日本交通 (東京都)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox

日本交通株式会社(にほんこうつう[1])は、東京を拠点にハイヤータクシーを運行する事業者であり、グループの売上高は同業で日本最大である[2]

タクシー事業において同グループは約3,300台の車両を有し、kmホールディングス(国際自動車、同・約3,050台)と並んで東京地区における最大手となっている[3]。また、日本交通は大和自動車交通帝都自動車交通国際自動車とともに東京四社営業委員会(いわゆる「東京四社」)を組織している。

略称は「日交(にっこう)」で、「桜にN」のマークが目印。本社は、赤羽営業所とともに東洋交通(東京都北区浮間)に同居している。

経営事業

以前は観光バス部門を有していたが、2005年に売却されている[4]ニッコー観光バス参照。

ハイヤー

ファイル:Nihon-kotsu hire.JPG
日本交通のハイヤー
  • 都内のハイヤーは、地方とは異なり国や大企業の顧客が多いことから、通常のタクシー用車両ではなく国内最高級セダン車両を用い、VIPなどの定期送迎、来賓・国賓送迎、冠婚葬祭時の利用などが中心となっている。一部に1BOXタイプの車両がある。
  • ハイヤー車両は基本的に全車黒色である。クーラーの無い1950~1960年代には、天井のみ白くした「日交カラー」のハイヤーが存在したが、クーラーの装備とともに再び黒一色に統一された。
  • 自家用車の運行管理請負のアウトソーシングも行っている。

タクシー

  • タクシー車両は、黄色に赤い帯の東京四社営業委員会の統一カラーと黒一色の「黒タク」が存在する。1952年にタクシーのカラー化を業界に先駆けて行い、前年に渡米視察した川鍋秋蔵社長がアメリカのイエローキャブをヒントに天井がブルー、ボディがグレーという「日交カラー」を提案統一した。その後、1963年からライトスカーレットオレンジとレモンイエローの四社統一カラーに変更[5]、1969年から現行四社カラーとなる。黒タクは2001年から。一部にワゴンタイプのタクシー車両もあるが、カラーは黒である[6]。日交本体の車両にはボンネットから屋根、トランクにかけて赤帯が塗られているが、提携会社の車両についてはボディ側面のみである。
  • タクシーの車種はかつて廉価グレードのクラウンコンフォート・デラックスとセドリック・スーパーカスタムを導入していたが、黒タク導入後は車体色関係なしにクラウンセダン・スーパーデラックスGパッケージとセドリック・クラシックSVを導入していた。日本交通本体では一旦は全車ハイグレード化したが、2010年からはセドリック・スーパーカスタムも導入している[7]。提携会社の車両はクラウンコンフォートやセドリック・オリジナルも多く残っている。
  • タクシーにはGPS無線システムを導入し、カーナビゲーションと連動させ、配車効率を向上。「GPSコード」を入力すればカーナビに目的地情報を表示することも可能。ただし提携会社の一部車両には未導入。
  • ドライブレコーダーをタクシー全車に装着しており、事故の際の記録のみならず、データの分析により事故の未然防止活動にも役立っている。
  • 日本交通では接客サービス品質を重視しており、高品質化のための様々な社内的取り組みを行っている。特にタクシーのビジネスクラスに相当するハイグレードタクシー「黒タク」は、通常のタクシー料金でハイグレード車両を使用するのみならず、乗務員も特別な講習を受けた有資格者が乗務する。本社「パトロールカー」が定期的に都内を巡回して、サービス品質の維持に努めている。アイドリング・ストップにも積極的に取り組み、チーム・マイナス6%参加とともに環境品質の強化にも取り組んでいる。
  • 都内各所に日本交通の専用タクシー乗り場を設置するとともに、営業提携として「日本交通ブランド」のフランチャイズにより都内タクシー台数を確保し、「すぐ乗れる」タクシーを目指す営業展開をしている。

制服

  • 2006年10月1日より、乗務員の制服を14年ぶりに一新している。今回のものは、「礼服」をコンセプトとし、ハイヤーや黒タクなどの黒塗り高級車両においても、その場の雰囲気を崩さず高級感が出るようにデザインされた。日本交通としては初めてベストを採用し[8]て、季節を問わず統一感が出るように配慮されている。黒を基調としたもので、上着の左腕とベストの左胸にロゴマークが入っているほか、袖口にボタンが無いのがデザイン上の特徴。また、素材には再生ペットボトルを使用し、環境保全も考慮している。なおデザイナーには、長野・シドニーオリンピック日本選手団公式ユニフォームを手掛けた、大矢寛朗が起用されている。
  • 1992年4月[9]に導入した旧制服は、ネイビーブルーを基調としたスーツ[10]に、ネクタイに赤いストライプを用いた、若々しさを狙ったものであった。なお当初の女性用は、バスガイド用制服と同様の4つボタンでウエストの絞りのあるジャケットに、男性ネクタイと同じ柄のリボンという、全く異なるデザインのものであったが、1998年に男性用制服に近いデザインにモデルチェンジしている。これは、当時日本交通が女性乗務員を初めて採用した時期であり、そのためバスガイドの制服をベースに準備したものと思われる。しかしその後女性乗務員数が増えるに伴い、アンケートを実施したうえでモデルチェンジするに至った。
  • 日本交通における制服は、川鍋自動車商会時代の1936年4月に導入したのが最初であった。揃いの折目正しい制服・制帽の着用によって乗務員の品位を高めようと制服を制定したもので、緑色のサージ、ダブルの金ボタンつき、帽子は黒の海員帽であった。その後1937年に東宝自動車に組織改編した際には、上衣を紺、ズボンを霜降りに変更している。1945年の日本交通発足の際は、12事業者からなる新会社であったため、すぐには制服の統制が出来ず、衣料事情も好転した1951年1月になって制服貸与規定を制定し、まずは乗務員に制帽を着用させた。そして翌年1月から全員に紺ダブル上下の制服を着用させた。なお、夏は白[11]の開襟シャツであった。制帽は濃紺の海員帽で、記章には、「桜にN」に月桂樹を金モールであしらい、夏季は白い日覆いをかけるようにした[12]

社章

  • 社章には創業以来「桜」が用いられ、1945年に日本交通が設立された際に、現在の社章が制定されている。桜が選ばれたのは、日本の国民性の象徴として親しまれていることから、明朗・親切を尊ぶハイヤー・タクシー業にはふさわしいと認められたためと伝えられる。

ハイ・サービス300選

  • 2008年3月に第2回「ハイ・サービス日本300選」を受賞[13]している。「ハイ・サービス日本300選」とは、イノベーションや生産性向上に役立つ先進的な取り組み(ベストプラクティス)を行っている企業・団体を表彰・公表することで、企業・団体の一層の取り組みを喚起し、優良事例を広く普及・共有することで、サービス産業全体のイノベーションや生産性向上を促進することを目的として、サービス産業生産性協議会が主催するものである。日本交通の黒タク及び専用乗り場について、長年にわたるハイヤーとタクシー事業の実績から自らの強みを見直し、台数増とともにサービスがコモディティー化してきたタクシー業界の中で、トップセグメントを相手にした事業へのシフトを図り、外部機関の協力を受けてマニュアル作成など人材育成に努めている点に他社にはない強みがあると評価されての受賞である。

