承継銀行

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承継銀行(しょうけいぎんこう)とは、合併清算等に伴い金融機関の業務を受け継ぐ受け皿銀行のことを指す。特に、預金保険法等においては、破綻した金融機関の業務を一時的に受け継ぐために、設立される銀行のことを指す。

概要

預金保険法第91条により、破綻した金融機関に対して法で定められた期間内に受け皿金融機関が現れないときに、その破綻金融機関の取り引き先の連鎖破綻等の金融秩序の崩壊を防止するために受け皿となり、業務を一時的に引き継ぐ事を目的とした公的受け皿銀行(ブリッジバンク)を、預金保険機構が全額出資する子会社として設立することが認められた。金融再生法第27条により、2001年3月までの時限措置として導入されたが、2000年の預金保険法改正で恒久立法された。

預金保険機構の子会社の位置ではあるが、銀行免許を取得後、銀行法上の銀行として扱われるものである。取り引き関係等は維持され融資や預金等の業務も行われ、不良債権を除いた債権が引き継がれる。

これは原則2年、最大3年に限って存続が認められる。最終的な受け皿金融機関(再承継銀行)に事業を承継し、承継銀行は清算される。最終的な受け皿金融機関が存在しない場合は、承継銀行は解散することになる。

これまでに、実際に株式会社日本承継銀行株式会社第二日本承継銀行が設立されている。

2012年の預金保険法改正により、整理回収機構に承継銀行業務を行う機能が追加された。

実際に設立された承継銀行

日本承継銀行

テンプレート:Infobox 株式会社日本承継銀行は、2002年3月11日に設立され、同年3月19日に銀行業及び担保附社債信託業の免許を受けた承継銀行である[1]

概要

破綻した石川銀行(2001年12月28日経営破綻)および中部銀行(2002年3月8日経営破綻)の受け皿銀行として、2002年3月28日に両行から営業譲受契約を締結し、最終的な引受先に譲渡されるまでの一瞬の受け皿となった[2]。これらはいずれも、預金保険法上の特別資金援助(いわゆるペイオフ凍結)の時限措置を受けるための手続きであり、実際の業務は再承継先との基本合意契約と譲渡契約以外ほとんど行われていない。[3]

最終的には、石川銀行の事業は、2003年3月24日に営業譲渡が行われると同日付で北陸銀行北國銀行富山第一銀行金沢信用金庫・能登信用金庫(現・のと共栄信用金庫)の5行に、中部銀行の事業は、2003年3月3日に営業譲渡が行われると同日付で清水銀行静岡中央銀行東京スター銀行の3行に、それぞれ譲渡され、日本承継銀行は役目を終えた[4]

この処理が終了した後、預金保険法により2004年3月日本承継銀行は清算法人となった。

第二日本承継銀行

テンプレート:Main 日本承継銀行が清算となったため、これに代わるセーフティネットとして、金融機関の処理を円滑に進めるため、2004年3月1日に、預金保険法第92条に基づき、預金保険機構により株式会社第二日本承継銀行が代わって設立された。これは、最初に引き受ける破綻金融機関が破綻してから、2年に限って存続が認められる(1年の延長が可能)。

2010年9月10日に、日本振興銀行が破綻したことを受け、日本振興銀行との間で事業譲渡の基本合意書を締結。他の引き受け先が無い場合2011年4月25日に同行から事業譲渡を受ける[5]。よって2012年9月10日までが存続期間となっていたが、2011年12月26日にイオン銀行に売却され、イオンコミュニティ銀行となった。

外部リンク

出典・脚注

  1. 銀行業の免許等について 金融庁・平成14年3月19日報道発表
  2. 株式会社日本承継銀行が株式会社石川銀行及び株式会社中部銀行の営業の譲受け等を行うべき旨の決定について 金融庁・平成14年3月28日報道発表
  3. 金融破綻処理の手続法的考察 : わが国の実務および米国法の視点から 46-48ページ
  4. http://www.dic.go.jp/katsudo/hatanshori/index.html
  5. 第二日本承継銀行による日本振興銀行の預金の引継ぎについて 預金保険機構

外部リンク