三豊百貨店

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テンプレート:Infobox テンプレート:Infobox 事件・事故 三豊百貨店(サムプンひゃっかてん)は、大韓民国ソウル特別市瑞草区にかつてあった百貨店

1989年に開店。6年後の1995年6月29日17時57分(KST、日本時間同)、営業中に突然、5階建ての建物の両端の一部を残し、跡形もなく崩壊。死者502名・負傷者937名という世界的にも例のない大惨事を起こした。その後現場はしばらく空き地のままだったが、現在は高級マンション「アクロビスタ」(Acrovista)が建てられている。

崩壊の原因

当初この建物は、経営母体の三豊建設産業によって地上4階・地下4階建てのオフィスビルとする予定で起工したが、建設途中で三豊側が5階建てのデパートにすることに決定。施工者の宇成建設に変更を要求したものの、宇成建設が設計変更を行うのは危険だとして拒否。このため基礎工事が終わった段階で、三豊建設産業が直接施工することになった。

売り場に防火シャッターを設置するため、ビル中央部の柱の一部(4分の1)を撤去。また中央部にエスカレーターを設置し吹き抜け構造とする際に、本来なら柱を補強すべきところを見た目を重視したあまり、逆に4分の3ほどの細さに削減。その結果、ビル自体が構造的に弱くなってしまった。加えて先述の通り、当初計画より階数を1フロア増やしたため、その階の建設に使用されたコンクリートだけで3000トンもの重量増となったばかりか、80トンの給水タンクが屋上に設置されたことで、当初計画通りの柱ですら過負荷となるほどの大きな負荷がかかるようになっていた。

さらに以下の点が原因として挙げられる。

  • 当初の計画では最上階の5階は(建築基準を満たすよう)ローラースケート場になる予定であったが、完成直前に経営陣の方針により(建築認可を得た後、不正に)レストラン街へ変更されていた。
    • レストランは床に座る方式であり、床暖房に用いるパイプを通すため、床部分のコンクリートの使用量が増加した。
    • 事故発生前年の1994年には当局に無断で地下に売り場を増設する工事を行い、これがさらに建物の強度を弱めた。
  • 屋上で87トンの大型冷房装置を引きずって移動させたため、上記の強度不足が原因となって屋上が装置の重量に耐えきれなかった。
  • 鉄筋の代わりに石油を詰めていた(ナショナルジオグラフィックチャンネル『衝撃の瞬間』ではこの点に関して言及されていない)。
  • 本来、を使用すべきところを、荷重制限のある柱で建物を支える建築工法(フラットスラブ構造)を取った。

また、前日に5階の従業員が天井(屋上)のひび割れに気づいており、崩壊当日の朝にはひび割れが大きくなっていたため、すぐに上司に報告した。しかし、事故当日午前9時に経営陣が集まり緊急会議を開いたものの、通常通り営業を開始し、さらに午後3時、社長が呼んだ建築士が到着して調査したが、「閉店後に補修すれば問題ない」と過小報告していたため、一部の反対意見を押し切って営業は継続された。この時点で避難行動をとっていれば、少なくともこれほどの被害者を出すには至らなかったはずで、経営陣の判断ミスが被害を大きくした。

このように、崩壊は人災の面が大きく、建築会社だけでなく経営陣の責任も追及され、同百貨店の会長と社長ら幹部3人が業務上過失致死傷容疑で逮捕。会長は懲役10年6ヶ月の刑を受け、全財産を没収された(2003年10月に病死)。さらに当時の区長が、三豊百貨店の3度にわたる設計変更と仮使用許可を承認した見返りとして、三豊百貨店側から1300万ウォン(約150万円)の賄賂を受け取ったとして、収賄容疑で逮捕された。

なお、当初の調査では原因として地震ガス爆発北朝鮮によるテロなど、さまざまな説が推定されていた。

事故の影響

  • 当時の金泳三大統領は、救援と復旧に必要な行政・金融・税制・補償上の支援を国から受けられるようにするため、三豊百貨店崩壊現場を特別災害地域に指定した。
  • 韓国の主要テレビ(KBSMBCSBSYTN等)は救助の模様を24時間中継で放送した。
  • 当時開局したばかりだったニュース専門放送局YTNは、この事故からわずか10分で現場の映像を放送するなど速報力を発揮し、この結果同局への加入者が倍増した。
  • この事故の影響でソウルを中心に高層マンションの価格が下落した。また80年代後半に韓国政府が住宅不足解消策としてソウル郊外に建てたマンションには手抜き工事の噂から売却が相次いだ。
  • 久々の公選で選出された趙淳ソウル市長の就任式が7月1日に予定されていたが、この事故の影響で中止になった。
  • 1994年10月の聖水大橋崩落事故や1995年4月の大邱市地下鉄工事現場ガス爆発事故(大邱上仁洞ガス爆発事故)、そして今回の三豊百貨店崩壊事故など、大規模な事故が連続して起きたことが契機となり、韓国では7月に災難管理法が成立した。
  • 事故後の政府による緊急の全国高層建築調査では、建て替えが必要な物・全体の7分の1、修理が必要な物・全体の5分の4に達し、韓国全体で実に98%の建物が何らかの欠陥を抱えていた事実が明らかになった[1]
  • 世界中のマスメディアがトップでこの事故を報道し、日本でも報道特別番組が組まれた。また事故発生から数日間に渡って次々と生存者が発見され、発見される度に大きく報じられた。最後に救出された女性は17日間も生存しており、この女性は後に日本のテレビ番組『九死に一生スペシャル』『世界衝撃映像100連発』で取り上げられた。
  • この事故による補償総額は約4000億ウォン日本円で約550億円)に及んだ。
  • 映画『ノートに眠った願いごと』(原題:秋へ(가을로:カウルロ)、キム・テスン監督、2006年)は、この事故をモチーフにしている。

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. ナショナルジオグラフィックチャンネル衝撃の瞬間』第4シーズン第5話『スーパーマーケット崩壊 "Superstore Collapse"』より抜粋