小笠原信之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 武士 小笠原 信之(おがさわら のぶゆき)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将大名武蔵本庄藩初代藩主。下総古河藩初代藩主。信嶺系小笠原家初代。

生涯

元亀元年(1570年)、三河国徳川四天王の一人・酒井忠次の三男として生まれる。少年の頃より徳川家康に仕え、小田原征伐の際には父と共に参戦している。

天正16年(1588年)、伊那小笠原氏の当主・小笠原信嶺の娘を娶ってその養嗣子となり、慶長3年(1598年)、養父の死により家督を継いで本庄藩初代藩主となる(家康の命により養嗣子になったとされる)。徳川秀忠上杉景勝の討伐に従い、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、信州上田城攻めにも加わっている。この頃、実父忠次の為に円心寺を建立した。十数年の間本庄を領していたが、慶長17年(1612年)になると古河へ加増移封された(これにより本庄藩は廃藩となった)。慶長19年(1614年)に死去。享年45。死後、その家督は長男の政信が継いだ。

関連項目

テンプレート:本庄藩主 テンプレート:古河藩主