中部銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 銀行

株式会社中部銀行(ちゅうぶぎんこう)はかつて存在した第二地方銀行統一金融機関コードは0539。本店は静岡県静岡市(現・静岡市葵区)。企業ロゴは「ちゅ~ぶ」であった。破綻時の業容は、預金量2498億円、貸出金3808億円、店舗数44店舗、従業員653名であった。破綻時の頭取は栂井尚志(元日本銀行三洋証券)。

銀行概要

1916年4月に西遠無尽株式会社として設立。1952年7月相互銀行法の施行により株式会社中部相互銀行に商号変更、後に、帝産グループが大株主として経営に参画。1989年2月普通銀行に転換し中部銀行と改称した。東京証券取引所に上場する予定だった。

破綻の経緯

バブル期の拡大戦略が裏目に出て多額の不良債権が発生。その後、日本銀行より二代続いて頭取を招請し、経営改善を図る。2000年に旧帝産グループ(石川良並)が手を引きオーナー経営から離脱した。さらに、2000年10月、協栄生命(現・ジブラルタ生命)の破綻により48億4600万円の特別損失が発生、2001年3月、35億円の第三者割当を実施し資本を増強した。

2001年11月の金融庁検査の結果、2000年9月末の自己資本比率が単体で3.05%、連結で2.63%に悪化。2001年12月28日に早期是正措置発動を受け、信用不安をかき消そうと、2002年1月14日に国内の証券系企業200億円程度の増資の折衝を行う経営改善計画を発表、地元紙一面に全面広告を掲載し「増資後の自己資本比率は10%以上に」とPRした。しかし、実情として増資計画は行き詰まっていたにもかかわらず基本合意に達したと広告したことから、2002年3月5日に金融庁から業務改善命令を受けた。

この結果、2001年から続いていた預金流出に一層拍車がかかり、預金流出は多い日で1日に10億円程度、業務改善命令の発動直後は20億円程度に跳ね上がり、結局、早期是正措置発動からわずか2ヵ月間に預金量の1割以上の445億円が流出した。2002年3月7日には臨時株主総会を開催し増資を決議、払込みが予定通りに進めば、2002年3月期末の自己資本比率は単体、連結とも健全性の目安となる4%台を回復するはずだったが、信用不安は解消せず、預金流出は続き、増資の引き受けもままならなかった。

結果、2002年4月のペイオフ解禁後にさらに信用不安が拡大するのは必至と判断、2002年3月8日預金保険法第74条第5項の規定による申出がなされ、破綻処理を申請した。後の金融庁検査で、破綻時は▲281億円、自己資本比率は▲10.77%の債務超過が判明する。

破綻後は日本承継銀行を経て、静岡県内の支店は清水銀行静岡中央銀行に、神奈川県東京都の支店は東京スター銀行に営業譲渡された。

本店の跡地は、土地がつながっていた愛知銀行旧静岡支店の跡地と合わせた土地に清水銀行の静岡支店が建てられた。

沿革

  • 1916年4月 西遠無尽株式会社として、浜松市(現・浜松市中区)に設立。
  • 1946年10月 本店を静岡市(現・静岡市葵区)に移転。
  • 1952年7月 相互銀行に転換、株式会社中部相互銀行に商号変更。
  • 1989年2月 普通銀行に転換、株式会社中部銀行に商号変更。
  • 2002年3月8日 預金保険法第74条第5項の規定による申出がなされ、破綻。
  • 2003年3月3日 営業譲渡。
  • 2003年3月28日 会社解散。
  • 2009年2月27日 清算終了。3月9日付で登記簿が閉鎖(法人格抹消)。93年の歴史に幕を下ろす。

関連項目

外部リンク

日本銀行総裁談話・中部銀行について 2002年3月8日 - 中部銀の経営破綻に関するコメント。