沿革

  • 日本交通は、川鍋秋蔵1928年4月に1台のハイヤーで営業を開始し、翌年に銀座木挽町において「川鍋自動車商会」を創設したことから始まる。その後は会社組織を変えつつ事業規模を拡張していくが、一貫して「お客様への誠実とサービス」を経営方針の第一としていた。なお日本交通の創業年数は、川鍋秋蔵がハイヤー営業を開始した1928年4月から数えている。
  • 1945年になって、当時都内約4,000台のハイヤー・タクシーを1,000台ずつ4社に統合する当時の政府の指導(旅客自動車運送事業統合要綱)に基づき、日東自動車を主体に11社1個人で設立されたのが、現在の組織である。

創業から日本交通の設立まで

  • 1928年4月、川崎造船所の運転手だった川鍋秋蔵が独立し、ハイヤーの個人営業を開始[14]
  • 1929年6月、銀座木挽町において川鍋自動車商会を設立。
  • 1931年6月、おりからの不況に対して、大型車6台を売却し小型プリムス10台を購入することで乗り切る。
  • 1934年7月、箱根で6台による夏季営業開始。
  • 1936年4月、初めて制服・制帽を制定する。
  • 1936年11月、有楽タクシー、帝国タクシーを買収。
  • 1937年5月、東宝自動車株式会社を設立し、川鍋自動車商会は、同社に一部事業を譲渡。朝日ツーリング、橘自動車商会を買収。
  • 1938年1月、 東京横浜電鉄(現:東京急行電鉄)がタクシー会社を統合する目的で東京タクシー株式会社を設立。
  • 1938年4月、日東自動車株式会社と改称。川鍋自動車商会は、同社に事業譲渡。日吉自動車商会、松葉自動車商会、出雲自動車株式会社、虎屋自動車商会を買収。
  • 1940年3月、東京タクシー株式会社が民衆タクシー株式会社を合併。
  • 1940年8月、日東自動車が、丸宮自動車株式会社、青根自動車、合資会社ヱビスタクシー、一の橋タクシー、千葉自動車、野村自動車、山田自動車を買収。
  • 1940年10月、日東自動車がタクシー営業を開始。
  • 1942年3月、日東自動車が池袋相互自動車株式会社を買収。
  • 1942年5月、日東自動車が暁相互自動車株式会社を買収。
  • 1943年9月、日東自動車が大和交通自動車株式会社、日進相互自動車株式会社、第一相互タクシー株式会社、中央相互タクシー株式会社を買収。
  • 1945年1月16日、日東自動車と東京タクシーを中心に11社1個人が経営統合する覚書を調印。
  • 1945年7月1日、覚書を交わした12事業者による共同経営を開始。
  • 1945年12月1日、日本自動車交通株式会社を設立し、11社は同社に事業を譲渡。本社は目黒区上目黒(東京タクシー本社所在地)に設置。
  • 1945年12月29日、日本交通株式会社と改称。

日本交通の設立〜溜池本社時代

  • 1947年11月、本社を西神田へ移転。
  • 1949年2月、日交自動車整備株式会社を設立。
  • 1949年11月、愛光自動車株式会社を買収し、横田営業所とする。横田営業所の15台に、車体に桜のマークを付ける[15]
  • 1950年12月、本社を赤坂溜池へ移転。
  • 1951年1月28日、小田原交通株式会社[16]を箱根交通株式会社と改称し、買収した大箱根自動車株式会社、神奈川県足柄上郡三保村農業会自動車部と統合して営業を開始(箱根地区に進出)。
  • 1951年6月15日、日本遊覧自動車株式会社[17]を傘下に収める。
  • 1951年6月30日、東急系持株[18]のほとんどが川鍋側に移行。川鍋家のオーナー企業となり、日交グループを形成。
  • 1951年7月23日、五島慶太に顧問委嘱。
  • 1951年、業界で初めて屋上灯を採用。
  • 1952年4月1日、株式会社埼玉タクシー[19]を傘下に収め、川鍋秋蔵の郷里・大宮地区に進出。
  • 1952年12月、タクシーに国産のプリンス車を大量採用(130台)したのを期に、タクシーの意匠を統一[20]し、あんどん(看板灯)を業界で初めて採用した。
  • 1953年1月、立川営業所を開設し、多摩地区に進出。
  • 1953年4月1日、日本遊覧自動車から観光バス事業を譲受し、兼営開始。
    箱根交通・大宮交通[21]の事業も併せて譲受し、本社直営とする。
  • 1954年9月、営業課に指導係をおき、指導車(パトロールカー)による乗務員の街頭指導を開始。
  • 1956年12月、清和自動車交通株式会社を買収し、目白営業所とする(翌年1月、日本交通タクシー株式会社と改称するが、9月には日本交通に事業譲[22])。
  • 1958年6月、乗務員としての指導教育の徹底のため、関係法令や運転上注意すべき事項をまとめた「タクシー乗務員勤務心得」を乗務員に配布。
  • 1958年7月、興東自動車株式会社を買収する(9月に第一日本交通株式会社と改称)。
  • 1958年12月、ニュートオキョータクシー株式会社を買収する(翌年に第二日本交通株式会社と改称)。
  • 1959年4月、3社を買収(千代田交通株式会社→第三日本交通株式会社、ジャパンキャリエーヂ株式会社→第五日本交通株式会社、東京自動車交通株式会社→第六日本交通株式会社)。傘下の会社も含め車両数1,256台となり、当時としては世界最大規模のタクシー会社[23]となる。
  • 1960年5月、従来は配属営業所において見習乗務員として教育訓練していたものを、教養係を新設し、業界初の試みとして新入乗務員の教育講座を開始(日本交通乗務員養成教育講習会=通称「日交学校」)。
  • 1960年11月、無線タクシー運行開始。
  • 1963年、日本初のフォークリフト式立体駐車場を木挽町に完成させる(地上13階建、22台が収容可能)。
  • 1964年、LPG車導入。
  • 1965年2月、都民タクシー株式会社を買収し、第七日本交通株式会社と改称。
  • 1965年3月、三光自動車株式会社を買収。

永田町本社時代

  • 1966年1月、本社を千代田区永田町(星ヶ丘ビルディング)に移転。同ビルには共同石油も同居していた。
  • 1968年7月、轟交通株式会社を買収し、新小岩営業所とする(翌年、第八日本交通株式会社と改称)。
  • 1969年、暁自動車株式会社を買収し牛込営業所、朝日観光株式会社を買収し上大崎営業所とする。
  • 1969年6月、日本交通連合厚生年金基金が発足。
  • 1969年9月、松田自動車交通株式会社を買収し練馬営業所とする。
  • 1969年12月、富国交通株式会社を買収し、第十日本交通株式会社・花畑営業所とする。練馬営業所を常盤台営業所へ移転改称。
  • 1970年、「ありがとうキャンペーン」として、タクシー業界のイメージアップキャンペーンを開始。日都交通株式会社を買収し常盤台営業所へ集約。第二コンドルタクシー株式会社を買収し三鷹営業所、東京相互タクシー株式会社を買収し飯田橋営業所(春日町営業所)とする。
  • 1978年7月、常盤台・千住に新営業所を開設し、大曲・早稲田・牛込・池袋・小石川・春日町・亀戸・新小岩・花畑営業所を集約。
  • 1980年7月、小型タクシーを導入[24]。2001年には小型タクシーの営業を終了した[25]

