偵作家クラブ賞を受賞した。

2014年3月現在映画2本、テレビドラマ3作品が制作されている。

あらすじ

昭和12年(1937年11月25日岡山県の旧本陣の末裔・一柳家の屋敷では、長男・賢蔵と久保克子の結婚式が執り行われていた。式には一柳家から賢蔵の母・糸子、三男・三郎、次女・鈴子、分家・良介と、久保家から克子の義父・銀造が顔を揃えていた。式は、鈴子が琴を披露するなどして、何事もなく終了した。

その夜遅く、屋敷内にただならぬ悲鳴と、激しい琴の音が響き渡った。銀造らが夫婦の寝室である離れへ駆けつけると、夫婦が布団の上で血塗れになって斃れていた。庭の中央には血に染まった日本刀が突き刺さっており、周囲には足跡一つ残っていなかった。また、3本指の人間が犯人であると思わせる、手の血痕が残っていた。にもかかわらず、周りに降り積もった雪のために、離れは完璧な密室と化しており、そこには犯人の逃げた痕跡が一切なかった。

警察による捜査の結果、前日の夕方、怪しい3本指の男が訪れ、賢蔵に手紙を託したこと、それを見て彼が顔色を変えたことなども判明し、古い怨恨の存在が示唆される。さらに、駅前でその男が一柳家の所在を尋ねたことは、既に家人が知っていたことだった。そのため、3本指の男の行方が注目されるが、その日以降の足取りが全くつかめず、捜査は暗礁に乗り上げる。銀造は独自の捜査のために金田一耕助を呼び寄せる。

金田一はやって来るなり、三郎の本棚いっぱいの探偵小説に興味を示し、彼とマニア的な会話を交わす。それから事件現場を調べ、庭のあちこちに、たとえば庭木を支える竹の節が抜いてある、幹に鎌が刺さっているなどの奇妙な点が見られることを指摘する。その夜、またも琴の音が響き、事件現場で大けがをした三郎が発見される。そこには、あの3本指の指紋が残っていた。

その頃、克子の友人が現れ、彼女がかつて遊び人と交際したこと、結婚式前に彼に会っていたことを告げ、その男が犯人に違いないと主張した。警察はこの情報に混乱するが、金田一にとっては、これによって事件の大筋が明らかになったらしい。新たな証拠集めを始めた金田一は、式の前に死んで埋められた猫の墓から、手首で切り落とされた3本指の手を発見した。さらに人をやって捜させると、家の近くの炭焼き窯から男の死体が発見されたが、それは3本指の男の死体であった。

その晩、金田一は一同を事件現場に集め、目の前で事件のトリックを明らかにした。家のそばの水車に琴糸を結びつけ、それを部屋に引き入れてあったのだ。水車が動いたところで、刀に琴糸を巻き付けると、糸に引かれて刀は部屋の外に出て、庭に落ちる仕掛けであった。すなわち、外部の犯人はいなかったのだ。彼は説明を続け、真相は賢蔵が克子が傷物であることを知って結婚を嫌ったが、体面を重視したために結婚をやめることも出来ず、婚礼の晩に彼女を殺して、自殺する計画を立てた。それを推理小説マニアの三郎が知ってしまい、彼の入れ知恵で自殺に見えなくした。また、三本指の男は単なる通り掛かりで、衰弱死したところを賢蔵に見つかり、犯行の予行実験に使われたと推測、その後に三郎が事件を演出するのに使われたと説明した。

なお、三郎の事件は、彼による自演であり、金田一に対する対抗心で行ったものと説明した。

概要

横溝正史による解説

『本陣殺人事件』は探偵小説雑誌『宝石』の創刊号から、第8号まで8回連載された。横溝正史にとっては「戦後初の長篇」第1作であり[1]、第1稿を起したのは昭和21年2月25日、脱稿したのは同年10月7日だった。なお、『宝石』の城昌幸編集長に送った第1回の原稿では本作の題は『妖琴殺人事件』であった[2]が、原稿を送った後で「題は本陣殺人事件に改められたし」という意味の電報を送り『本陣殺人事件』に改められた。

