味噌田楽

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味噌田楽(みそでんがく)は、豆腐こんにゃく茄子里芋などをに刺し、柚子木の芽などで香りをつけた味噌を塗りつけて焼いた料理である。

歴史

豆腐料理は人気であり、拍子木型に切った豆腐を串刺しにして焼いた料理が生まれた。豆腐百珍によると、その料理の、棒の上に白い豆腐が乗っている様子が、太平記に見られる大田楽の「高足を行っている田楽法師の姿」と似ている為に「田楽」の名が付いたと言われる[1]。ゆえに加賀越中能登地方において、豆腐をにさして囲炉裏で炙り焼いたものを田楽と呼ぶようになったほか、同様にして今宮地方の沙田楽(みなとでんがく)も田楽の古製とされる[1]

江戸時代には、味噌田楽の成り立ちが窺える以下の川柳が詠まれたという。

田楽は 昔は目で見 今は食ひ

室町時代には、すり鉢の登場によって味噌を砂糖やだし汁で摺りあわせた練り味噌が使われるようになり、味噌を塗りつけて焼いた味噌田楽となった。また、こんにゃく里いもしいたけなどの様々な物を素材として食べる料理となっていった。

魚も同様に調理する事があり、これは『魚田(ぎょでん)』とも呼ぶ。「田」は田楽の略である。

またナスのみそ田楽を、江戸では「鴫焼(しぎやき)」とも呼んだ[2]。 鍋でナスを焼き、味噌をからめれば鍋しぎとなる。

各地の味噌田楽

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生麩に柚子味噌

江戸では、「上燗おでん」の振り売りが「おでん 辛いの」と呼びながら売り歩いた。真崎稲荷の境内には、8軒並んだ田楽茶屋があるほどで評判店もあり、赤味噌を使用していた。 外で手軽に食べる料理が発達しており、味噌田楽は花見の時にも人気の食品であった。

短冊の 豆腐も売れる 花の山

愛知県豊橋市の「菜飯田楽」は、赤味噌の豆腐の田楽と菜飯をセットにしたものである。この「菜飯田楽」は東海道五十三次吉田宿(豊橋市)の名物料理のひとつであったと言う。また同じ愛知県の津島市には、尾張地方中南部の名物でもある生麩を揚げて赤味噌を塗った「麩田楽」がある。

沖縄県では、タイモを茹でて搗き潰し、砂糖を加えて練り上げた「芋きんとん」のような料理を「でんがく」(リンガク)と呼ぶ。そのため、本土から来た観光客が居酒屋で「味噌田楽」のつもりで「でんがく」を注文し、出てきたそれに戸惑うことがあるという。

元来は豆腐料理であるが、山間部などではサトイモや川魚を主体にした串焼きに近い田楽が供されている地域も多い。

煮込み田楽

江戸時代には煮込み田楽が登場、素材を出汁の中で温め甘味噌を付けて食べるようになった。

おでんの誕生

江戸では、近郊の銚子野田醤油醸造が盛んになっており、かつおだしに醤油や砂糖みりんを入れた甘い汁で煮込むようになり「おでん」が登場した。

江戸っ子は気が短いので、屋台で注文してから焼くのは勿論味噌をつけるのも待っておられず、また「ミソを付ける」に通じゲンが悪いので、おでんは屋台で売られるなど大いに流行し各地に広がっていった。

関連項目

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脚注

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  1. 1.0 1.1 『豆腐三百珍』119頁。東京。敷島屋書房。明治39年。
  2. 「京阪ニテナスビノデンガクト云、江戸ニテハナスノシキヤキト云」 守貞漫稿