仙台市立七北田中学校

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仙台市立七北田中学校(せんだいしりつ ななきたちゅうがっこう)は、宮城県仙台市泉区七北田字東裏にある市立中学校。戦後の学制改革により誕生し、仙台市の公立中学校の中では最も歴史が古い学校の一つ。略称は「七北田中」・「七中」。

概要

同校は戦後の学制改革(学校教育法)により、新制中学校として七北田村に誕生した。開校当時は新制七北田小学校校舎の一部を間借りしてのスタートであった。最盛期には生徒数1200余名を数えるが、現泉区の団地造成に伴い、仙台市立将監中学校など多くの中学校が同校から分離した。 また、卒業生にフィギュアスケートの本田武史や、羽生結弦がいる。 また2011年3月11日に発生した東日本大震災により、校舎が多大な被害を受けたため生徒が近隣の学校の教室を借りて授業を行うという措置が取られた。

校歌

作詞 斎藤荘次郎 作曲 佐藤 長助

校章の由来

縦に走る山の形は、郷土の山、秀麗泉ヶ岳を表す。 横に走る白線は、泉ヶ岳に源を発し、西から東へと泉区を横断して住民生活の上水道、農業用水として幾多の恩恵を与えている清流「冠川」を図案化したものである。

沿革

農繁休暇

1950年(昭和35年)より、学校公認の農繁公認休暇が取られた。当時は、畑・田圃を耕運機ではなく馬や牛で耕し、特に田植え、稲刈りの時期には家族総出で行われた。子供も中学生になると一人前とみなされ、朝から晩まで作業したため、3日間の休暇を与えていた。それでも忙しい者には、非公式ながらも農繁休暇を認めていた。特に1965年(昭和40年)は、異常な人手不足のため、5日間を公認休暇とした。

校舎

  • 1949年(昭和24年)校舎が完成。当然ながら、初期の校舎は木造であった。七北田村第4代村長の遠藤永次郎の提唱により、向陽台の村有地に植えられた杉が木材に使用された。
  • 1973年(昭和48年)新校舎(現校舎)完成。コンクリート造りであり、旧校舎よりも北側に建設される。その後旧木造校舎は取り壊されたが、旧体育館だけは改修、1999年(平成11年)まで使われていた。
  • 2011年(平成23年)東日本大震災により巨大な亀裂が校舎に入り、職員以外校舎に入ってはいけなくなっている。
  • 2012年(平成24年)東日本大震災によって起きた、校舎の被害の修理が開始した、完全修復予定は2013年の2月~3月である。現在は、校庭に建てた3棟のプレハブで生活している。

著名な卒業生

参考文献

  • 創立五十周年記念誌「ななきた」

外部リンク

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