横溝は終戦後、出来るだけ論理的な本格探偵小説を書いていきたいと考えていた。「これが最初の試験的作品であり、その意味でこの一作は、私にとって生涯忘れることのできない小説となるであろう」と述べている。

最初に『宝石』の、編集長から依頼されたときの執筆条件は「毎回26枚、6回連載、全部で150枚の長篇」というものだった。横溝は「そのつもりで構想を立てたので、この小説が論理的な要素はともかくとして、スリル、怪奇、恐怖、等々々、探偵小説として必要な、多くの要素に欠くるところがあるのはそのためであり、結果において城編集長があれほど寛大に、最初の予定よりは倍以上もの枚数を、許可して下さることがはじめからわかっていたら、私はもっと別の題材を取り上げたかもしれない。しかし、私は、これはこれでよいと思っている。」と振り返っている。 連載中横溝は既知未知の多くの友人から激励の手紙を頂戴したといい、「ちょっと意外なことであったが、同時に日本でも論理的探偵小説が、必ずしも歓迎されなくはないことを知って、大いに意を強うした」という。

本作は完結後に「土曜会[3]」の席上で詳しく吟味検討された。最初の発言は江戸川乱歩により、乱歩は本作を綿密に解剖し、長所短所を指摘してくれた[4]。合評会の席上での批評としては、「殺人の動機について、読者を納得させるところが不十分である」との意見で一括された。横溝自身もここは不満を感じていたので、この後の出版ではかなり加筆されている。また冒頭部分の加筆も考えたが、「せっかくまとまっている小説のテンポをこわす懼れが多分にあるので、このほうは断念して、そのままにしておくことにした」という[5]

昭和20年3月、43歳の横溝は吉祥寺の家を引き払い、夫婦と3人の子供を連れて岡山県吉備郡岡田村字桜に疎開した。親戚の手引とはいえ未知の土地だった。両親はこの近在の出で、先祖の墳墓は南方一里にあったが、神戸生まれの横溝としては、「村の人たちにとって私たち一家は異邦人といってもよかった」という印象だった。が、「それにもかかわらず部落のひとたちがわれわれ一家を遇すること、あたかも賓客をもてなすがごとく、ひどく温かで親切であった」といい、都会育ちの横溝はかえって警戒したほどだった。しかしだいぶんあとになって横溝は気づいたというが、村の人たちにとっては両親が近在の出だというだけで、横溝は「よそもの」ではなかったのだった。ほんとうの「よそもの」はそれらの地方でもやはり白い目で見られていたという。横溝は「都会では死語にひとしい『家柄』という言葉が、ここではいまなお厳然と生きており、同族意識が極端に強く、したがって『よそもの』に対する排他精神や警戒心が、都会人には考えられないほど根強いことを知った」という。

「そしてそのことが『本陣殺人事件』をはじめとして、その後の私の作品に、かなり強く表れてきたのである。思えばああいう農村へ疎開しなければ、私におなじトリックやストーリーは思いつけても『本陣殺人事件』は書けなかったであろう。」

この3月に東京を立った横溝の気持ちは、不安と希望の錯綜した複雑なものだった。「敗戦に終わったとき、日本はどうなるのであろう」といういっそうの不安と、いっぽうでは「これが敗戦に終ったら、探偵小説にたいする理不尽な圧迫も一挙に解消するのではないか、もしそういう事態に立ちいたったら、瀬戸内海を舞台にして本格探偵小説を書いてみたらどうか」という、「まことに身勝手で子供っぽい希望」、そういう相矛盾した気持ちを抱いていたという。疎開途中神戸御影の義兄の家に3泊してその思いはますます強くなった。空襲警報の中、「大本営発表とことかわり、戦局がはるかにわれに不利に、しかも急進展しつつあることをハッキリ知った」という横溝は、日本の将来の不安よりも、「本格探偵小説のかける日が、思いのほかはやくやって来そうだという希望のほうを強くもった」という。

