上杉憲孝

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上杉 憲孝(うえすぎ のりたか、正平21年/貞治5年(1366年) - 応永元年(1394年)?)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将山内上杉家出身で上杉憲方の子。房方憲定憲重は弟。

伯父の上杉能憲の養嗣子となって宅間上杉家の家督を継いだ。小山若犬丸の反乱鎮圧など実父の憲方に従って多くの戦功を挙げ、元中9年/明徳3年(1392年)に実父の後を受けて関東管領に就任した。しかし応永元年(1394年)11月、病のために管領職を辞し、まもなく死去した。なお、憲孝の関東管領の在任期間中に発給文書が確認できず、関東管領就任の事実を否定する説もある[1]

子がなく、関東管領は上杉朝宗が就任、宅間上杉家は初代重能の弟重兼の子孫が継承した。

脚注

  1. 小要博「関東管領補任沿革小稿-その(二)-」 芥川龍男編『日本中世の史的展開』 文献出版、1997

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