大西祝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

大西 祝(おおにし はじめ、元治元年9月7日1864年10月7日) - 明治33年(1900年11月2日)は、岡山市出身の哲学者操山と号す[1]。「日本哲学の父」「日本のカント」との評価も受ける。

生涯

1877(明治10)年、同志社英学校普通科に入学。翌年新島襄より受洗。同志社在学中は山崎為徳の薫陶を受け、彼の思想形成に大きな影響を与えた。1881(明治14)年山崎が夭逝した時、大西は呆然自失に陥ったといわれる。1884(明治17)年、同志社英学校神学科を卒業。東京大学予備門に編入学する。1889(明治22)年帝国大学文科大学哲学科を首席卒業(同級に大瀬甚太郎渡辺董之助)。1891(明治24)年大学院を辞し、東京専門学校(現早稲田大学)に奉職する(帝国大学の教員にならなかったのはキリスト教を捨てるように迫られたからだと言われている)。

東京専門学校(現早稲田大学)での彼の活躍は目覚ましく坪内逍遥と共に早稲田文科の礎を築き、東京専門学校で彼が育てた弟子(金子筑水中桐確太郎島村抱月綱島梁川)たちは後年早稲田大学文学部に欠くことのできないスタッフとなった。また、彼の弟子の一人、朝河貫一が1895(明治28)年、ダートマス大学へ留学するときには、渡航費用を援助した。1898(明治31)年哲学研究のためドイツに留学(それに伴い東京専門学校を退職)するも、健康を害して翌年帰国。京都帝国大学文科大学設立準備に取り掛かるため(京都帝国大学文科大学初代学長に内定していた)入洛したが、病状は悪化し36歳の若さで急逝した。未完に終わったものの彼の研究は後世にも大きな影響を与え、西田幾多郎の『善の研究』は大西の『倫理学』と綱島の『病間録』の課題を引き継いだものだとされている。

文献類

全集(全7巻)が日本図書センターで再刊(初版は警醒社書店 明治37年)。「大西祝選集」岩波文庫全3巻が、2013年から2014年にかけ刊行。

編者の小坂国継『明治哲学の研究』(岩波書店、2013年)が刊行された。 明治期の西洋哲学導入にあたって重要な役目を果たした大西と西周の二人を軸にした研究書である。

伝記

  • 平山洋『大西祝とその時代』 日本図書センター、1989年。ISBN 4820540025
  • 片山純一 『大西祝 闘う哲学者の生涯』吉備人出版、2013年

 注

  1. 筑摩書房の『明治文学全集』では、〈大西操山〉で著作一部が収録されている

関連項目