ドリーム・シアター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox Musician ドリーム・シアターDream Theater )は、アメリカプログレッシブ・メタル・バンドであり、同種の音楽性のバンドの草分け的存在。イエスジェネシスなどの構築的なプログレッシブ・ロックと、アイアン・メイデンメタリカなどのドラマティックな展開を持ったヘヴィメタルの双方に影響を受け、それらを各々の豊かな演奏技術と多彩なバックボーンで組み合わせたスタイルを築き上げている。その音楽性とテクニックから、日本での人気も高い。ことに双方の要素を色濃く持つ音楽性のラッシュについては、メンバーが(特にアルバム『アウェイク』の頃まで)あちこちのインタビュー等でその影響を公言していた。

バイオグラフィー

前作は「衝撃的なバンドのデビュー作」として迎えられたもののセールス的には伸び悩んだこと、プロダクションの数々の不手際(プロダクション内の不協和)、レーベルとの不協和など数々のトラブルが重なり、ライブ活動も満足に出来ない状態に置かれてしまったことから、2作目の発表までに3年を要したとされている。 また、この時期にバンドは徹底的なリハーサルを重ねて実力を蓄えたとも言われる。
  • 1994年に3rdアルバム『アウェイク』を発表する。ジョン・ペトルーシが7弦ギターを、ジョン・マイアングが6弦ベースをそれぞれ使用。このときキーボードのケヴィン・ムーアが脱退。
ツアー要員としてデレク・シェリニアンがヘルプで加入し、その後に正式にメンバーとして迎え入れられる。
このアルバムは2ndアルバムの『イメージズ・アンド・ワーズ』に収録されていた楽曲「メトロポリス」の続編として製作され、全編にわたって歌詞や旋律が同曲を下敷きにしたものとなった。アルバムタイトルも"Somewhere like a scene from a memory"という同曲のラインからの発想である。
また、ライブではこのコンセプト・アルバムが完全再現された。
  • 2001年、5thアルバムのツアーの最終公演に当たるN.Y.でのライブを収録したライブDVD、およびライブビデオ『メトロポリス2000』を発売する。
それに続き同公演を収録した三枚組にも及ぶライブアルバム『ライヴ・シーンズ・フロム・ニューヨーク』を発売する。