赤坂本社時代

  • 1980年8月、本社を港区赤坂に移転。
  • 1983年5月、TQC導入宣言。
  • 1983年9月30日、川鍋秋蔵逝去、享年84。
  • 1983年10月、川鍋達朗が代表取締役社長に就任。
  • 1984年11月、TQCによるサービス品質の標準化と水平展開の活動として「2151(ニッコウイチバン)大作戦」を開始する。
  • 1986年8月、小田原地区を小田原日交株式会社(現:日本交通小田原)に分社。
  • 1989年6月、運行管理請負を営業開始。
  • 1990年2月、英語社名を“NIPPON KOTSU”から“NIHON KOTSU”に変更。
  • 1990年11月、稲城中央交通有限会社を買収。1991年4月に多摩日交有限会社に商号変更。
  • 1991年7月、日米美術協会主催の美術展「Srange Adstraction―現代アメリカの先鋭たち」を協賛。
  • 1991年8月、「第3回世界陸上競技選手権大会」を協賛。
  • 1996年3月、中央無線に加盟していたこだま交通株式会社[26]を営業譲受される。
  • 1996年5月、ハイヤー乗務員に救命技能訓練を実施。
  • 1997年7月、立川地区を立川日交株式会社(現:日本交通立川)に、さいたま地区を埼玉日交株式会社(現:日本交通埼玉)にそれぞれ事業譲渡。
  • 1997年3月、品川区八潮に営業所を集約し、品川営業所を開設。
  • 1998年6月、観光バス事業を日本交通観光バス株式会社に事業譲渡。
  • 1998年3月、日交埼玉のタクシー78台で電子マネー実験。
  • 2000年2月、品川営業所で福祉タクシー1台を導入。
  • 2000年6月、タクシー無線の顧客登録配車システムを導入。
  • 2000年7月、株式会社日交マイクルを設立。ミニバンを用いた新型会員制ハイヤー及びリムジンタクシーの「My Crew」(マイクル)の営業を開始。
  • 2001年10月、ハイヤー営業所を集約し、中央営業所を開設。
  • 2001年9月、「黒タク」導入。
  • 2001年10月、愛宕グリーンヒルズに日本交通専用のタクシー乗り場を開設。

品川本社時代

  • 2002年5月、本社を品川区八潮へ移転。
  • 2003年3月、日本交通多摩有限会社[27]が日本交通立川株式会社に事業譲渡。
  • 2003年4月[28]、無線電話に英語専用ダイヤル「Taxi English Phone」開設。
  • 2004年6月、日交マイクルを経営統合して一般ハイヤー・タクシー事業に吸収。
  • 2004年11月、ハイヤー新橋営業所を銀座営業所へ統廃合。
  • 2005年4月、共同無線に所属していた東洋交通、EM自交無線に所属していた睦交通と業務提携。
  • 2005年5月、東京相互無線に所属していた扇橋交通、EM自交無線に所属していた三和交通東京営業所と業務提携。
  • 2005年7月、藤田無線グループ各社(春駒交通、日立自動車交通、ライオン交通)、新規開業したワイエム交通と業務提携。
  • 2005年8月、川鍋一朗が代表取締役社長に就任、川鍋達朗は会長に就任。
  • 2005年8月31日、川鍋達朗逝去、享年67。
  • 2005年9月、日本交通埼玉、三鷹営業所が移転。日本交通観光バスを売却。
  • 2005年11月、赤羽営業所を開設。
  • 2005年12月、日本交通立川が移転。
  • 2006年1月、グランドハイアット東京の宿泊ゲスト専用のハイヤーとして、ポルシェカイエンを導入。
  • 2006年2月、藤田無線閉局に伴い、無線受注を引き継ぐ。
  • 2006年4月、タクシーにアイドリングストップ機能付車両を導入開始。国際自動車と共同でJR東日本Suica導入を発表。
  • 2006年5月、常盤台営業所が池袋サンシャインシティへ移転し、池袋営業所に名称変更。千住営業所が移転。
  • 2006年6月、日本交通が分社化。同時に第十日本交通は日本交通に事業譲渡。
  • 2006年8月、監査室、事業開発部を設置。
  • 2006年10月、大矢寛朗デザインの新制服を導入。
  • 2006年11月、ハイヤーお茶の水営業所を赤坂営業所に統廃合。
  • 2007年7月、東洋交通の全株式を創業者の西村家より取得。
  • 2008年3月、第2回「ハイ・サービス日本300選」を受賞。
  • 2008年8月、NASVAネットを導入。
  • 2008年10月、東京無線に所属していた蔦交通の全株式を取得。フランチャイズ化は2009年4月から。タクシー車両にトヨタ・プリウスを本格導入(2009年2月にかけて130台を代替)。
  • 2009年3月、ドコモIDおよびQUICPAY(QP)決済サービスを開始。
  • 2009年7月、独自営業だった陸王交通と業務提携[29]
  • 2009年8月、ハイヤー日比谷営業所を中央営業所に統廃合。ベタープレイス・ジャパンと共同で、電気自動車(EV)バッテリー交換のタクシー向け実証実験を始めることを発表[30]
  • 2010年2月、新規開業した美輝タクシーの全株式を取得[31]
  • 2010年3月、東京四社営業委員会発行のタクシー専用プリペイドカードの決済サービスを開始(特別区・武三地区)[32]
  • 2010年4月、チェッカーキャブ無線に所属していたすばる交通と業務提携[33]。チェッカーキャブ無線に所属していた大国自動車交通の全株式を取得[34]
  • 2010年5月、都内タクシー無線配車受付を全回線IVR(全自動)化。

