大野城 (尾張国知多郡)

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テンプレート:出典の明記 大野城(おおのじょう)は、現在の愛知県常滑市金山の伊勢湾を望む小高い丘陵(青海山)にあった城郭。「宮山城(みややまじょう)」とも呼称される。

歴史

観応年間(1350年)ごろに三河国守護一色範氏知多半島に勢力を伸ばし、その子一色範光が伊勢湾を見下ろすこの城を築き、大野湊を中心とした伊勢湾の海運を手中に収める。

しかし、一色氏は将軍足利義政と対立し、三河守護職を失い、応仁の乱を経て次第に勢力を衰退させ、尾張守護の土岐氏に大野城は奪われ、家臣の佐治宗貞が入城し、四代百年あまりの支配が続いた。

三代信方の頃に織田氏に従うが、信方は若くして討ち死に、四代一成羽柴秀吉と敵対して追放され、城主として信長の弟である織田長益が入るが、大野城の水利の悪さから、すぐ真向かいに大草城を築城して移り、大野城は廃城となった。

遺構

現在は城の南側のほとんどは住宅地(青海山団地)とっているが、主郭部は常滑市指定文化財[1]となっていて、城山公園[2]として整備されている。角櫓形の展望台が建てられている[1]が、これは当時の建物を再現したわけではない[2]が一部残り[1]台跡に城主であった佐治氏を祀った佐治神社がある。

「大門」「西之口」「屋敷」「城下」など当時を偲ばせる地名が多く残り、かなり規模の大きな城であったことがうかがえる。

脚注

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関連項目

外部リンク

  • 1.0 1.1 1.2 テンプレート:Cite web
  • 2.0 2.1 テンプレート:Cite web