井上康生

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テンプレート:柔道家 井上 康生(いのうえ こうせい、1978年(昭和53年)5月15日 - )は、宮崎県宮崎市出身[1]柔道家(六段)、柔道指導者。妻はタレントの東原亜希

経歴

2000年(平成12年)のシドニーオリンピックで金メダルを獲得。2001年の全日本選手権では全日本の絶対的エースであった篠原信一を決勝で破り初優勝。その後、大会3連覇を果たす。

2004年(平成16年)のアテネオリンピックでは日本選手団の主将に選ばれた。周囲はシドニー大会に次ぐ五輪二連覇を期待したが、準々決勝でバンデルギーストに背負い投げで一本負けを喫す。敗者復活戦に回るも、三回戦でアゼルバイジャンのミラリエフに大内刈りを返され一本負け。五輪二連覇の夢には届かなかった。

2008年(平成20年)4月29日の全日本柔道選手権で高井洋平に敗れ、北京オリンピック100kg超級の代表権を失う。ちなみにこの大会は石井慧が優勝し、北京オリンピック100kg超級日本代表の座には石井が就いた。

同年5月2日、かねてよりその圧倒的なポテンシャルから総合格闘技への転向が期待されていたが、柔道指導者の道を選び現役生活からの引退を表明した。

同月、日本オリンピック委員会(JOC)の2008年度スポーツ指導者海外研修員(長期派遣)に選定され、同年12月から2年間、スコットランドエディンバラに派遣される。留学先では英語研修と欧州の柔道指導法・柔道事情を研究する。

2003年(平成15年)ごろからフジテレビ系SRSの取材で知り合った東原亜希と交際。一時期、破局したが、2008年1月に東原亜希と結婚。2009年(平成21年)5月8日に第1子(長女)、2010年(平成22年)11月26日に第2子(長男)が誕生した。

2011年(平成23年)1月、スコットランドでの留学を終え帰国。同年3月に綜合警備保障を退職。同年4月より東海大学体育学部武道学科専任講師、東海大学柔道部副監督に就任。また、全日本のコーチとして世界選手権に帯同した。 ロンドン五輪後に篠原信一が惨敗の責任を取って全日本男子監督を辞任した後を受けて、新たに代表監督に就任することになった[2]

2013年8月には国際柔道連盟の殿堂入りを果たすことになった[3]

人物

出身道場は静充館(宮崎市)。シドニーオリンピック柔道競技男子100kg級金メダリスト。得意技は内股日本オリンピック委員会選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度適用選手。身長183cm。体重103kg。足のサイズ31cm。胸囲120cm。ベンチプレス170kg。背筋力200kg。血液型O型

現役時代は綜合警備保障(ALSOK)に所属。2003年(平成15年)7月から所属先の綜合警備保障のテレビコマーシャルに出演していた。3人兄弟の末っ子で次兄の井上智和は元アジアチャンピオンで1999年(平成11年)嘉納治五郎杯国際柔道大会100kg級優勝者。

  • 2000年(平成12年)、シドニーオリンピックの男子100kg級で金メダル。前年にクモ膜下出血で急死した母の遺影を持って表彰台に立ち、大きな感動を呼んだ。
    • 当初金メダルを獲った時に「オリンピックでメダルを取ることを一番楽しみにしていたのが母親、表彰台の一番高い位置にその母親の遺影を持って立ちたい」と思っていたが、日本の柔道の関係者から「表彰台には、危険物[4]を持っていけないことになっているからダメです」と言われていた。しかし、その話を知った表彰台に選手を引率する外国の競技関係者の女性が「服の下に遺影を忍ばせて行きなさい、私は何も見てない(注意しない)」と言われたおかげで実行することができたと本人が『ジャンクSPORTS』(フジテレビ)で語った。また、『世界痛快伝説!!運命のダダダダーン!』(ABCテレビ)では、偶然にも遺影にガラスが入っていなかった[5]ことが持ち込めた(見逃してもらえた)理由と語った。
  • 2005年(平成17年)6月に実兄(長男)の将明(当時32歳)もクモ膜下出血で死去。
  • 一本を取って勝つことにこだわった姿勢で知られる。2005年1月の嘉納杯ではリバック(ベラルーシ)との決勝戦序盤で右大胸筋腱断裂という重傷を負いながらも痛みを堪えて試合を続行し、見事一本勝ちを果たして優勝した。
  • 2008年5月12日放送の『SMAP×SMAP』(関西テレビ・フジテレビ)において、引退の言葉は、「北斗の拳」のラオウの言葉を参考にしたと語った。

出身校

主な戦歴

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:柔道競技オリンピック金メダリスト男子軽重量級

テンプレート:柔道 全日本選手権優勝者 - 男子
  1. 但し、出生地と幼児期を過ごしたのは都城市
  2. 井上新監督を発表=「再建に全力尽くす」-全柔連 時事通信 2012年11月5日
  3. 井上康生氏と谷亮子氏がIJF殿堂入り 日刊スポーツ 2013年8月13日
  4. 遺影にはガラスが入っているため。
  5. 金メダルを取った際に興奮した父が誤って遺影を落としてしまい、その時にガラスが割れて外れてしまったため。