小出吉政

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テンプレート:基礎情報 武士 小出 吉政(こいで よしまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将大名但馬出石藩主のち和泉岸和田藩2代藩主。出石藩小出家2代。

生涯

岸和田藩初代藩主・小出秀政の長男。従兄の豊臣秀吉に仕え、天正18年(1590年)、小田原征伐に従軍した。文禄2年(1593年)、播磨国龍野城2万石の城主となる。次いで文禄4年(1595年)には、但馬国有子山城城主となる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いのとき、父・秀政と共に西軍に属し、細川幽斎が守る丹後国田辺城攻撃に参加したが、弟の秀家が東軍に属して関ヶ原本戦で活躍したため、戦後に6万石の所領を安堵された。

皮肉な事に慶長8年(1603年)に秀家が父に先立って病死し、翌年に秀政が死去すると、吉政は父の遺領である岸和田に移り、出石は長男の吉英が領することとなった。慶長18年(1613年)、大坂の陣の前年に49歳で死去した。


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