マイケル・キスク

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テンプレート:Infobox Musician マイケル・キスクMichael Kiske1968年1月24日 - )は、ドイツハンブルク出身のロックヴォーカリストである。ドイツ語読みではミヒャエル・キスケが正しいが、日本では英語読みのマイケル・キスクとして有名である。身長181cm。

バイオグラフィー

Helloween

カイ・ハンセンにその力量を見込まれ、18歳でジャーマンメタルバンドHelloweenに加入し、アルバム『Keeper Of The Seven Keys』でデビューを果たす。Helloweenを世界的なメタルバンドに押し上げ、ジャーマンメタルというジャンルの確立に貢献した。

カイ・ハンセンが1988年にHelloweenを脱退し、キスク自身も1993年に、メンバーとの音楽性の対立(この他にもギタリストのローランド・グラポウとの確執などいろいろな説がある。なお、グラポウとの確執についてはグラポウが後に「Mr.Ego」という曲で皮肉っている。しかし、後にグラポウが立ち上げたバンドMasterplanの「Heroes」にゲスト参加したことで事実上解消)から、バンドを脱退。丁度この頃アイアン・メイデンからブルース・ディッキンソンが脱退したばかり(後に復帰)で、その後任としてキスクが加入するのではという噂もまことしやかに流れたが、キスク本人はメディア誌等のインタビューに対して「それは無い!」とキッパリ否定している。

Helloween脱退後

自身の求める音楽性と合わないということから、メタルシーンを退き、1996年にソロ第一弾アルバム、『Instant Clarity』を発表。♯5. TheCalling、♯2. New Horizons にて、ハロウィン脱退以来久しく聴く事が出来なかった歌唱力を再確認した。♯7. Alwaysは自殺したインゴ・シュヴィヒテンバーグに捧げられた楽曲で、ビデオクリップも作られている。ハロウィン時代よりもスタンダード目で綺麗な歌モノのロックやバラードでまとめられている。カイ・ハンセンエイドリアン・スミスがゲストとして参加。なお、キスクは前年に発表されたガンマ・レイのアルバム『Land Of The Free』にも参加することになった。このスタジオ録音の際に録ったTime To Break Freeのヴォーカルは、このアルバム内で最も素晴らしいヴォーカルパフォーマンスとなり、カイ・ハンセンを含め、その場にいた全員が彼が全曲歌った方が良いんじゃないか、と言ったというエピソードが残っている。カイ・ハンセン曰く「彼がまさにやろうとしている事(ソロとしてスタート)だからピッタリの楽曲だと思う」との事。

この頃のインタビューで「ハードロックも入っているが、このアルバムは今後のヴィジョンである」とインタビューで語っていた。そして、1999年に発表したセカンド『Readiness To Sacrifice (R.T.S)』は、前述の言葉通り、前作のスタイルを自身の音楽スタイルで発展させてはいた。当時のインタビューでも「 自分は元々(ハロウィン入りするよりもずっと以前から)典型的なヘヴィメタル人間では無い 」とはっきり公言しており、クラシックアルバムを出す事にも興味があると言う事すら示唆した(R.T.Sの♯9. Easy ♯10. Shadowfights はオーケストラタッチのクラシックソングであった)。尚、窓辺で人の形をした何かがで佇んでいるジャケットや、敢えて全ての歌詞を載せなかった独特のインナーはこのアルバムコンセプトに依るもので、本人自身でデザインした物である。

Avantasiaへのゲスト参加

2001年、エドガイ(EDGUY)のトビアス・サメットに熱烈なアピールを受け、メタル・オペラ・プロジェクトAvantasia 『The Metal Opera』に(アーニーERNIE名義で)参加。役名はLugaid Vandroiy。その他のゲストには、カイ・ハンセン(ガンマ・レイ)、ロブ・ロック(インペリテリ)、へニユ・リヒター(ガンマ・レイ)、マーカス・グロスコフ(ハロウィン)、アンドレ・マトス(シャーマン)、ティモ・トルキ(元ストラトヴァリウス)、アレックス・ホルツワース(ラプソディー)、デヴィッド・ディフェイス(ヴァージン・スティール)、オリヴァー・ハートマン(元 アット・ヴァンス)、シャロン・デン・アデル、RalfZdiarstek(無名の新人)らが参加している。豪華ゲストが話題を呼び、高セールスを記録した。参加曲は♯2.♯5.♯6.♯9.♯13.♯14. 。以降もエドガイのEP等にゲストで参加し、ヴォーカルをとる事になる。

Supared

2003年に「Supared」を結成。ソロからバンドスタイルに変え、二作のソロを引継いだ音楽性に、ロック色を強めたアルバム『Supared』を同年に発表。基本的にソロ同様に曲は自身で制作している。しかし、セールスは前回以上に落ち込んだ。自身では「自分のやりたい事を追求するにはセールス面では覚悟しなければならない」と語っていた。2004年5月にはSuparedオフフィシャルページにて事実上の「ハードロックシーンからの引退」宣言を発表している。

Place Vendome

2005年にフロンティアレコードの提案でピンク・クリーム69のメンバーと共に「Place Vendome」というプロジェクトを立ち上げ、同年に『Place Vendome』を発表した。マイケル自身のコメントでは、元々レコーディングした時は本当に「フォリナージャーニータイプ 」のAORだったそうで、レコーディング後にFrontiers Recordsのオーナーであり、Place Vendomeを始動させた本人でもあるSerafino Peruginoがヘヴィなギターをサウンドに乗せてミックスし、出来上がって来た物が本作だったとのこと。自身ではミックスには立ち会っていない。制作課程それ自体は、本人も非常に楽しめたそうで、「まあ、いいか」という程度にひとまず考え方を留めることにし、発表に至った。また、この頃に胃の手術を受けていたが、比較的すぐに回復している。

2009年、第二弾となる「Streets Of Fire」が発表された。#1Streets Of Fireや#8A Scene In Replayなどの楽曲中では、最近はあまり聴くことの出来なかったハイトーンボイスを披露している。

ソロ『Kiske』

2006年にはソロ名義で『Kiske』を発表。彼はAORにも似た世界に入り、今も自分の音楽を追い求め続けている。サウンドは、ヒーリングサウンドを取り入れた様なポップス及びロックであり、これまでのソロ史上、最も穏やかで優しい音作りとなった(2007年3月現在公式サイトにて試聴可能)。ヘヴィメタルを歌わなければいけない、と言うファンには納得出来ないが、歌って欲しいと言う意見自体を否定するつもりは無いとも発言している。

UNISONIC結成

プロジェクトPlace Vendomeが縁となり、2009年に新バンドUNISONICを結成。メンバーはPlace vendomeで共演したデニス・ワード(b)とコスタ・ツァフィリオ(ds)(共にピンク・クリーム69のメンバー)、そしてマンディ・メイヤーである。マンディ・メイヤーは、デニス・ワードがKROKUSのプロデュースを手掛けた縁から加入を持ちかけられた。そして2011年春に、かつての盟友であるカイ・ハンセンの加入が発表された。同年10月にカイを加えた5人編成でLOUD PARKに参加し、翌年にはデビューアルバムが発売され来日公演も行った。 2014年、2ndアルバム「Light of Dawn」が発売された。

ディスコグラフィー

Ill Prophecy

  • 1986年 Ill Prophecy (デモテープ)

ソロ

Place Vendome

UNISONIC

ゲスト参加

関連項目

外部リンク

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