放駒部屋

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放駒部屋(はなれごまべや)は、かつて日本相撲協会に所属していた二所ノ関一門の相撲部屋

沿革

1979年(昭和54年)1月場所限りで引退して花籠部屋の部屋付き親方に就任していた年寄・17代放駒(元大関魁傑)が、1981年2月1日付で大ノ国ら数名の内弟子を連れて花籠部屋から分家独立して放駒部屋を創設した。

1985年12月には12代花籠(元横綱・輪島)が自身の年寄名跡を借金の担保にしていた問題の責任を取って廃業したために閉鎖された花籠部屋から所属力士を引き取った。1980年代には横綱・大乃国や小結花乃湖などの関取を輩出したものの、1990年代に入ってからは部屋の勢力が衰え、2001年1月場所において新十両へ昇進した駿傑が部屋最後の関取となった。

2013年2月15日に17代放駒が停年退職を迎えることに伴い、同年2月7日付で放駒部屋は閉鎖され、所属力士や行司ら12人は芝田山部屋へ移籍した。[1]この中には、のちに十両に昇進した若乃島も含まれている。なお17代放駒は2014年5月18日に急逝した。

現在、放駒の名跡は、片男波部屋の部屋付き親方のひとりである元関脇・玉乃島が引き継いでいる。

最終所在地

師匠

  • 17代:放駒 輝門(はなれごま てるゆき、大関・魁傑、山口

力士

(※は花籠部屋からの移籍組)

横綱・大関

横綱

幕内

小結
前頭

十両

脚注

テンプレート:Reflist

テンプレート:相撲部屋
  1. 間垣部屋閉鎖、放駒部屋力士は芝田山部屋へ SANSPO.COM 2013年2月7日閲覧