「私は非国民なのだろうか。いや、ただもう自分の好きな小説を、書きたいという一念に凝り固まった子供のようなものであった。」

8月6日に疎開先で広島に爆弾が落とされ全滅したと聞いた横溝は、海野十三の小説で知ったウラニューム爆弾、つまり原爆であろうことは想像できたといい、「勝負あった」と思わざるを得なかったという。「終戦の詔勅」のあと、横溝は「両手の掌に唾せんばかりの思いに揮い立ったのを、いまでもハッキリ憶えている」とし、「それからのちの私は、本格探偵小説の鬼であった」としている。「かぞえで44歳、いい年齢であったと思っている」という横溝はほかにすることもなかったせいもあり、小さなトリックを次から次へと思いついては悦に入っていた。

まもなく同級生の兄で本格探偵小説マニアの西田政治氏がつぎつぎに神戸から海外探偵小説の古本を送ってきてくるようになった。横溝はこう述懐している。「いまから思えば、私は都会を遠くはなれた、しかも交通の便のあまりよろしくない農村のどまんなかに住んでいながら、読む本にことかかず、着々として、再出発の準備を整えていたようなものである」。疎開先の村には敗戦のショックによる暗い影はあまり見られなかった。そのうちにおいおい村に若い人たちが復員してきた。そのなかに学業途中で応召した学生たちもいて、横溝がいることを知って遊びに来るようになった。横溝はその人たちをつかまえては、得意になって思いついたトリックを語って聞かせた[6]

作中の「岡山一中琴の怪談」は、疎開先の村の友人である藤田嘉文氏が話してくれたもの。また村の生活についての色々なエピソ-ドは同じく村の友人加藤一氏から伝えてもらった。横溝は「この御両氏がなかったら、おそらく『本陣殺人事件』はなりたたなかったであろう」と語っている[5]

昭和20年になって村に復員してきた学生のひとりが藤田青年だったが、この青年は岡山一中出身で、同校に伝わる「琴の怪談」というものを語って聞かせたが、これが作中の「岡山一中琴の怪談」である。「琴というロマンチックな小道具が、いたく私の心にかなった。私に5つちがいの姉があって、娘時代琴を習っていた。幼い私も見様見真似で三本の爪を指にはめ、一三弦をさきならしていた記憶がある。」

また、岡田村の南に河辺村というのがあり、そこは昔街道筋にあたっていたとやらで、本陣があったということで、その本陣の末裔が岡田村に住んでおり、大きなお屋敷で、近在きっての資産家だった。本陣の末裔というふるめかしいお家柄が横溝の興趣をそそっていたといい、「物に熱しやすい私はまたたくまにトリックを構成して、藤田君に語って聞かせた」という。「『しかし、先生、それ、そんなにうまくいきますかね』と藤田君は私をからかったが、探偵作家というものは、そういう妙な考えかたをするものかというような顔をして、いちおうは小説として承服した」。

同じ復員学生の中に上野の音楽学校の学生石川惇一青年がおり、この青年は『蝶々殺人事件』のトリック・アイディアを提供してくれている。そして年が明けた昭和21年そうそう、横溝は城昌幸から長篇執筆の依頼を受ける。横溝はこう述べている[6]

「機運はまさに熟していたのである」

作品解説

横溝の戦後最初の長編推理作品であり[1]、それまで日本家屋には不向きとされていた密室殺人を戦後初めて描いた作品として知られる。また日本の名探偵の代名詞といえる金田一耕助のデビュー作でもある。また、彼とその後何度も組むことになる磯川警部も初登場である。

第二次世界大戦中は軍の指示によって探偵小説は禁止されていたのが、終戦によって可能になったと考えて夢中で書いた、と作者は語っている。そのとき疎開していた農家の天井も柱も長押もすべて紅殻塗りであったことからガストン・ルルー著『黄色い部屋の秘密』を連想させ、日本式家屋での密室殺人が書けないものか考え始め、カーター・ディクスン著『プレーグ・コートの殺人』の四方を泥に囲まれた離れを雪に囲まれた離れに置き換えたらどうかと考えたと、作者は述べている[7]。作品の最後は、作者による、作品冒頭の言葉遣いがアンフェアな叙述トリックではないという説明に費やされている。

密室トリックについては、シャーロック・ホームズ・シリーズの「ソア橋」との共通性が指摘されるが、作者自身はロジャー・スカーレット著『エンジェル家の殺人』に着想を得たものだと語っている[8]。トリックに関わる小細工のすべてを琴に結びつけることで怪奇色を演出するとともに、田舎町の本陣という日本の古い伝統を背景に置くことで重苦しく怪しい雰囲気を作り上げる。これらは後続の大作『獄門島』や『八つ墓村』に引き継がれ、より大きく発展させられた。

