徳陽シティ銀行
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株式会社德陽シティ銀行(とくようシティぎんこう)は、かつて営業していた日本の第二地方銀行である。宮城県仙台市青葉区国分町に本店があった。1997年(平成9年)11月26日に経営破綻。当時の銀行コードは「0511」であった。
概要
1994年(平成6年)4月20日に、殖産銀行(現:きらやか銀行)と北日本銀行との3行合併を発表したが、北日本銀の行員から徳陽との合併に強硬に反発する声があがり、合併は破談となった。これが契機となり、1997年(平成9年)11月26日に経営破綻した。また同月には、「三洋証券」(11月3日)、「北海道拓殖銀行」(11月17日)、「山一證券」(11月24日)と、金融機関の破綻が実に4件も相次いで起こるという、日本金融史上例を見ない「金融システム危機」の時期であった。
1998年には、殖産銀行(現・きらやか銀行)、福島銀行、大光銀行の3行と勘定系システムを共同化し、日本ユニシスのパッケージ・ACROSS21(ソフトウェアに、同社のTRITONを採用)への4行同時移行を目処としていたが、当行が経営破綻となったため、残る3行によって勘定系共同化を行う形となった。
営業譲渡まで、古川市(現在は大崎市)などが指定金融機関としていた。
沿革
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 宮城無尽・太陽無尽・東北無尽の三社が合併し、「三徳無尽」として設立される。
- 1951年(昭和26年)10月 - 相互銀行化に伴い、「株式会社德陽相互銀行」に商号変更。
- 1975年(昭和50年) - 東京証券取引所に上場(使用していた証券コード:8547)。
- 1990年(平成2年) - 8月 第二地方銀行となる。商号を「株式会社德陽シティ銀行」に変更。
- 1992年(平成4年) - 3月 台原森林公園隣接地にあった同行研修所跡地を仙台市に売却(のちに仙台文学館が建設された)。
- 1994年(平成6年)3月 - 「1995年(平成7年)をもって、北日本銀行および殖産銀行と合併し、新名称を『平成銀行』とする」と発表したが、後に徳陽シティ銀行の財務内容がネックとなり、破談となる。
- 1997年(平成9年)11月26日 - 経営破綻。仙台銀行、七十七銀行、北日本銀行などに営業譲渡を決定。
- 1998年(平成10年)11月16日 - 営業を終了。
- 1999年(平成11年)1月24日 - 会社解散に伴い、清算業務開始。
- 2002年(平成14年)4月25日 - 清算結了。
- 2002年(平成14年)5月2日 - この日をもって登記簿も閉鎖される。
モデル小説
関連項目
外部リンク
- 日本銀行総裁談話・徳陽シティ銀行について 1997年11月26日 - 德陽シティ銀行の経営破綻に関するコメント。