メンバー

ファイル:James LaBrie - 01.jpg
ジェイムズ・ラブリエ(Vo)
ファイル:John Petrucci - 01.jpg
ジョン・ペトルーシ(Gt)
ファイル:Jordan Rudess2 (H.I).jpg
ジョーダン・ルーデス(key)
ファイル:John Myung - 01.jpg
ジョン・マイアング(Ba)
ジェイムズ・ラブリエ
1963年5月5日生まれ
パート: ボーカル
ドリーム・シアター2代目ボーカリスト。
Winter Roseというバンドに所属していたが、2ndアルバム『イメージズ・アンド・ワーズ』より参加。
本名は「ケヴィン」だが、加入当時のバンドにケヴィン・ムーアがおり、バンド内ではすでにジョン・ペトルーシとジョン・マイアングという同名メンバーがいたことから、混乱を避けるために「ジェイムズ」を名乗る。ケヴィン・ムーアがバンドを脱退した現在でも「ジェイムズ」を名乗っている。ちなみに、ミドルネームを芸名上のファーストネームに使用する他の有名人としては元ザ・ビートルズポール・マッカートニー(James Paul McCartney)やアイアンメイデンブルース・ディッキンソン(Paul Bruce Dickinson)、ピンク・フロイドロジャー・ウォーターズ(George Roger Waters)等がいる。
「どんな曲でも歌えることから採用した」とされる。ドリーム・シアターでは多彩なバンドのカヴァーを難なく歌いこなしている。
他のバンドへの参加要請も多く、彼に歌わせるためにアルバムを作成し、それ以前のヴォーカルに暇を出したバンドも存在した。ライヴにおいてはタンバリンを使うこともあったが、2005年より若干の補助的なキーボードプレイも見受けられる。タンバリン以前は「メトロポリス」の間奏で楽屋に消えてしまうなどの行動もとった。喉のコンディションを保つために、普段から蜂蜜湯を愛飲している。
ジョン・ペトルーシ
1967年7月12日生まれ
パート: ギター
ベースのジョン・マイアングとはバークリー音楽院に入学する前からの既知の仲。バークリー音楽院でたまたま練習室で練習しているマイク・ポートノイと遭遇、その時マイクはテスラのTシャツを着ており、二人に共通した音楽性を見出してバンド結成にいたる。マイクと共にバンドサウンドのプロデューサー的役割を担い、彼の脱退後は実質的なリーダーを務める。作詩も多く手がけ、非常にシリアスな作風を好む。
1994年発表の『Awake』から7弦ギターを使用。それに加えて、通常の6弦ギターと12弦ギターダブルネック・ギターバリトン・ギターを演奏することもある。また、エレクトリック・ギターのみならず、アコースティック・ギターも演奏する。演奏技術は正確無比なタッチのピッキング・スタイルで、スティーヴ・モーズ、スティーヴ・ヴァイ、アル・ディ・メオラ等に影響を受けたという。
なお、"petrucci"のより正確な発音は"ペトルッチ"(もしくは"ペトルーチ")であり、オフィシャルファンクラブのファンジンもこの表記に従っている。メイキング映像において、マイク・ポートノイは"ペトルッチ"と発音している[1]
ジョーダン・ルーデス
1956年11月4日生まれ
パート: キーボード
名門ジュリアード音楽院に、8歳にして入学している。
ドリームシアター3代目キーボーディスト。ケヴィン・ムーアの脱退時にも加入を打診されており、一度だけツアーメンバーとして参加していた。ライヴでのソロにアドリブ要素があることを除いては完璧に音源でのプレイを再現する。
米版キーボードマガジンでキース・エマーソンに次いでファン投票第二位を獲得したことがある。ちなみにキースも彼を高く評価している(明確な出典求む)。