物語は、岡山県に疎開した作者が人伝いに聞いた話をまとめたという形式をとっている。

実在する地名が使われているためか、現在の文庫本などでは村、川、駅の名前の漢字一文字がそれぞれ伏字となっている(清―駅、川―村、岡―村、久―村、高―川といった具合。なお、それぞれ清音駅、川辺村(現倉敷市)、岡田村(現倉敷市)、久代村(現総社市)、高梁川を表す。)。

作品の評価

登場人物

主要人物

金田一耕助(きんだいち こうすけ)
新進の私立探偵。久保銀造が呼び寄せた。
磯川常次郎(いそかわ つねじろう)
岡山県警の警部。今回の殺人事件を担当する。
久保克子(くぼ かつこ)
女学校の教師。ある集会で講演をしていた一柳賢蔵と出会い、結婚するが、離れで賢蔵と共に死んでいるのが発見された。
久保銀造(くぼ ぎんぞう)
果樹園の経営者で克子の叔父。亡き兄の娘の克子を育て上げた。

一柳家

一柳糸子(いちやなぎ いとこ)
賢蔵らの母。威厳と誇りを崩さない老婦人。
一柳賢蔵(いちやなぎ けんぞう)
長男で、一柳家の当主で学者。ある集会の講演で久保克子と出会い、それからわずか1年ほどで結婚の意志を伝え、周囲からの反対の声を押し切って結婚するが、離れで彼女と共に死んでいるのが発見された。
一柳妙子(いちやなぎ たえこ)
長女。ある会社員と結婚して、上海に渡航している。
一柳隆二(いちやなぎ りゅうじ)
次男。大阪の病院に勤務している医者
一柳三郎(いちやなぎ さぶろう)
三男。兄弟中での不作で、家でごろごろしている。狡猾なところがある。
一柳鈴子(いちやなぎ すずこ)
次女。病弱で腺病質だが、琴を弾くのは上手である。婚礼の当日で、克子の代わりに琴を弾いた。
一柳良介(いちやなぎ りょうすけ)
賢蔵らの従兄弟。
一柳秋子(いちやなぎ あきこ)
良介の妻。

その他

お直(おなお)
一柳家に仕える下働きの老婆。
お清(おきよ)
一柳家に仕える女中。
源七(げんしち)
作男。
周吉(しゅうきち)
一柳家に仕える小作。
白木静子(しらき しずこ)
克子がかつて勤めていた女学校の教師で親友。
清水京吉(しみず きょうきち)
右頬に大きな傷跡がある、右手が三本指の男。事件の前々日に一柳家までの道を尋ねた。

書誌情報

  • 本陣殺人事件(青珠社、1947年)
  • 横溝正史集 探偵小説名作全集4(河出書房、1956年5月)
  • 獄門島 横溝正史全集3(講談社、1970年)
  • 本陣殺人事件(角川書店角川文庫、1973年4月、ISBN 4041304083)
  • 本陣殺人事件 横溝正史全集5(講談社、1975年3月)
  • 横溝正史集 日本探偵小説全集9(東京創元社創元推理文庫、1986年1月、ISBN 4488400094)
  • 岡山 ふるさと文学館39(磯貝英夫 編、ぎょうせい、1994年6月、ISBN 4324038066)
  • 本陣殺人事件 日本推理作家協会賞受賞作全集1(双葉社双葉文庫、1995年5月、ISBN 4575658006)
  • 本陣殺人事件 金田一耕助ファイル2(角川書店、角川文庫、1996年9月 ISBN 4041304083)
  • 本陣殺人事件(他2編 、春陽堂書店、1997年12月、ISBN 4394395275)
  • 本陣殺人事件 蝶々殺人事件 横溝正史自選集1(出版芸術社、2006年12月、ISBN 488293308X)

