ダルエスサラーム

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テンプレート:出典の明記テンプレート:世界の市 ダルエスサラームDar es Salaam, دار السلام)は、タンザニア最大の都市で、以前の首都。ドイツ領時代の旧称はカール・ペータース ここを開拓したドイツ東アフリカ会社のカール・ペータースにちなんでいる。ダルエスサラーム州の州都。インド洋に面した港町。通称ダール。現在の法律上の首都はドドマであるが、実質的な首都機能は、経済の中心地となっているダルエスサラームにある。2009年の人口は約320万人[1]。鉄道など交通の中心地で、ザンジバルほかへのフェリーが発着する。気候は熱帯性で海岸のため湿気が多い。最高気温は年間を通じ30℃前後、最低気温は20℃前後である。降雨量は1年に1100mm。

歴史

1865年もしくは1866年に、対岸にあたるインド洋上の島ザンジバル島を支配するザンジバル・スルタン国テンプレート:仮リンクオマーンアラブ人王朝)のスルタンテンプレート:仮リンクによって建設が始まり、彼の離宮が置かれ、ダルエスサラームの名が与えられた(「平和の家」「平和の地」を意味するアラビア語のダール・アッ=サラーム(دار السلام テンプレート:Transl)に由来するものとされる)。マージドは、農業・商業の発展のためにアラブ商人やインド商人をここに住まわせた。[2]

1870年にマージドが死んだ後一時的に寂れたが、1887年ドイツが進出し、1895年ドイツ領東アフリカ首都バガモヨから移され、東アフリカ・インド洋地域における基地となった。1905年マジ・マジ反乱1905年 - 1908年)。

第一次世界大戦でドイツが敗北すると、ダルエスサラームを含むドイツ領東アフリカイギリス委任統治タンガニーカとなり、イギリスによりダルエスサラームはタンガニーカの政治・経済の中心都市として位置付けられた。これにより、他のイギリス支配地域と同様に、ダルエスサラームにもインドから数多くの移住者を受け入れることとなった。

第二次世界大戦後、スワヒリムスリム住民を中心とした人々によるタンガニーカの独立を目指す運動の中心地となり、1961年にタンガニーカは独立を達成した。1965年にタンガニーカ共和国がザンジバルと合邦してタンザニア連合共和国が成立するとダルエスサラームが首都となる。

1973年に法律上の首都はタンザニア内陸部のドドマに移された。それに伴い国会がドドマに移転されたものの、官公庁や中央銀行をはじめとする主要な機関のほとんどが現在もダルエスサラームに残っているため、首都機能を担う都市は実質的にダルエスサラームであると見なされている。

経済

気候

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教育

交通

出典

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関連項目

ジュリウス・ニエレレ国際空港

外部リンク

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  1. CIA-The World Factbook "Africa::TANZANIA" ISSN 1553-8133 による。ちなみに2003年に発表された人口統計によると、2002年の人口は2,487,288人。("2002 population and housing census", 2003, United Republic of Tanzania, Central Census Office, National Bureau of Statistics, President's Office, Planning and Privatization in Dar es Salaam.)
  2. James R. Brennan, Andrew Burton, Lusuf Lawi (2007). "Dar es Salaam: histories from an emerging African metropolis"; The emerging Metropolis: A history of Dar es Salaam, circa 1862–2000: The founding of Dar es Salaam, 1862-87., African Books Collective. pp. 13. ISBN 9987449700.
  3. ダルエスサラーム証券取引所、DSE