山梨交通モハ7形電車

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ファイル:Enoshimadentetsu 801.jpg
山梨県南巨摩郡富士川町の利根川公園に保存されている江ノ電801
(元山梨交通モハ8・2006年5月)

山梨交通モハ7形電車(やまなしこうつうモハ7がたでんしゃ)は、山梨交通1948年昭和23年)に新製した電車制御電動車)である。

後年山梨交通電車線の廃止に伴い上田丸子電鉄(後の上田交通)へ譲渡されてモハ2340形として運用されたのち、同社丸子線の廃止に伴って江ノ島鎌倉観光(現・江ノ島電鉄)へ再び譲渡され、800形として導入された。

山梨交通モハ7形

1948年(昭和23年)に汽車製造会社東京支店で7・8の2両が製造された2軸ボギー車。性能は同社が開業時に製造したモハ1形に準じ、主電動機は出力50PS東洋電機製造TDK-525-2を4基装備する。

車体はモハ1形に比べやや長い全長13.8mの半鋼製車体で、側面両端に乗務員用扉を設け、その隣に片開き扉があり、扉間には12枚の上段固定下段上昇窓を配していた。

廃止まで使用され、廃止翌年の1963年に上田丸子電鉄に譲渡された。

上田丸子電鉄モハ2340形

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江ノ島鎌倉観光800形

1971年(昭和46年)6月、801-802の2両編成1本(2両)が登場、600形と並び、輸送力増強のための大型車として期待された。

元々山岳線向け車両であったため江ノ電内では出力過多であり、そのため1両あたり4台あった主電動機(モーター)を2台外して就役させた。また、この800形は山梨県、長野県と寒冷地を走行していた関係で暖房器を装備しており、江ノ電初の暖房付き車両となった。

1974年(昭和49年)に藤沢駅高架化工事が行われると、勾配対策として外してあった主電動機が元に戻され、翌1975年(昭和50年)には3扉化改造され輸送力の大きい大型車体の連結車として重宝された。

しかし狭い運転室と、車体の大きい連結車であるが故に重連運転ができなかったこと、そして戦後混乱期に落成した車両ゆえに電気機器の劣化が他の車両よりも激しかったことも重なり、1000形1501編成の登場と入れ替わりに除籍された。

廃車後、801は山梨県南巨摩郡富士川町利根川公園に、802は静岡県裾野市十里木高原別荘地内に、それぞれ静態保存され現存する。

車歴

  • 1948年(昭和23年)- 山梨交通モハ7形7, 8として汽車製造にて製造。
  • 1962年(昭和37年)- 山梨交通電車線廃止に伴い上田丸子電鉄に譲渡。モハ2340形2341, 2342として丸子線で運用。
  • 1971年(昭和46年)- 丸子線廃止に伴い江ノ電に譲渡。2両固定編成に改造して運用開始。なお、車両間の貫通路は江ノ電のカーブ半径の関係で設置されなかった。
  • 1974年(昭和49年)- 藤沢駅の高架化に伴い、モーター出力増強(元に戻す形となる)。
  • 1975年(昭和50年)- 3扉化改造。
  • 1982年(昭和57年)- 日中合作映画未完の対局」撮影のため、青+黄の「青電」塗装に変更。
  • 1984年(昭和59年)- 茶色+クリームの「チョコ電」塗装へ変更。
  • 1986年(昭和61年)- 廃車、形式消滅。

参考文献

テンプレート:上田電鉄の車両 テンプレート:江ノ島電鉄の車両

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