赤羽本社時代

  • 2010年6月、本社を北区浮間へ移転。
  • 2010年7月、共同無線に所属していたキャピタルオート、キャピタルモータース、日生交通と業務提携[35]
  • 2010年7月、銀座営業所が移転。これに伴い銀座営業所専用乗り場を廃止。
  • 2010年8月、EM自交無線に所属していた恵豊自動車交通と業務提携[36]
  • 2010年10月、東京四社営業委員会発行のタクシー専用プリペイドカードの決済を、日本交通埼玉でもサービス開始する。自社無線で営業していた睦交通傘下の羽田交通[37]と業務提携。羽田空港定額タクシーのサービスを開始。タクシー新木場営業所および工場を新設。
  • 2010年11月、インターネットからの羽田空港定額タクシー予約受付を開始。
  • 2010年12月、品川営業所が移転。
  • 2011年1月、iPhone向け「日本交通 タクシー配車」アプリを配布開始[38]
  • 2011年3月、日本交通埼玉、日本交通小田原で、電気自動車(日産・リーフ)によるタクシーの営業を開始。
  • 2011年4月、タクシーをウェブサイトから予約できる「タクシーWEB予約」を開始。
  • 2011年4月、スマートフォン向け「日本交通 タクシー配車」アプリに「料金検索」「お送り先指定」機能が追加される。
  • 2011年8月、エキスパート・ドライバー・サービス(EDS)を開始[39]
  • 2011年9月、スマートフォン向け「日本交通 タクシー配車」アプリに「予約」機能が追加される。
  • 2011年12月、スマートフォン向け「全国タクシー配車」アプリをリリース。
  • 2012年1月、東洋交通が東京無線に所属していた東武興業安全タクシーを買収し、練馬営業所とする。
  • 2012年3月、無線基地局が国際新赤坂ビルから東京スカイツリーに移転。
  • 2012年5月、「陣痛タクシー」サービスを開始。
  • 2012年6月、相鉄自動車株式会社の全株式を譲受し、「日本交通横浜株式会社」に商号変更。
  • 2012年7月、LPG改造「プリウスα」を導入。
  • 2012年12月、スマートフォン向け「日本交通タクシー配車」アプリで、「ネット決済」を開始。
  • 2013年2月、観光タクシー専用車として「プリウスα」樹脂パノラマルーフ付き車両が稼働開始。東洋交通練馬営業所が日交練馬に改称。
  • 2013年4月、神奈川県横浜市の天台交通および平成交通の営業権を新天台交通として取得。
  • 2013年6月、羽田交通が親会社の睦交通のタクシー部門を吸収合併。
  • 2013年10月、群馬県前橋市の東洋タクシーの営業権を取得。
  • 2013年10月、新天台交通を日本交通横浜株式会社戸塚営業所に改称。
  • 2013年11月、非無線で営業していた東京ひかり交通の営業権を取得[40]
  • 2014年1月、千葉県館山市の館山中央交通の営業権を取得。
  • 2014年3月、大阪府に「東京・日本交通株式会社」を設立。
  • 2014年7月、独自営業していた東京ワールド交通と業務提携。

営業所(車庫)の所在地

営業所等

ハイヤー営業所

  • 赤坂営業所(千代田区永田町/山王パークタワー内)
  • 銀座営業所(中央区銀座)
  • 中央第一営業所(中央区日本橋兜町)
  • 中央第二営業所(中央区日本橋兜町)

タクシー営業所

  • 品川営業所(品川区東品川)
  • 池袋営業所(豊島区東池袋/サンシャイン60 B2階)
  • 赤羽営業所(北区浮間)
  • 千住第一営業所(足立区千住関屋町)
  • 千住第二営業所(足立区千住関屋町)[41]
  • 新木場営業所(江東区新木場)
  • 三鷹営業所(三鷹市野崎)

整備工場

  • 池袋整備場
  • 千住工場
  • 品川工場
  • 新木場工場
  • 三鷹工場

研修センター

  • 総合研修センター(北区浮間)
  • ハイヤー研修センター

日本交通専用タクシー乗り場

  • 愛宕グリーンヒルズ(MORI Tower)
  • 品川インターシティ
  • 六本木ヒルズ日の丸自動車との共同運行)
  • 東京ミッドタウン/ザ・リッツ・カールトン東京(帝都自動車交通との共同運行)
  • 泉ガーデンタワー(黒色タクシー専用)
  • 汐留住友ビル
  • 東京汐留ビルディング
  • 東京アメリカン倶楽部(共同運行)
  • 汐留ビルディング(帝都自動車交通・大和自動車交通との共同運行)
  • 日本テレビタワー
  • 住友不動産三田ツインビル西館
  • 紀尾井町ビル
  • 慶應義塾大学病院
  • ザ・キャピトルホテル東急(国際自動車・帝都自動車交通・大和自動車交通との共同運行)
  • 虎の門病院
  • 代官山TーSITE(TSUTAYA代官山)
  • 国際福祉大学付属三田病院(国際自動車との共同運行)
  • トレードピアお台場(旧:日商岩井東京本社ビル)
  • 東京都済生会中央病院
  • 東京女子医科大学付属病院
  • グランドハイアット東京
  • アークヒルズ仙石山森タワー
  • アークヒルズサウスタワー
  • セルリアンタワー東急ホテル
  • 順天堂大学付属順天堂医院(国際自動車・日の丸自動車交通との共同運行)
  • 赤坂Kタワー
  • ホテル インターコンチネンタル 東京ベイ
  • シャングリ・ラ ホテル東京(国際自動車との共同運行)
  • 昭和大学江東豊洲病院
  • 虎ノ門ヒルズ

廃止された営業所

日本交通は買収した各社を営業所化し、それを統廃合して現在の営業所組織を作り上げているため、過去には多くの営業所が存在していた。なお、下記の営業所は、必ずしも同時期に併存したものとは限らず、また所在地は代表的な場所を記したのみで、同一営業所でも所在地の移転を行ったものもある。

ハイヤー営業所

  • 朝霞営業所(埼玉県朝霞町 米軍交替訓練部隊内)
  • ラッキーキャブ(株)→朝霞第二営業所 →大宮営業所に移管
  • 丸の内営業所(千代田区丸の内3-1-1国際ビル内) →中央営業所に統合
  • 日本ビル営業所(千代田区大手町2-6-2日本ビル内) →日本橋営業所に統合
  • 大手町営業所(千代田区大手町1-7-2サンケイビル) →日本橋営業所に統合
  • 千代田交通(株)→麹町営業所(千代田区一番町13) →日比谷営業所に統合
  • 東京海上ビル営業所(千代田区丸の内1-2-1東京海上ビル) →日比谷営業所に統合
  • 日比谷営業所(千代田区日比谷公園1-2) →中央営業所に統合
  • 九段営業所(千代田区九段北2-3-11) →飯田橋営業所に統合
  • 木挽町営業所(中央区銀座東7-1) →旧・銀座営業所に統合
  • 旧・銀座営業所(中央区銀座東6-4) →新橋営業所に統合
現在の銀座営業所は、旧・新橋営業所を改称したもの。
  • 数寄屋橋営業所(中央区銀座西5-2西銀座地下駐車場内→千代田区内幸町1-7-3) →新橋営業所に統合
  • 京橋営業所(中央区越前堀2-24) →旧・銀座営業所に統合
  • 日本橋営業所(中央区日本橋本石町4-1-6) →中央営業所に統合
  • 呉服橋営業所(中央区日本橋2-16-13ランディック日本橋ビル) →日本橋営業所に統合
  • 浜町営業所(中央区日本橋浜町1-4-13) →本郷営業所に統合
  • 芝営業所(港区浜松町2-4-1世界貿易センタービル内) →新橋営業所に統合
  • 旧・赤坂営業所(港区赤坂新町3-35) →溜池営業所に統合
現在の赤坂営業所は、旧・溜池営業所を改称・移転したもの。
  • 新宿営業所(新宿区西新宿2-6-1新宿住友ビル) →渋谷営業所に統合
  • 神楽坂営業所(新宿区岩戸町18) →飯田橋営業所に統合
  • 飯田橋営業所(新宿区岩戸町5-1)→お茶の水営業所(文京区湯島2-1-1 NZビル) →赤坂営業所に統合
  • 本郷営業所〜神田営業所(文京区湯島1-12-3) →中央営業所に統合
  • 早稲田営業所(文京区関口町1) →神楽坂営業所に移管
  • 下谷営業所(台東区北稲荷町73) →上野営業所に統合
  • 上野営業所(台東区池之端1-2-19) →本郷営業所に統合
  • 鐘ヶ淵(向島区隅田町2-1289) →旧・銀座営業所に統合
  • 渋谷営業所(目黒区青葉台3-1-21) →日比谷営業所に統合
  • 東急サービス(株)→渋谷第二営業所(目黒区大橋1-5-4) →渋谷営業所に統合
  • 代々木営業所(渋谷区代々木初台町565) →渋谷営業所に移管
  • 池袋営業所(豊島区池袋4-1768) →大手町営業所に統合
初代(1945年12月 - 1952年3月)。現在の池袋営業所(タクシー営業所)とは別組織。
  • 池袋営業所(東京都豊島区東池袋3-1-1サンシャイン60) →飯田橋営業所に統合
二代目(1970年3月タクシー池袋営業所にハイヤーを併設 - 1998年10月)。現在の池袋営業所(タクシー営業所)とは別組織。
  • 江戸川営業所(江戸川区小松川町3-2690) →小石川営業所に統合