他多数

映画

小説発表の翌年の1947年に、早くも映画が製作・公開されているが、このとき片岡千恵蔵が演じた金田一は、戦前からの名探偵(明智小五郎など)のイメージを踏襲したスーツ姿で登場する。さらに1975年の2作目の映画版では中尾彬が金田一を演じたが、このときは当時の世相を反映したジーンズ姿で登場した(横溝正史はこの中尾金田一をたいそう気に入っていたという)。

1947年版

三本指の男』は1947年12月9日に公開された。東横映画、監督は松田定次

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1975年版

本陣殺人事件』は1975年9月27日に公開された。ATGたかばやしよういちプロダクション映像京都、監督は高林陽一

キャスト
※前記の通り、現代に時代設定が変更されている。

テレビドラマ

1977年版

横溝正史シリーズI・本陣殺人事件』は、TBS系列1977年5月7日から5月21日まで毎週土曜日22:00 - 22:55に放送された。全3回。

毎日放送系列、毎日放送+映像京都製作。

キャスト
スタッフ

1983年版

名探偵・金田一耕助シリーズ・本陣殺人事件 三本指で血塗られた初夜』は、TBS系列2時間ドラマザ・サスペンス」(毎週土曜日21:02 - 22:53)で1983年2月19日に放送された。

キャスト

1992年版

横溝正史シリーズ・本陣殺人事件 名探偵が挑む怪奇密室殺人の謎!?』は、フジテレビ系列2時間ドラマ「金曜ドラマシアター」(金曜日21:03 - 23:22)で1992年10月2日に放送された。

キャスト

参考文献

  • 大坪直行(角川文庫『本陣殺人事件』解説、1973年)

脚注

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関連項目

  • 1.0 1.1 作者の戦後最初に発表した作品は、1945年10月に『講談雑誌』に掲載された朝顔金太捕物聞書帳の「孟宗竹」だが、執筆時期は戦中であったと見られる。戦後に書かれた作品でもっとも発表が早かったのは『講談雑誌』1946年2月号に掲載された『人形佐七捕物文庫』の短編「銀の簪」だったが、横溝自身の記憶によれば戦後最初に執筆したのは探偵小説「神楽太夫」(『週刊河北』1946年3月)で、1945年の秋には脱稿していたという(『金田一耕助のモノローグ』ほか)。ただし、いずれの作品も単発掲載で連載長篇ではなく、戦後の長篇第1作は本作である。
  • 本陣」では一般読者にわかりにくいのではないかということで『妖琴殺人事件』という題を付けたが、「妖琴」では戦前の作者の作風が連想されそうだし、ここできれいサッパリ出直すつもりでいたことから、「本陣」については第2回以降で説明を加えればよいと思い直して『本陣殺人事件』に改めたとのこと(横溝正史著『金田一耕助のモノローグ』 角川文庫、1993年参照)。
  • 当時あった、在京の探偵作家、ならびに探偵小説の愛好家からなる集会。
  • 『宝石』第2巻第2号に掲載。
  • 5.0 5.1 『本陣殺人事件』あとがき(昭和22年2月、「岡山県の片田舎桜の寓居にて」)。
  • 6.0 6.1 『本格探偵小説への転機』「『本陣殺人事件』の前後」より(『問題小説』昭和48年8月)。
  • 7.0 7.1 真説 金田一耕助』(横溝正史著・角川文庫、1979年)参照。
  • 『探偵小説五十年』(横溝正史著・講談社、1972年)および『横溝正史読本』(小林信彦編・角川文庫、2008年改版)参照。
  • 本作品とほぼ同時に発表された『蝶々殺人事件』を傑作と評する坂口安吾は、「『蝶々』をおさえて『本陣』に授賞した探偵作家クラブの愚挙は歴史に残るものであろう」と批判している。(小林信彦編『横溝正史読本』 角川文庫、2008年改版を参照)
  • 1位から5位までの作品は、1.『獄門島』、2.本作品、3.『犬神家の一族』、4.『悪魔の手毬唄』、5.『八つ墓村』。
  • 1位は『獄門島』。他の横溝作品では、『悪魔の手毬唄』が42位、『八つ墓村』が44位、『蝶々殺人事件』が69位に選出されている。
  • 1位は『獄門島』。他の横溝作品では、『犬神家の一族』が39位、『八つ墓村』が57位、『悪魔の手毬唄』が75位に選出されている。