大和自動車交通

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大和自動車交通のタクシー(黒タク、車種:クラウンセダン
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大和自動車交通のタクシー(4社カラー、車種クラウンコンフォート
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大和自動車交通のハイヤー(車種:セドリック

大和自動車交通株式会社(だいわじどうしゃこうつう、Daiwa Motor Transportation Co., Ltd.)は、東京都を拠点にハイヤータクシー事業と不動産事業を営む株式会社である。東京地区のタクシー事業者としては、日本交通帝都自動車交通国際自動車とともに「東京四社」を構成する大手事業者となっている。

2011年平成23年)6月には東京地区の中小タクシー事業者23社が加盟する中央無線をグループ化、車両台数がこれまでの3倍超の2,400台規模となった[1]

概説

初めは1939年昭和14年)、東京・中野で創業し、戦中・戦後のタクシー会社統廃合のなかで当時業界随一の大手となった。タクシー会社では数少ない公開会社として東京証券取引所第二部に上場している一方、創業者一族(新倉家)が親子3代に渡って社長を務めるなどオーナー会社的な側面もある。

東京都内に6ヶ所の事業所を持ち、タクシー436台、ハイヤー214台などを配車し[2][3]、1,547名の従業員を擁する(2011年3月末現在)[2]。さらに、2011年平成23年)の中央無線のグループ化によって車両台数を2,400台規模まで増加、東京地区最大手の日本交通(3,170台)やKmホールディングス(3,050台)に近い規模を実現することとなった[1]

商標は二重丸に和のマーク。主要な営業所・ビルを自社保有すると同時に、子会社に燃料販売商社保険代理店、自社ビル管理を主な事業とする不動産管理会社を有し、ハイヤー・タクシー事業のバリューチェーンをグループ内で完結させている。不動産業においては、賃貸ビルを5ヶ所に所有している[2]

歴史

  • 1939年 - 新倉文郎により中野相互タクシー株式会社として東京都中野区に創業[4]
  • 1945年 - 大和自動車交通株式会社に改称。
  • 1961年 - 新倉文郎の長男・新倉尚文が社長に就任。
  • 1996年 - 中央無線に加盟していた真和タクシーを事業譲受、大和交通とする。
  • 1997年 - 共同無線に加盟していた柏自動車を事業譲受、大和タクシーとする。
  • 2000年 - 創業時からあった中野営業所の敷地を売却し、江東営業所に統廃合。
  • 2005年 - 板橋営業所の敷地を売却し王子営業所に、世田谷営業所の敷地を売却し羽田第一営業所に移転改称。
  • 2007年 - 新倉尚文の長男・新倉能文が社長就任。
  • 同 - ハイヤーの新橋営業所が銀座東営業所に改称。渋谷営業所が廃止され、新宿案内所が開設。
  • 2010年 - 大和自動車教習所(小金井市前原町)を廃止。本社を中央区銀座から江東区猿江に移転。ハイヤーの銀座東・日本橋・五反田・羽田・大手町営業所と新宿案内所、タクシーの府中営業所を廃止。
  • 2011年 - 王子営業所を廃止。大和タクシーと大和交通が合併し大和自動車王子となる。
  • 2012年 - チェッカーキャブ無線を脱退した盈進自動車を含む中央無線各社と業務提携。
  • 2014年 - タクシー営業所(江東・羽田・立川)を分社化。

営業所(車庫)の所在地

ハイヤー営業所

タクシー営業所

福祉営業所

  • 中央福祉営業所(中央区銀座)

連結子会社

  • 株式会社スリーディ(不動産事業:中央区銀座)
  • 大和物産株式会社(石油小売業、保険取次業:江東区白河
  • 日本自動車メーター株式会社(計器類製造販売:江東区猿江)
  • 大和工機株式会社(金属製品製造業:山梨県笛吹市一宮町東原)
(以上、2010年7月31日現在)

脚注

  1. 1.0 1.1 タクシーの再編が加速 『日本経済新聞』 平成23年6月17日東京夕刊
  2. 2.0 2.1 2.2 会社概要 大和自動車交通株式会社ウェブサイト、2012(平成24)年5月19日閲覧。
  3. グループ全体(連結)での保有・配車台数については、最新の平成24年3月期 決算短信 テンプレート:PDFでは、平成24年3月末時点でタクシーが747台、ハイヤーが214台と案内されている。
  4. 代表吉村金吉『帝国銀行会社要録. 昭和18年(31版)』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)

外部リンク

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