タクシー営業所

  • 大宮第二営業所(埼玉県大宮市大門町2-90) →大宮営業所(現:日本交通埼玉)に統合
  • 東京自動車交通(株)→越前堀営業所(中央区越前堀2-24) →京橋営業所としてハイヤーに転換
  • ジャパンキャリエーヂ(株)→榎坂営業所(新宿区) →大曲営業所に統合
  • 大曲営業所(新宿区新小川町2-10) →千住営業所(現:千住第一営業所)、常盤台営業所に移管
  • 暁自動車(株)→牛込営業所(新宿区馬場下町1) →千住営業所(現:千住第一営業所)、常盤台営業所に移管
  • 東京相互タクシー(株)→飯田橋営業所(新宿区下宮比町)→春日町営業所(文京区春日1-3-3) →千住第四営業所、常盤台第四営業所に移管
  • 後楽園営業所(文京区後楽1-3-50)
併設のハイヤーは、呉服橋営業所、九段営業所、浜町営業所、東京海上ビル営業所へ移管。
  • 小石川営業所(文京区大塚4-2-9) →千住営業所(現:千住第一営業所)、常盤台営業所に移管
  • ジャパンキャリエーヂ(株)溜池営業所→早稲田営業所(文京区関口1-33-1) →千住営業所(現:千住第一営業所)、常盤台営業所に移管
  • 浅草営業所(台東区)
  • 勧業タクシー(株)→亀戸営業所(江東区亀戸4-14-4) →千住営業所(現:千住第一営業所)に移管
  • 朝日観光(株)→上大崎営業所(品川区上大崎2-22-4)→旧・品川第二営業所 →旧・品川営業所に統合
  • 都民タクシー(株)→上目黒営業所(目黒区青葉台3-1-21)→旧・品川第一営業所 →旧・品川営業所に統合
  • 旧・品川営業所(品川区東品川1-8-2) →現在の品川営業所に統合
現在の品川営業所とは異なる。
  • 三光自動車(株)→自由ヶ丘営業所(目黒区中央町2-26-17) →現在の品川営業所に統合
  • 日米交通(株)→目黒営業所(目黒区中目黒4-1-2) →現在の品川営業所に統合
  • 大洋興業(株)→蒲田営業所(大田区蒲田本町2-29-9) →現在の品川営業所に統合
  • 羽田営業所(大田区羽田空港構内)
  • 三光自動車(株)→中野営業所(中野区上高田5-1-1) →常盤台営業所に移管
  • 大塚営業所(豊島区巣鴨六丁目1452) →小石川営業所に統合
  • 清和自動車交通(株)→目白営業所(豊島区雑司ケ谷2-3-1) →常盤台営業所に移管
  • ニュートオキョータクシー(株)→池袋営業所(豊島区東池袋4-26-10) →千住営業所(現:千住第一営業所)、常盤台営業所に移管
二代目(1958年12月 - 1978年8月タクシー用途廃止)。現在の池袋営業所とは別組織。
  • 松田自動車交通(株)→練馬営業所(練馬区錦町)→常盤台営業所(板橋区前野町2丁目17-1) →移転により池袋営業所に改称
  • 東京相互タクシー(株)→第十常盤台営業所(板橋区)→常盤台第四営業所 →移転により赤羽営業所に改称
  • 富国交通(株)→花畑営業所(足立区花畑1445) →千住第四営業所に移管
  • 日都交通(株)→足立営業所(足立区宮城1126) →常盤台営業所に移管
  • 千住第四営業所(足立区) →千住第二営業所に統合
  • 轟交通(株)→新小岩営業所(葛飾区西小岩4丁目) →千住営業所(現:千住第一営業所)に移管
  • 愛光自動車(株)→横田営業所(西多摩郡福生町 米空軍横田基地内) →立川営業所(現:日本交通立川)に統合
  • 鴨宮営業所(神奈川県小田原市中里字出口400) →小田原営業所(現:日本交通小田原)に統合
  • 神奈川県足柄上郡三保村農業会自動車部→箱根交通(株)→松田営業所(神奈川県足柄上郡松田町鹿子382)
  • 大箱根自動車(株)→箱根交通(株)→湯本営業所(神奈川県足柄下郡箱根町湯本691) →出張所化(日本交通小田原)
  • 大箱根自動車(株)→箱根交通(株)→宮の下営業所(神奈川県足柄下郡箱根町宮の下397) →小田原営業所(現:日本交通小田原)に統合

観光部

関連会社

  • 館山中央交通(千葉県館山市長須賀)
  • 東洋タクシー(群馬県前橋市堤町)
  • 東京・日本交通(大阪府大阪市浪速区敷津西)
  • 日本交通埼玉(埼玉県さいたま市北区今羽町)
  • 日交データサービス(北区浮間)
  • 日本交通健康保険組合(墨田区両国)
  • 日本交通連合厚生年金基金(北区浮間)
  • 日交サービス(北区浮間)
  • 日本交通立川(立川市富士見町)
  • 日本交通小田原(神奈川県小田原市浜町)
  • 日本交通横浜本社・横浜営業所(神奈川県横浜市旭区矢指町) ※旧・相鉄自動車
  • 日本交通横浜大和営業所(神奈川県大和市桜森)
  • 日本交通横浜戸塚営業所(神奈川県横浜市戸塚区名瀬町) ※旧・新天台交通

