ロジャー・グローヴァー

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ロジャー・グローヴァーRoger Glover,1945年11月30日- ) はイギリスウェールズ出身のベーシストキーボーディスト音楽プロデューサー。名字は「グローヴァー」と表記されることが多いが、「グラヴァー」のほうが本来の発音に近い。身長175cm。

来歴

ファイル:Roger Glover Steve Morse 2005.jpg
ロジャー・グローヴァー(左)とスティーヴ・モーズ(2005年)

本名ロジャー・デヴィッド・グローヴァー。1945年にサウス・ウェールズのブリーコンで生まれる。9歳頃からピアノのレッスンを受け、10歳で家族と共にロンドンに移住。この頃からロックに興味を持ち始め、13歳でギターを始め、16歳の時に最初のベースである赤いホフナー・ソリッド・モデルを手にする。いくつかのアマチュア・バンドを経て、1965年イアン・ギランと共にエピソード・シックスに加入しプロ・デビューを果たす。レコードを何枚も発売するが大成せず、1969年リッチー・ブラックモアの誘いによりギランと共にディープ・パープルに加入する。黄金期の屋台骨として活躍するも、メンバー間の対立もありグループを脱退。

その後、ディープ・パープルが設立したレコード会社「パープル・レコーズ (Purple Records) 」のスタッフに入り音楽プロデューサーとして活動を始める。1970年代にはプロデューサーとしてナザレスエルフステイタス・クオージューダス・プリーストデイヴィッド・カヴァデールイアン・ギランなどのアルバムを手がけた。

1974年に最初のソロ・アルバム「バタフライ・ボール」を発表。翌年にロンドンロイヤル・アルバート・ホールにて公演を行い、この模様は後にDVDとして発売された。1978年、壮大なインストゥルメンタル組曲のアルバム「エレメンツ」を発表。

1979年、ブラックモアの誘いによりレインボーに参加。1984年のレインボー解散までベーシスト、作詞家、プロデューサーとしてバンドに貢献。

同年4月にディープ・パープルが再結成されると、ブラックモアやギランら往年のメンバーと共にこれに参加。2012年現在も同バンドの一員として活動中。

2006年ドリーム・シアターがディープ・パープルのライヴカヴァーアルバムを発表した際にはプロデューサーとしてこれに関与している。

ディスコグラフィ

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ソロ・アルバム(プロデュース兼)
ギラン & グローヴァー(プロデュース兼)

プロデュース・アルバム

※ABC順

Barbi Benton
  • 『Ain't That Just the Way』(1978年)
デイヴィッド・カヴァデール
ディープ・パープル
Eddie Hardin
  • 『Hardin & York with Charlie McCracken』(1974年)
  • 『You Can't Teach an Old Dog New Tricks』(1977年)
エルフ
ジリアン・グローヴァー(ロジャー・グローヴァーの娘)
  • 『Red Handed』(2007年)
Grand Theft
  • 『Have You Seen This Band?』(1978年)
イアン・ギラン・バンド
Joe Breen
  • 『More Than Meets The Eye』(1978年)
ジューダス・プリースト
マイケル・シェンカー・グループ
ナザレス
プリティ・メイズ
レインボー
ロリー・ギャラガー
ルパート・ハイン
スペンサー・デイヴィス・グループ
  • 『Living In A Back Street』(1974年)
Strapps
  • 『Strapps』(1976年)
  • 『Secret Damage』(1977年)
Young & Moody
  • 『Young & Moody』(1977年)

外部リンク

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