また、リック・ウェイクマンなどをはじめ多くのロック・キーボーディストが複数のキーボードを使用する中で、基本的にシングルキーボードセッティングを貫く珍しいスタイルのキーボーディストである。なお、足下のペダル数は非常に多い(オランダ特注の回転台を利用したステージングの都合上ペダルを二対セットしている)。1990年から2004年まではマスターキーボードとしてカーツウェル・K2600を使用していたが、現在はOASYSをメインとし、Synthsizers.Comのモジュラーシンセ等を使用する。また、コルグ・01/Wシリーズのデモ制作なども行った。新しい電子楽器にも積極的にアプローチを仕掛けており、Hanken Audio社のContinuumに至ってはクレジットに書かれるほど多用している。
ギターも相当な腕前を誇り、レコーディングにラップスティールギターを使用することもある(例:オクタヴァリウム)が、ライブで演奏することは殆どなくメタリカなどツインギターで演奏される曲をカバーする際にも専らキーボードを使用している。
ジョン・マイアング
1967年1月24日生まれ
パート: ベース
15歳でベースを始め、バークリー音楽院の同級生のマイク・ポートノイとジョン・ペトルーシの三人でこのバンドの前身「MAJESTY」を結成。6弦ベースをメインとするが、チャップマン・スティックも演奏することができる。
以前は国内盤のライナーでジョン・ミュングと表記されることがあった。
元々は通常の4弦ベースを弾いていたが、ペトルッチと同時期に6弦ベース(「ニュー・ミレニアム」などにおいては12弦チャップマン・スティックを用いる)をメインに使用するようになり、3フィンガー・ピッキングによる超高速プレイを軸に、多彩なハーモニクス奏法タッピングも駆使する。また、フレットレス・ベースを演奏することもある。パワフルなプレイの反面、人物的には控え目かつ物静かでありライブビデオなど映像記録で喋っているシーンは殆ど無い。作詞もわずかながら手掛けており、6th以降長らく書いていなかったが11thでペトルーシと共作、12thで14年ぶりに単独での作詞を行った。支え役に徹しつつメロディアスなフレージングにはビリー・シーンらヘヴィメタル系統のテクニカル志向よりもスタンリー・ジョーダン(Stanley Jordan)らジャズの影響が強いと言われている。
一日の大半を練習に費やすストイックともいえるほどの練習好きで、自己管理や鍛錬にまつわるエピソードは多い。ウォーミングアップに二時間を費やす、ライブ前に腕立て伏せを100回やるという習慣をクリニックで明かしたこともある。
両親共に韓国系移民である。
マイク・マンジーニ
1963年4月18日生まれ
パート: ドラム
5歳のときにドラムを習い始めると、日に6~10時間も練習し、9歳になる頃には既にバディ・リッチをコピーしていた、と自身のサイトで語る[2]
1991年から1994年までスラッシュ・メタルバンドのアナイアレイター、1994年から1996年はエクストリームに所属。1996年から2000年までスティーブ・ヴァイのドラマーとして活躍し、その後はバークリー音楽学院で教鞭をとる。
2005年にはジェイムズ・ラブリエのソロアルバムに参加。2010年の新ドラマーのオーディションに1番手として参加し、翌2011年1月からレコーディングに参加する。
現在はキャノンタムやシンバルを頭上に配置した、巨大且つ複雑なドラムセットを使用している。前任者であるマイク・ポートノイと同様に、バスドラムのヘッドには、ドリーム・シアターの作品のアートワークがあしらわれている。
使用機材は本体にPearl、シンバルとスティックはジルジャンを使用している[3]
高速かつ正確なテクニックを得意とし、2002年から2005年にかけてドラムの連打最速記録を5つ保持していた。現在も保持している記録は、マッチドグリップでのシングルストロークで、60秒間に1247回の連打記録(2005年樹立)となっている[4]
2011年発売の『ア・ドラマティック・ターン・オブ・イベンツ』では作詞・作曲には関わらず、その間すべてのドリームシアターの楽曲の全パートをコピーしたと雑誌にて語っている。ただし公式のプロフィールには「composes on keyboard, bass, and guitar」とあり、本人もDRUM! Magazineのインタビューで作曲への参加に含みを持たせていた[5]。最新作『ドリーム・シアター』では楽曲制作の段階から参加している。