日本交通グループ

ファイル:Nihon Kotsu Taxi.JPG
グループ会社(四社カラー)

日本交通グループ会社とは、日本交通の「桜にNのマーク」のブランドを使用し、タクシー車両の色を日本交通カラーに塗り替える他、GPS-AVMデジタル無線機を始めとする共通の周辺機器を搭載し、またマニュアル類も共通のものを用い、同様の社員教育を通じて接客マナー水準を統一するなど、ハード面・ソフト面において全て日本交通本体に準じた形で営業するタクシー会社である(日本交通の連結会社と業務提携会社の2種類があるが、いずれも「グループ会社」とよばれる)。背景として、“ひろう”から“選ぶ”時代への変化に伴い、質・量ともに利便性を追求する体制作りを目指したものである。2005年4月、東洋交通との契約締結を皮切りに順次その数を増やし、2010年10月現在において下記19事業者24営業所が加盟している。タクシー車両の外見では、黒タクでは車体側面の社名が「NIHON KOTSU GROUP」となっており、その下に各社の社名が英語表記されている。黄タクでは、社名が同様の表記であると共に、ボンネット・屋根上の赤帯が入っていないのが特徴。

  • 扇橋交通(江戸川区西小岩)
  • 大国自動車交通(三鷹市深大寺)
  • キャピタルオート(杉並区清水)
  • キャピタルモータース 本社営業所(杉並区清水)
    • キャピタルモータース 井草営業所(杉並区井草)
  • 恵豊自動車交通(大田区北馬込)
  • 三和交通東京営業所(板橋区赤塚新町)
  • すばる交通 本社営業所(足立区入谷)
    • すばる交通 北千住営業所(足立区千住旭町)
  • 蔦交通(葛飾区東金町)
  • 東京ひかり交通(大田区蒲田)
  • 東京ワールド交通(江戸川区北葛西)
  • 東洋交通(北区浮間)
  • 日交練馬(練馬区北町) ※旧・東武興業安全タクシー→東洋交通練馬営業所
  • 日生交通(練馬区三原台)
  • 春駒交通(北区浮間)
    • 春駒交通 練馬営業所(練馬区練馬)
  • 日立自動車交通第二(足立区綾瀬)
    • 日立自動車交通第三(葛飾区金町)
  • 美輝タクシー(葛飾区西水元)
  • 羽田交通(大田区京浜島)
  • 陸王交通 本社(板橋区中丸町)
    • 陸王交通 赤羽営業所(北区赤羽南)
  • ライオン交通(葛飾区青戸)
  • ワイエム交通(江東区新木場)

※太字は日本交通の連結会社

備考

日本交通の設立について

設立の経緯について

  • 第二次世界大戦時に政府の交通統制を受けて、1944年11月に警視庁から「都内約4500台のハイヤー・タクシーを四社に統合し、1社1000台を確保する」という通達(旅客自動車運送事業統合要綱)が出されたことによる[42]
  • 当時は、業界最有力であった京成電鉄の後藤圀彦社長が大がかりな業者吸収に着手していたが、当時共に単独で企業統合を行いながらも行き詰まっていた川鍋と東急とが手を携える形で、11社1個人による新会社設立を果たす。
1945年7月より11事業者が共同経営を開始、1945年8月には協心相互自動車(株)も参加した。
日本自動車交通設立母体各社
日東自動車(株)・東京タクシー(株)・高輪自動車(株)・日本相互タクシー(株)・東芝自動車(株)・鐘ヶ淵自動車(株)・帝国自動車(株)・東京安全交通(株)・錦興自動車(株)・鶴野定助<個人>・扇自動車(株)・協心相互自動車(株)
  • 統合の経緯に関しては、川鍋側と東急側で若干認識が異なっている。
統合のキーマンは川鍋であるが、実際は川鍋が大東急の力を借りて統合したものである。このため代表者として社長には川鍋秋蔵が就任して実権を掌握するが、会長に当初は東京タクシーの品川主計、後に東急副社長の立花栄吉と東急側の人間を据えており、当初主導権は東急側が握っていた。これは出資比率も関係していて、共同経営者の出資持分の大半を日交成立時までに東急が肩代わりしたのがその理由である。
1947年末頃には、川鍋側と東急側の対立による川鍋排斥運動[43]があったという。しかし川鍋秋蔵は五島慶太にその手腕[44]を見込まれており、五島は「実際に同社を執り仕切っている川鍋が自らオーナーとなって経営した方が良い」と判断して1951年川鍋に持株の大半を譲渡し、川鍋側へ正式に経営が肩代わりされた。
  • この一件に関して、当時の日交の業績から周囲より「五島が手放すには惜しい会社」と言われた。現在の日交社史等の記述が川鍋寄りなのはこのためである。

「大日本帝国」について

  • 同時期に成立した大和自動車交通帝都自動車交通、国際自動車の頭文字をとって「大日本帝国」と呼ばれる事がある。また、これは東京大手四社の意味も表し、四社共通カラーリングであるレモンイエローに赤帯、球型行灯[45]、四社共通チケットなど「東京四社営業委員会」を通じて営業的にも歩調を合わせている。

東急グループ・同業他社との関係

  • 歴史的な経緯から日交グループ形成後も東急グループの一員として列していたが、2000年頃には資本関係を解消し、東急グループからは完全に独立している。また、同じ東急をバックボーンとして戦時統合で発足した神奈川都市交通とは資本・人事・営業面などでほぼ関係が無く[46]、東京城南地区(都南交通)や箱根地区(箱根観光自動車)ではむしろ競合関係にある。
  • 大阪でタクシーやバスを運行している日本交通[47]とチケットの提携を行っている。この提携も個別の提携ではなく東京四社としての提携である。

