安川加壽子
テンプレート:Portal クラシック音楽 安川 加壽子(やすかわ かずこ、1922年2月24日 - 1996年7月12日)は、1940年代から活躍した日本のピアニスト。旧姓、草間。独身時代は草間 加壽子(くさま かずこ)として活動していた[1]。
兵庫県武庫郡深江(現・兵庫県神戸市東灘区深江)生まれ[2]。父、草間志亨は国際連盟事務局などに勤めた外交官、母は世良[3]。1923年からパリで育ち[4]、当時のフランスで最も新しい流儀を身に付け、帰国後は日本の楽壇の中心人物として演奏活動、教育活動を行った。
略歴
- 1923年 - 一家で渡仏[5]。
- 1934年 - パリ国立高等音楽院ピアノ科本科入学、ラザール・レヴィに師事。
- 1937年 - 音楽院一等賞卒業。
- 1939年 - 国際情勢悪化のため帰国。1940年国内でのデビューリサイタル。
- 1944年 - 国文学者・安川定男と結婚[6]。二男一女をもうける。
- 1983年 - リウマチの悪化により引退。
受賞歴
- 1937年 - パリUFAM国際婦人コンクール名誉賞
- 1947年 - 芸術祭文部大臣賞
- 1953年 - 毎日音楽賞
- 1959年 - 学術シュバリエ勲章(フランス政府)
- 1960年 - 文芸オフィシェ勲章(フランス政府)
- 1967年 - レジオン・ドヌール・シュバリエ勲章(フランス政府)
- 1970年 - 第21回放送文化賞
- 1972年 - 第13回毎日芸術賞
- 1975年 - 第31回日本芸術院賞
- 1984年 - ポーランド国家功労金章
- 1986年 - 第2回東京都文化賞受賞、有馬賞(NHK交響楽団)
- 1993年 - 勲二等瑞宝章「春の叙勲」
- 1994年 - 文化功労者顕彰
審査員歴
- 1971年 - ロン=ティボー国際音楽コンクール審査員
- 1973年 - ジュネーヴ国際音楽コンクール審査員
- 1975年 - エリザベート王妃国際音楽コンクール審査員
- 1976年 - ハエン国際音楽コンクール審査員
- 1977年 - クリーブランド国際音楽コンクール審査員、ロベール・カサドシュ国際ピアノコンクール審査員
- 1978年 - エリザベート王妃国際音楽コンクール審査員
- 1980年 - ショパン国際ピアノコンクール審査員、日本国際音楽コンクール運営委員および審査員
- 1981年 - ロン=ティボー国際音楽コンクール審査員
- 1982年 - サンタンデール国際ピアノコンクール審査員
- 1983年 - 日本国際音楽コンクール運営委員および審査員
- 1985年 - シドニー国際ピアノコンクール審査員、クリーブランド国際音楽コンクール審査員
- 1986年 - 日本国際音楽コンクール運営委員長
- 1987年 - エリザベート王妃国際音楽コンクール審査員
- 1988年 - モントリオール国際音楽コンクール審査員
- 1991年 - エリザベート王妃国際音楽コンクール審査員、浜松国際ピアノコンクール運営委員および審査員長
役職歴
日本芸術院会員、芸術家会議会長、日本演奏連盟理事長、日本ピアノ教育連盟会長、日仏音楽協会会長、フランス語教育振興協会会長、NHK交響楽団評議員、日本フィルハーモニー交響楽団理事、日本ショパン協会会長、日本フォーレ協会会長、日本音楽コンクール委員・審査員、日本国際音楽コンクール運営委員長、ABC音楽振興財団審査員長、シンフォニーホール賞委員、日本芸術文化振興財団委員、芸術研究振興財団理事。三菱文化振興財団理事、日本ユニセフ協会評議員、東京文化会館運営審議会委員、東京芸術劇場運営審議会委員、東京藝術大学名誉教授、桐朋学園大学客員名誉教授、大阪音楽大学客員教授
教育版
戦後、ドビュッシーの楽譜の輸入版が高価すぎることや、フランス直伝の教えを受けられない人々のために、ドビュッシーピアノ独奏作品全集を分冊の形で音楽之友社から出版した。運指やペダリングは独自のものが書かれており、現在でも使えると主張するピアニストテンプレート:誰も少なくない。安川の没後に欠番であった連弾・2台ピアノのための曲集も出版された。
評伝
門弟の青柳いづみこが、『翼の生えた指 評伝安川加壽子』(白水社、1999年(第9回吉田秀和賞受賞)/白水Uブックス、2008年)を著している。