会津本郷焼

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会津本郷焼(あいづほんごうやき)とは、福島県会津美里町(旧会津本郷町)周辺を産地とする陶器及び陶磁器である。会津本郷せと市が毎年8月第一日曜日に開かれている。


歴史

1593年に領主である蒲生氏郷が薩摩国から瓦工を呼んで鶴ヶ城の屋根を製造させたのが始まりである。17世紀中頃に藩主の保科正之の求めに応じて瀬戸から陶工・水野源左衛門が呼ばれて本格的に焼き物の基礎を築いた。1800年には有田や京都で学んだ佐藤伊兵衛が磁器の製法を伝え現在の会津本郷焼の原型が完成する。現在は大堀相馬焼(福島県双葉郡浪江町)についで窯元17と東北2位の規模を誇る、1993年には通商産業省から伝統的工芸品産地として指定される。

特徴

会津本郷焼で使われる釉薬に「飴釉」がある。飴釉は文字通り飴色で光沢を持っている。この飴釉を使った代表的な陶器が「鰊鉢」で古くからニシンの山椒漬けに使われてきた。 また、磁器を製作している窯元も多いが、とりわけ会津藩主保科正之が弓隊を配し開拓させた集落地である御弓新田(現在の新町)の唯一の磁器の窯元となった佐竹富太郎の次男富三郎が明治5年に分家し、富三窯を開窯し、4代目富三は、日本原産の花椿をモチーフにし、染付の技術技法とともに会津焼の伝統を現代に生かすデザインを創案した。

関連項目