丸亀城
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丸亀城(まるがめじょう)は讃岐国、現在の香川県丸亀市にあった日本の城である。別名、亀山城、蓬莱城ともいう。
目次
概要
丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66メートル)を利用し、縄張りはほぼ四角形で亀山の廻りを堀(内堀)で囲む、輪郭式の平山城である。石垣は、緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」となっている。山麓から山頂まで4重に重ねられ、総高60メートルの石垣は日本一高く[1]、三の丸石垣だけで一番高い部分は22メートルある。頂部の本丸には江戸時代に建てられた御三階櫓が現存する。この建物は唐破風や千鳥破風を施して漆喰が塗られ高さは15メートルあり、現存三重天守の中で最も小規模である。
内堀の周囲には侍屋敷が建ち並び、この周囲を外堀が方形に取り囲んでいた。侍屋敷は明治時代に大半が取り壊され跡地に善通寺第11師団の丸亀歩兵第12連隊、裁判所や小・中学校などが建てられた。外堀は明治頃まで存在[2]していたが、琴平参宮電鉄の路線延長とその後の廃線や旧国道11号(県道33号線)の整備などにより、年とともに減少し、一部残されていた南側[3]の箇所も今は埋め立てられ、外濠緑道公園として整備されている。
城跡の全域は国の史跡に指定されており亀山公園となっている。天守のほかに大手一の門・大手二の門・御殿表門・番所・長屋が現存しており、そのうち天守・大手一の門・大手二の門は国の重要文化財に指定されている。天守の最上階からは、瀬戸大橋など瀬戸内の風景を眺めることができる。
陸上自衛隊善通寺駐屯地に所属するレンジャー隊員による美しい石垣を守る為の清掃が行われている。
歴史・沿革
室町時代・安土桃山時代
- 室町時代初期、管領・細川頼之の重臣の奈良元安が亀山に砦を築く。
- 慶長2年(1597年)豊臣政権の時代、生駒親正が讃岐17万石を与えられ高松城を本城とし、亀山に支城を築く。
- 慶長7年(1602年)6年の歳月を要し、ほぼ現在の城郭が完成。
江戸時代
- 元和元年(1615年)一国一城令により破却の危機にさらされるが、時の藩主・生駒正俊は要所要所を樹木で覆い隠し立ち入りを厳しく制限。城を破却から守った。
- 寛永17年(1640年)生駒氏、お家騒動(生駒騒動)のため出羽国矢島(現・秋田県由利本荘市)に転封となる。
- 寛永18年(1641年)山崎家治が肥後国富岡(現・熊本県天草郡苓北町)より5万石で入封。丸亀藩が立藩。
- 寛永20年(1643年)城の改修に着手。幕府が家治に、瀬戸内の島々にいたキリシタンの蜂起に備える為の城をつくらせたのではないかと云われ、幕府は丸亀藩に銀300貫を与え、参勤交代を免除し、突貫工事をやらせている。
- 万治元年(1658年)山崎氏、3代で無嗣断絶し改易となる。代わって播磨国龍野(現・兵庫県たつの市)より京極高和が6万石で入封。以後、明治時代まで京極氏の居城となる。
- 万治3年(1660年)高和は城の裏口にある海側の搦め手門を大手門に変更した。その大手門から見上げる石垣の端に、現在の3層3階の御三階櫓が完成した。
- 延宝元年(1673年)32年の歳月を要し大改修が完了。現存する石垣の大半はこの改修の際に完成したものである。
近現代
- 明治2年(1869年):三の丸の戌亥櫓が火災により焼失。
- 明治6年(1873年):名東県の広島鎮台第2分営が設置される。
- 明治10年(1877年):現存の建物以外の櫓・城壁等の解体が始まる。
- 大正8年(1919年):丸亀市が山上部を借地し、亀山公園として開設。
- 昭和8年(1933年):丸亀藩主京極家の別邸延寿館を移築(延寿閣)。
- 昭和18年(1943年):天守が国宝保存法に基づき旧国宝(現行法の「重要文化財」に相当)に指定される。
- 昭和23年(1948年):外濠の埋め立てが始まる。
- 昭和25年(1950年):天守の解体修理が行われた。この記念行事として第1回の丸亀お城まつりが開催された。また、文化財保護法施行により天守は重要文化財となる。
- 昭和28年(1953年)3月31日:国の史跡に指定される[4]。
- 昭和32年(1957年):大手一の門・大手二の門が国の重要文化財に指定される。
- 昭和47年(1972年):丸亀城や京極氏に関わる史料を展示する丸亀市立資料館が開館。
- 昭和60年(1985年):延寿閣を解体撤去。別邸のみ残る。
- 平成4年(1992年):翌1993年の寄付金付き年賀状の地方版の絵柄に選ばれた。
- 平成9年(1997年):築城400年祭を開催。
- 平成13年(2001年):歌手のさだまさしが「城のある町」という丸亀城をモチーフにした曲を発表。
- 平成16年(2004年)4月1日:「丸亀城櫓復元資料収集懸賞事業」開始(以後7年間)[5]。
- 平成18年(2006年)4月6日:日本100名城(78番)に選定された。
伝説
- 豆腐売りの人柱伝説
- 丸亀城築城の際、石垣の工事が難航したため、人柱を立てる事となった。雨が降る夕暮、工事現場付近を通り掛かった豆腐売りが捕えられ、無理矢理に人柱として生き埋めにされてしまった。豆腐売りは雨で豆腐が売れないため、普段は通らない城の付近を偶然通り掛かったのであった。その後、石垣の工事は完成したが、それ以来、雨が降る夜にはその石垣の辺りで「とーふー とーふー」という豆腐売りの声が聞こえて来たという。
現地情報
利用情報
- 冬期は天守が閉鎖されてしまい登閣できなくなる。
行事
- 丸亀城桜まつり
- 丸亀お城まつり
交通
関連施設
- 城内
- 丸亀市立資料館 - 丸亀城、京極家などの歴史的資料を展示。
- 亀山動物園(2009年8月31日で閉園)
- こどもの国(遊園地。2007年11月25日で閉園)
- 芝生広場 - バレーコートに使用されていた時期がある。
- 丸亀市城内グラウンド
- 城外
- 外濠緑道公園 - 外堀跡に造られた遊歩道及び小規模な公園。