モンバサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:世界の市 モンバサMombasa)は、アフリカケニア共和国海岸州のモンバサ島にある都市。かつてはアラブ人との交易で栄えた地域で、イスラム教徒が多く住む。

地勢・産業

ケニア第二の人口をもつ同国最大の港湾都市。モンバサ港には世界から多くの船舶が出入りし、その一角であるキリンディニ港にはクルーズ客船が多数来航する。本土との間は2つの入り江で分けられ、北部は橋で、西はコーズウェーで、南はフェリーで通じている。市街地は本土まで拡大している。近隣の都市としては、約100キロ北東にマリンディ、130キロ南西にタンザニアタンガが位置している。モンバサはケニアのみならず、港を持たないウガンダルワンダブルンジや、コンゴ民主共和国・タンザニア・スーダンの一部の外港として機能している。ケニア鉄道が首都ナイロビを経由してウガンダのカンパラまで通じており、また高速道路がナイロビやタンザニアのダルエスサラームへと通じている。モイ国際空港がある。空港やホテルにあるタクシーより、市民の足としてはマタトゥ(ミニバス)、トゥクトゥク(3輪車)、ボダボダ(自転車)がある。

気候

熱帯気候で、4月と5月の降雨が最も多く、1月と2月が少ない。平均気温は11月から4月に最高が30度Cを超え、5月から10月は下回る。

歴史

ムスリム商人の活動が盛んになるにつれ、インド洋交易の拠点の一つとして栄えた。1331年には、イブン・バットゥータもこの街を訪れている。1498年のヴァスコダガマ以来、ポルトガルが進出し、現地勢力とポルトガルの抗争が続いた。18世紀半ばには、アラビア半島南部で勢力を伸ばしていたオマーンが、ポルトガル勢力をモンバサから駆逐した。18世紀後半、オマーン本土で内乱が起きると、土着化したオマーン人豪族マズルイ家がモンバサを支配下に収め独立したが、1828年、オマーンのスルタンサイイド・サイードの攻撃に屈し、再びオマーン領となった。19世紀後半になると、イギリスの支配下におかれ、イギリス領東アフリカの重要な外港となった。1896年よりウガンダに向かって鉄道敷設が始まり、1901年にはビクトリア湖付近のキスムまで、1931年にはカンパラにまで開通した。

2002年11月にアル・カーイダの犯行と見られる、イスラエル人を狙ったホテル爆発事件が発生し、ケニア人が巻き込まれ13名が死亡した。同日にモイ国際空港ではイスラエル航空機へミサイルが発射されたが無事であった。

経済

船舶が出入りし、観光が主要産業である。旧市街と多数のビーチがある。地場産業として製油所とセメント工場がある。

ギャラリー

姉妹都市

参考文献

外部リンク

テンプレート:Sisterテンプレート:KE-stub