歴代社長について

初代・川鍋秋蔵

  • 1899年8月28日に埼玉県北足立郡宮原村(後の大宮市、現:さいたま市北区)に9人兄姉の一人として生まれた。鉄道省大宮工場(現・大宮総合車両センター)に勤めたが、独立を志して20歳で上京し梁瀬自動車商会(現:ヤナセ)でタクシー乗務員となり、後に独立を果たす[48]
  • 1947年、出身地である大宮市の市議会議員に当選。同年には宮原小学校へプールの寄贈を行っている。現在も宮原駅前には川鍋の胸像が建っている。
  • 戦時統合による企業統合を進めていた当時、小山亮元代議士の紹介で、当時運輸通信大臣から東京急行電鉄の会長に返り咲いたばかりの五島慶太の知るところとなり、東急系のタクシー会社でやはり企業統合を進めていた東京タクシー300台との連携に成功し、日本交通の設立を果たせた[49]。日本交通設立後の戦後事業復興にあたっても、五島慶太による川鍋への後援は非常に大きく、1955年に東急グループが自動車産業への進出を決定した際には、日本自動車工業(後の東急くろがね工業)の社長就任を川鍋に依頼している。没後は、東急グループ所有の神社である東横神社[50]に合祀された。
  • 1960年4月、それまで三団体に分裂していた東京のタクシー業界を一本化し、東京乗用旅客自動車協会を発足させたほか、二つ存在していた全国組織も同年7月に統一させ全国乗用旅客自動車連合会も発足させ、当時社会問題になっていた「神風タクシー」に対して業界の体質改善運動を行なった。
  • 1970年代初頭に問題となった、タクシー不足による乗車拒否、乱暴運転の横行に対しても、業界の体質改善に取り組み、同時に「タクシー下駄・靴論議[51]」を展開し、業界の不祥事続発の根源の一つは本来は多少ぜいたくな乗り物であるタクシーが長年低い料金に抑えられていることによると主張し、マスコミを通じて一般利用者にも理解を求め、東京タクシー近代化センター(現:東京タクシーセンター)設立への流れを作った。
  • 日本交通というハイヤー・タクシー業を経営し、その業界発展に尽力するかたわらで、アジア石油(現:JX日鉱日石エネルギー)において石油の精製・販売業の経営、東急くろがね工業において自動車製造業の経営と、自動車産業の川上統合の可能性も有していたといえるが、これは川鍋が実業家・政治家として自動車産業を通じて日本の産業の復興と発展を志していたことの表れである。
  • 交通事業を中心に実業界各方面の発展に尽くした功績から、1960年運輸大臣賞、1961年藍綬褒章、1969年9月に勲二等瑞宝章、1980年5月に勲二等旭日重光章を受章している。
  • 日本電信電話公社経営委員会委員も務めた。
  • 1983年9月30日没、享年84。

2代目・川鍋達朗

  • 1938年1月29日生まれ。
  • 1963年1月に取締役選任により入社。1983年10月社長就任。アメリカ留学で得た経営感覚で、それまでの古い体質から近代的組織への変革に尽力した。特に、1982年にはTQCを導入し、乗務員の組織単位である「班」をQCサークルとして機能させサービス品質を改善・標準化し、社内の管理・営業体制の改革を推進した。
  • また、経営の安定化を目指して、ハイヤー・タクシー事業以外にも事業の柱を構築すべく、新分野への進出を推し進める。具体的には、ハイヤーのノウハウを生かせるレジャー産業や、所有不動産(営業所用地)の有効活用を図れる不動産事業への進出であり、多角化による分社経営を効率的に統括する「総本社構想」であった(下記「関連事業「日交グループ」について」参照)。
  • 2005年8月30日会長就任するが翌8月31日に没、享年67。 

旧・関連事業「日交グループ」について

  • 以前は30社近くの企業により「日交グループ」を形成し、「限りない信頼を未来につなぐ日交グループ」のキャッチコピーの下、グループで統一的なコーポレートアイデンティティを構築し総合サービス業を目指していた。グループ各社の持つ有形・無形の資産(不動産や営業ノウハウ)を有効活用・高度利用しながら各社の相乗効果を狙うものであり、実績として一定の評価も得てはいた[52]ものの、結果的には充分に相乗効果を活かしきれず、加えてバブル崩壊という社会情勢の変化もあり、事業再構築の中で運輸事業のみに専念することとなる。2000年頃から数年間にわたり、ハイヤー・タクシー関連以外の関係会社を全て売却・閉鎖し、自社及びグループ会社所有の不動産も一部を除き全て売却した。

現在も残る元関係会社

  • 観光バス部門は、1998年より日本交通観光バス株式会社として分社化されていたが、2005年に全株式がジェイ・コーチに買い取られジェイ・コーチグループに加わった(現:ニッコー観光バス)。
  • 一時期 アジア石油の経営に参加していた関係から、JX日鉱日石エネルギー系列のアジア商事、昭和シェル石油系列の安全石油[53]といったガソリンスタンド会社がある[54]
  • 1996年、東京・芝浦に「ニューサテライトホテル」を開業したが、2000年にJALホテルズに運営委託、「ホテルJALシティ田町 東京」となる。2002年には経営権も別会社に譲渡されている。
  • 「千葉夷隅ゴルフクラブ」、「那須黒羽ゴルフクラブ」、米国カリフォルニア州「San Juan Oaks GOLF CLUB」[55]の各ゴルフ場。
  • スキー場および宿泊施設「白馬ハイランドヴィレッジ」。
  • 日交オーシャンパーク(沖縄瀬良垣ビーチ、沖縄コーラルヴィレッジ)は全日空に売却され、万座ビーチリゾートになる。
  • 日本で最初のピザ専門店「ニコラス」(ニック・ザペッティ経営)にチェーン展開をもちかけ、負債の代物返済として店舗を取得し[56]、東京赤坂ほかで運営。
  • 日交ファシリティマネジメント(ビル管理業)、現:共立メンテナンス
  • 日本建設コンサルタント(建設コンサルタント業)、現:いであ
  • 日本シューター(エアシューター製造業)

廃業した関係会社

玩具について

THEカーコレクション

  • 2004年発売「THEカーコレクション」第1弾シークレット(プリンスグロリア スーパー6=ハイヤー・タクシー、日産セドリック デラックス=タクシー)
  • 2005年発売「THEカーコレクションHG」日本交通セット(同上)
  • 2010年発売「THEカーコレクション」第12弾 現代の街角編(トヨタ・クラウンセダン=黒タク・四社カラー)

THEカーコレクション80

  • 2006年発売「THEカーコレクション80」第1弾 トヨタクラウンセダン(黒タク・四社カラー)
  • 2007年発売「THEカーコレクション80」第4弾 日産セドリック5代目・430型、日産ブルーバード6代目・910型[64](ともに四社カラー)

トミカリミテッドヴィンテージ

  • 2004年発売「トヨタクラウンRS40型」(タクシー・旧四社カラー)
  • 2007年発売『日本交通 2MODELS』初代セドリック、2代目グロリア(ともにタクシー・旧四社カラー)
  • 2008年発売『日本交通 2MODELS Vol.2』セドリック130型スタンダード(タクシー・四社カラー)、グロリアPA30型スーパーDX(ハイヤー・日交カラー)
  • 2010年発売予定『日本交通 2MODELS Vol.3』日産グロリア230型(タクシー・四社カラー、ハイヤー・日交カラー)

全国タクシー物語(チョロQ入り入浴剤)

  • 2005年発売 第1弾、チョロQ(タクシー・四社カラー)昼バージョン、夜バージョン

チョロQ

  • 2008年 黒タク(創業80周年記念として制作、一般発売なし)

1/43 アンチモニー製ミニカー アドバンスピリット

  • 2008年発売 230型セドリック、330型セドリック(以上タクシー・四社カラー)、プレジデント、センチュリー(以上ハイヤー)
  • 創業80周年記念として制作され、II ADO COMPANY(アイアイアド・カンパニー)より販売されたもの。

1/64 GULLIVER64 東京のタクシーシリーズ

  • 2010年発売 クラウンGパッケージ(タクシー・四社カラー)

1/64 タルガ タクシー倶楽部

  • 2010年発売 クラウンGパッケージ(タクシー・四社カラー)

