八木西口駅

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テンプレート:UKrail-header2テンプレート:BS-tableテンプレート:BS-colspan大和八木駅</br> ←大阪線連絡線 テンプレート:BS3textテンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BS-colspan畝傍御陵前駅

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ファイル:Yagi-nishiguchi stn.jpg
ホームから北望。右2線が橿原線、左へカーブするのは大阪線への渡り線
ファイル:Kintetsu Yaginishiguchi sta 002.jpg
駅南側踏切からホームを見る

八木西口駅(やぎにしぐちえき)は、奈良県橿原市八木町一丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)橿原線である。

概要

開業当初は八木駅を名乗ったが、近隣を通過する同社(当時は大阪電気軌道)の路線(現在の大阪線)の延伸に伴う駅設置により八木西口駅に改称した。この際、新たに設置された駅の同一駅構内扱いとされたことにより、営業上の扱いにおいて他の駅にはない特例が生ずることとなった。(後述)

営業上の扱い

旅客営業上は大和八木駅と同一駅(構内)扱いであり、営業キロは設定されていない(大和八木駅からの実距離は約400m)。同一路線上にあって構造上は別の駅であり名称も異なる2つの駅であるにも関わらず旅客営業上は同一駅として扱われている例は、日本国内では当駅と大和八木駅の関係が唯一の事例である(2013年時点)[1]

運賃は、大和八木駅発着と同額である[2]。また、同一駅扱いとなっているため、大和八木駅を発着または経由する乗車券類を所持していれば当駅にも乗降できる[3]。なお、当駅と大和八木駅間のみを乗車する場合であっても、入場券で乗車することはできない。

当駅は急行停車駅であるが、かつては各駅設置の運賃表や発車案内表示装置および時刻表などにおいて、駅名が記載されていなかった。

歴史

  • 1923年大正12年)3月21日 - 大阪電気軌道畝傍線(現 橿原線)が平端駅から橿原神宮前駅(初代)間の延伸に伴い、八木駅として開業する。
  • 1925年(大正14年)3月21日 - 大阪電気軌道八木線(後に桜井線→大阪線)が、この駅より分岐して高田駅まで開業する。
  • 1928年(昭和3年)8月 - 大軌八木駅に改称する[4]
  • 1929年昭和4年)1月5日 - 大阪電気軌道桜井線としての大軌八木駅と桜井駅間開通に伴い、大軌八木駅は新線上(現 大和八木駅)に移転するが、旧大軌八木駅も八木西口駅に改称して存続する(扱い上は大軌八木駅の別ホーム)。
    • 当駅が大和八木駅にほど近く、構内扱いとされているのは、このような歴史的経緯による。
    • 大和八木駅の南にあるのに「西口」と改称されたのは、この駅の東側一帯が旧高市郡八木町(1956年に市制施行)であり、その西の端にあるためである。なお、移転先の大和八木駅は橿原市内膳町(旧磯城郡耳成村)にある。
    • 旧駅が橿原線(当時は畝傍線)の駅として存続した背景には、1929年当時は国家神道体制にあって橿原神宮への参拝が奨励されており、大阪電気軌道も現在の連絡線である旧本線を用いて上本町駅と(旧)橿原神宮前駅・久米寺駅(のちに橿原神宮駅→(現)橿原神宮前駅へ統合。扱いとしては久米寺駅の改称とされる)間に急行電車を設定しており、八木地域で乗降できるようにするためであったとされる。
  • 1939年(昭和14年)7月28日 - 当駅から橿原神宮前駅(初代)までが廃止され、当駅から橿原神宮駅駅(久米寺駅から改称、現 橿原神宮前駅(2代目))までの新線に切り替える。同時に西大寺駅(現 大和西大寺駅)から橿原神宮駅間が橿原線とされる。
  • 1941年(昭和16年)3月15日 - 参宮急行電鉄との会社合併により、関西急行鉄道の駅となる。
  • 1944年(昭和19年)6月1日 - 会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。
  • 1967年(昭和42年)12月20日 - 大阪線列車の乗り入れを廃止。最末期まで設定されていた大阪線列車は、同駅を始発・終着となる上本町発着の準急であった。
  • 2007年平成19年)4月1日 - 当駅における、IC乗車カード「PiTaPa」の供用を開始する。

駅構造

2面2線の相対式ホームを持つ地上駅で、駅舎は地下式。ホーム有効長は6両分ある。改札口は1箇所のみである。

この駅の北側で橿原線から左に分岐して大阪線につながる単線の連絡線がある。これは旧八木線時代の名残で、用地は複線分あり、当初の大阪線だった線路を単線化して連絡線としたものである。現在はこの連絡線経由での定期営業列車はなく、回送列車や団体貸切列車がときおり通過するほか、南大阪線けいはんな線系統の車両が定期検査などで五位堂検修車庫へ回送する際のルートにもなっている[5][6]。この連絡線内は運転速度がATSで30キロに制限されている。また、ホームのやや橿原神宮前寄りに上下渡り線がある。

のりば

1 テンプレート:Color橿原線(下り) 橿原神宮前吉野大阪阿部野橋駅方面
2 テンプレート:Color橿原線(上り) 大和八木天理大和西大寺奈良京都
大阪上本町大阪難波尼崎三宮方面

利用状況

近鉄が実施する乗降人員調査では、当駅の乗降人員は大和八木駅に含めて集計されており、当駅単独の乗降人員は公式には公表されていない[7]

駅周辺

大和八木駅と当駅の間は徒歩で約5分程度の距離であり、駅勢圏はおおむね重複している。

隣の駅

近畿日本鉄道
橿原線
テンプレート:Color急行・テンプレート:Color普通
大和八木駅 - 八木西口駅 - 畝傍御陵前駅

脚注

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関連項目

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外部リンク

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  1. 過去には函館本線函館駅と函館桟橋仮乗降場(1930年に両駅を統合)、宗谷本線稚内駅と稚内桟橋駅(1945年に後者が廃止)、予讃線高松駅と高松桟橋駅(1959年に両駅を統合)、小松島線小松島駅小松島港仮乗降場(1985年に路線廃止)、野上電気鉄道日方駅と連絡口駅(1994年に路線廃止)といった事例があった。
  2. 八木西口駅の運賃を検索する場合 - 近畿日本鉄道
  3. 一例として、大阪線の大和高田駅と桜井駅間の定期乗車券があれば、経路には含まれない大和八木駅と当駅間の乗車および乗降が可能である。
  4. 『近畿日本鉄道100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年、p.86
  5. 1967年新ノ口短絡線が完成するまでは京伊特急が使用していた。手順はまず大和八木駅の橿原線ホームに入線し、その後八木西口まで走ってから折り返し、連絡線を通って大阪線に入って再度折り返し、大和八木駅の大阪線ホームに停車してから伊勢方面へ向かう形をとっていたため、大和八木駅に2回停車していたことになる。そのほか、同時期まで上本町-当駅発着の準急列車が1往復設定されていた。
  6. 南大阪線系統の車両を五位堂検修車庫へ回送する際、橿原神宮前駅東側の台車振替場で標準軌用の仮台車に交換し、電動貨車モト90形(モト97・98)に牽引されて五位堂検修車庫に輸送される。またけいはんな線の車両は、モト75形に牽引されて東花園検車区東生駒車庫から大和西大寺・橿原神宮前経由で五位堂に輸送される。
  7. 駅別乗降人員(橿原線) - 近畿日本鉄道