元メンバー

ファイル:Mike Portnoy.jpg
マイク・ポートノイ(Dr)
ファイル:Kevinmoore.jpg
ケヴィン・ムーア(Key)
ファイル:Derek-Sherinian.jpg
デレク・シェリニアン(Key)
マイク・ポートノイ
1967年4月20日生まれ
パート: ドラム
バンド全体をまとめるリーダー的な立場にあった。作品に関して音楽的な面だけでなく、ビジネス面やライブビデオの編集、限定盤の販売の発案など、細かい事まで指揮を取っていた。その激しく安定感のある驚異的なドラミングからファンが多く、ライヴでもコーラス・サイドヴォーカルを兼ね合いながら演奏は乱れることは少ない。しかし2004年腱鞘炎を発症、腱鞘炎は一度発症するとフラッシュバック的に再発することの多い病でもあり、今後に不安が残る。ペトルーシに次いで多く作詞を手がけており、ペトルーシに比してシニカルで攻撃的か、遊戯的な側面のいずれかを強く打ち出していた。また自身や家族などを題材にしたパーソナルな内容が多く、ペトルーシやラブリエのように政治的なメッセージを前面に出すことは少なかった。
3バス(バスドラム×3)など、ドラムセットが日々増え続けるのも特徴。バスドラムのヘッドには、ドリーム・シアターの作品のアートワークがあしらわれている。
ニール・パートテリー・ボジオラーズ・ウルリッヒジョン・ボーナムなどの音数が多くパワフルなドラマーに影響を受けている。ドラムセットの点数が多いという点ではニールやテリーからの影響は色濃いと言える[1]
ライブ中にオーディエンスをステージ上にあげ、ドラムセッションを行うなどファンサービスにも余念が無い。
2010年9月、公式HPにて突然の脱退を発表した。主たる脱退理由は、バンドを数年休業してサイドプロジェクト等の活動を行いたいポートノイと、すぐに新しいアルバム制作を行いたい他の4人との意見の相違によるもの。同年12月、バンド側に復帰を打診するも、代理人を通して断られていたことを明らかにした。
現在はThe Winery Dogs、Flying Colorsなどで活動している。
ケヴィン・ムーア
1967年5月26日生まれ
パート: キーボード
ニューヨーク州立大学フレドニア校音楽学部(State University of New York at Fredonia)出身。ペトルーシとマイアングの高校時代の同級生で、このバンドの前身であるMajestyに加入し、『Awake』のレコーディングまで参加する。脱退の理由は音楽性の違いが生じたためとのこと。初期作品の半数ほどは彼の曲とされる。シーケンサーで完成された楽曲をバンドに持ち込むことが多かったと他のバンドメンバーは語っている(例:「プル・ミー・アンダー」)。荘厳で幻想的なストリングスピアノのプレイを中心とし、「メタル」のジャンルらしからぬ質感を持ったメロディアスな楽曲を多く提供した。ソロパート以外での手数は後任に比して極端に少なく、デレクやジョーダンのような高い技巧より、一音の響きを重視するプレイスタイルであったため、バンド脱退後は電子音楽やアンビエントにも接近した。固そうな外見とは裏腹に、インタビューなどではギャグを連発し、話し続けるキャラで、「周囲を常に笑わせずにはいられない人」と仲間に評されている。一方で詞を書く力にも恵まれており、総じてカリスマがあった(後のミュージシャンでも、例えばボブ・カツィオニスなどが影響を公言)。技術的には現在のキーボーディストには及ばないと現存メンバーにはいわれる。現在はクロマ・キー(en:Chroma Key)、OSI(:en:OSI)、ソロ名義などで活動している。
デレク・シェリニアン
1966年8月25日生まれ
パート: キーボード
バークリー音楽院出身。他のバンドメンバーが休学しているのに対し、活動前に卒業している。
ケヴィンの後任のキーボード。即興性やノリを重視し、弾きまくる、激しいライブパフォーマンスを見せていた。ディープパープルの「パーフェクト・ストレンジャーズ」をカバー、発売した際に、ヴォーカルは本家よりすばらしいが、キーボードは本家に遠く及ばないとBURRN!誌に書かれた。
ルーデスの加入に伴い99年に解雇された(しかしその後もメンバーとの関係性は良好であり、ライブにゲストとして出演したり他のプロジェクトで共演している)。バンドを去った後も多彩な交友関係を生かし、セッションやコラボレーションでの楽曲作りを行っていた。ちなみにセッションを経験した相手にはいわゆる大御所も多数おり、ここでも即興を活かしたプレイスタイルで演奏を残している。現在はPlanet X(:en:Planet X)等で活動。
チャーリー・ドミニシ(Charlie Dominici)
1951年6月16日生まれ
パート: ボーカル
裏声を多用するスタイルで、後任者に比して声量が少ないが、個性的ということでは引けを取っていない。現在は自身の名を冠したバンド・ドミニシを率いて活動している。余談だが、現在のキーボーディストに「タクシーの運転手かと思っていたら歌いだしたからびっくりした」などと言われるような風体でライブに現れたらしい。
メンバー名の発音
Petrucci、Myung、Dominiciについて、日本の雑誌やサイトではそれぞれペトルーシ、ミュング、ドミニシと表記されているものがあるが、正しい発音に近いのはペトルッチ、マイアング、ドミニチである。ドリームシアターの日本におけるオフィシャルファンクラブ、Carpe Diem!のファンジンもこの表記に準じている。

ディスコグラフィー

テンプレート:Main

スタジオアルバム

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:ドリーム・シアター

  1. You Tube Dream Theater - Making Of SDOIT Studio Visit Part I
  2. Mike Mangini Official Website - biography
  3. Zildjian Artist Page - Mike Mangini
  4. You Tube - Mike Mangini's Current 1,247 and 13,222 Records
  5. MIke Mangini Q&A: The Dream Theater Experience - Drum! Magazine