1/32 シー・シー・ピー プレイキャスト

  • 2010年発売 クラウンGパッケージ(タクシー・四社カラー)

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:Suica
  1. 「にっぽんこうつう」「NIPPON KOTSU」あるいは「NIPPON TRAFFIC」と表記もしくは称される時期もあったが、現在は「にほんこうつう」「NIHON KOTSU」とするのが正式である
  2. 日経MJ第31回サービス業総合調査ハイヤー・タクシー部門第1位
  3. タクシーの再編が加速 『日本経済新聞』 平成23年6月17日東京夕刊
  4. 2005年9月30日付で日本交通観光バス株式会社の株式が(株)ジェイ・コーチへ売却されている。『日本交通社史 桜にN 走り続けて80年』(日本交通株式会社 社史編纂プロジェクトチーム、2008年10月発行)参照
  5. トミカリミテッドヴィンテージで製品化された[1]
  6. 以前は四社カラー、グレーのワゴン車両も存在した。
  7. 四社カラーのみ。
  8. 旧制服では女性用のみベストがあった。
  9. 観光バス部門は6月より。
  10. 男性用は二つボタン、女性用は三つボタン。
  11. 当初はタクシーのみセピア色。
  12. 1954年10月からは清潔感を与えるために四季を通じてつけるようになった。
  13. サービス産業生産性協議会「ハイ・サービス日本300選」受賞企業・団体事例集参照。
  14. トンボ自動車での同居営業。
  15. 業界初のアイディアで、その後全車に普及。
  16. 本社は小田原市にある、1946年7月設立の休眠会社。1950年10月に買収。
  17. 1948年5月設立の後楽園資本で、東急から観光バス事業を承継。
  18. 発行株式の5割超。
  19. 1950年8月設立、本社・埼玉県大宮市(現:さいたま市)。
  20. ブルーとグレーの二色。
  21. 1952年12月、埼玉タクシーを改称。
  22. 1962年に事業形態を変更し、日本交通観光株式会社として旅行業を営業開始する。
  23. 『財界』1959年12月1日号参照
  24. 当初はカペラその後はカスタムキャブクルーコンフォート
  25. これと引き換わる形でハイグレードタクシー仕様による「黒タク」を営業開始。
  26. 本社・北区赤羽。現在の赤羽営業所とは無関係。
  27. 多摩日交から商号変更。
  28. 本格稼働は7月から。
  29. ただし当分の間は独自カラー車も営業。
  30. 2010年4月26日より7月末までの予定で運行を開始したが、11月19日まで運行を延長。ただし8月はメンテナンスのため運休し9月から再開。
  31. 実際の営業開始は2010年5月10日から。
  32. 日本交通小田原、日本交通立川、大和自動車交通は導入準備中でまだ使用できない。
  33. ただし当分の間はチェッカー車も営業。
  34. ただし日本交通グループ化は5月31日から。当分の間はチェッカー車も営業。
  35. ただしいずれも当分の間は共同無線カラー車や帯なしレモンイエロー色の車も営業。
  36. ただし当分の間はEM無線カラー車も営業。
  37. 全車両黒塗り。
  38. Android端末対応のアプリは、2011年2月より配布開始される。
  39. 日本交通グループの約7,000名の乗務員から選抜され専門知識を学んだ精鋭乗務員(エキスパート・ドライバー)が送迎を行うサービス。タクシーに時間制運賃を適用し、乗務員を数人で固定するのが特長。観光タクシー、ケアタクシー、キッズタクシーの3部門がある。
  40. ただし当分の間は無線機は搭載しない。
  41. 千住第一営業所と千住第二営業所は法人格が別であるが、同所に併設されているため、一般には「千住営業所」一本で呼称している。
  42. いわゆる戦時統合による成立。
  43. 当時の重役間の内紛から労組幹部と結びついた東急系重役が川鍋の排斥運動を激しく展開し、川鍋の脱税行為を国税庁に密告するほどの抗争劇であった。
  44. 周囲からは小佐野賢治大川博とともに「五島門下生」と並び称されるほどであった。
  45. ランプ色は日本交通・大和は白、帝都・国際は緑。
  46. 東京四社営業委員会とチケットの提携は行っている。
  47. 同名の別会社。同社グループの高速バスが東京都内に乗り入れているのでよく混同されるが、資本関係などは一切ない。会社の成り立ち自体が全く異なる。日本交通のQ&A"、2010年2月6日閲覧。
  48. 小田獄夫著『くるま人生―川鍋秋蔵』(1962年)より。
  49. 川鍋が五島慶太に実際に面会したのは、統合直後に小山亮元代議士に連れられて五島邸を訪問したのが初めてであることを、自著『流れる銀星』(1951年、文友社発行)で述べているが、それ以降「信仰的なまでの愛情」をもって五島慶太を敬愛していたとのことである。
  50. 横浜市港北区大倉山二丁目
  51. 選択性の強い個別輸送機関たるタクシーは、市民のゲタではなくクツであり、本来大量輸送機関とは扱いを異にされるべきという理論。
  52. 殊にグリーンクラブにおいては、千葉夷隅ゴルフクラブの(社)日本能率協会主催・サービス優秀賞特別賞受賞(1989年)、日本経営品質賞委員会主催・日本経営品質賞受賞(1997年)、那須黒羽ゴルフクラブの(財)日本科学技術連盟主催・第25回全日本選抜QCサークル大会金賞受賞(1995年)など。
  53. 同社は今日見られるようなガソリンスタンドを1918年に設置しており、ガソリンスタンドの草分け的存在である。
  54. その名残で、現在もアジア商事のLPガススタンドで日交のハイヤー・タクシーの燃料給油が行われている。
  55. 日交USA(ハワイ、カリフォルニアにおける不動産開発・賃貸事業)が1996年10月に開業させたもの。プロゴルファー・フレッドカプルスが設計した。
  56. 同社は1954年に「日本で初めてピザを紹介した店」として知られる。ホワイティング『東京アンダーワールド』角川書店
  57. 後年著名な自動車評論家となる小林彰太郎は横浜から溜池までこのモーリス・ミニ・マイナーを陸送している。
  58. 東京・後楽園と横浜山下町にて営業し、プロ野球阪神タイガースの定宿ともなっていたシティホテル。
  59. 板橋区前野町で営まれたボウリング場。102レーンあり、「サウナサテライト」併設していた。
  60. 小田急電鉄と共同経営。1989年5月に富士重工業へ売却、エースヘリコプターに社名変更の後に2002年解散している。
  61. 練馬区豊玉南3丁目。土地は売却され、現在はマンション「ルネアクアパークス」に改築。
  62. 品川区東大井1丁目。同社は自動車教習所業界のパイオニアである名門教習所として知られた。土地は売却され、現在は分譲賃貸マンション「東京ナイル」に改築。
  63. しかし川鍋秋蔵は「子供の頃から日本交通に親しんでもらえればいい」と考え、逆に会社で100台ほど買いクイズの景品にしたこともあったという。
  64. ブルーバードは日本交通では、実際には使用されていなかった。