因縁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

因縁(いんねん)

  1. きっかけ・動機・契機などの意味。
  2. 由来や来歴の意味。縁起と同様に用いる。
  3. 関係、ゆかりのこと。

仏教の解釈

テンプレート:See also テンプレート:Sidebar

仏教における因縁の意味。因と縁のこと。因とは、結果を生ぜしめる内的な直接原因のこと。縁とは外から因を助ける間接原因(条件)のこと。一切のものは、因縁によって生滅するとされる。因縁(サンスクリット:hetu-pratyaya)『新・佛教辞典』中村元監修 誠信書房 参照

初期の仏教では因(hetu)も縁(pratyaya)も、ともに原因を意味する言葉であり、後に区分が生じて因を原因、縁を条件、とみなした。

仏教では、修行による成仏を前提としており、

  • 宿作因説 - 因や果を固定したり、創造神の力を因としたり、外在的・宿命的な力を因とする説
  • 無因有果説 - 因なく最初から果があったとする宿命論的な主張
  • 無因縁説 - 原因は有り得ないという説

に対してきびしい批判を行った。 ことに龍樹は、『中論』観因縁品で、無自性の立場からこれらの外部の説と、説一切有部の四縁六因説を批判し、四諦品で因縁によって生じる諸法は空であり、条件が変われば、変化すると説いている。

因縁とは存在の相依性をいう。すべての事象はそれ自体、孤立して存在するのではなく、相互に依存して存在しているということである。

釈迦の教説の根本であるところの「四諦の法門」を一言でいうと「因縁」となる。

  • これありてこれあり
  • これ生じるがゆえにこれ生じ
  • これなければこれなく
  • これ滅すればこれ滅す

という存在理論であり、「苦諦・集諦・滅諦・道諦」(略して苦集滅道の四諦)という。

またこれは、違う表現をすれば『法華経方便品に説かれる諸法実相、つまり相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等という、十如是になるとも説かれる。 これは存在をあらわし、

  1. どのようなものでも存在するかぎり、相(形)がある
  2. 相には、性(本質)がある
  3. 相・性には、体(体質)がある
  4. 相・性・体には、力(能力)がある
  5. 相・性・体・力には、作(作用)がある
  6. 相・性・体・力・作には、因(直接的な原因)がある
  7. 相・性・体・力・作には、縁(間接的な原因)もある
  8. 相・性・体・力・作・因には、果(因に対する結果)がある
  9. 相・性・体・力・作・縁には、報(縁に対する結果)がある
  10. 相・性・体・力・作・因・縁・果・報には、本末究竟等(本の相から末の報までが究極的に無差別で等しく関連している)がある

なお、十如是は鳩摩羅什訳出の漢文『法華経』のみで、サンスクリット語原典や竺法護訳『正法華経』、闍那崛多・達磨笈多共訳『添品妙法蓮華経』にはない。

新宗教・霊能者の解釈

一部の新宗教霊能者による因縁は、本人や先祖・土地・所属する組織などの長年にわたって蓄積された「業」に由来する影の部分、つまり悪業や悪因縁といった悪い事象の一面だけを指したり、強調する場合がある。

この悪因縁が数々の事件・事故・病気などの原因とされ、そして悪因縁は切るべきもの、とされることもある。それを指摘した教団または霊能者などの指導を受けながら、浄霊祈祷修行を受け続けることや、徳を積むことによって切れる、とされる場合もある。これらから、因縁は心霊的・オカルト的に拡大解釈され、反社会的な教団や霊能者と自称する人物に、都合よく利用されることも往々にして多い。

これに対し、法華系などの一部の新宗教団体では霊魂を否定し、因縁とはもともと具わっているものであるから「因縁を切る」というのは誤った解釈だと批判する。しかし逆にそれらの教団でも、題目を唱えることで悪因縁を浄化する、あるいは宿命を転換させる、などということもある。

したがって、因縁や業の解釈は、既成宗派や宗教学者、あるいは新宗教や霊能者個人によっても様々で、教義解釈の違いや誤解による他教団の批判も含まれるため、それらの点に注意する必要がある。

慣用句

因縁をつける
主に無法者が用いる「言いがかりをつける」こと。まったく無関係のものに関係性を理由づけて、みずからの主張を述べ立てること。
因縁話(いんねんばなし)
前世の因縁を説く物語。近い話であった場合には、いきさつが複雑に絡み合った場合に用いる。
因縁尽(いんねんずく)
逃れられない条件が重なっていること。