マイク・ザンビディス

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マイク・ザンビディスMike Zambidis、男性、1980年6月15日 - )は、ギリシャキックボクサーアテネ出身。アイアン・ジム所属。“鉄の拳”の異名を持つ。

人物

小柄な体にスキンヘッド、試合時は常に紺のショートパンツを着用する。ローキックをどれだけ浴びても全く退かない勇敢なファイトスタイルを持つ。右ローのフェイントからのスイッチブロー・左ボディからの右ローキックや跳び蹴り・膝蹴り等を多用する。

パンチのほとんどがフック系のため、顔面を挟みこむようなブロックに対して攻めあぐねる傾向がある。

体格・ファイトスタイル故にアルバート・クラウス山本"KID"徳郁などパンチを武器とし真っ向から打ち合うファイターとは噛み合うが、小比類巻貴之魔裟斗佐藤嘉洋のようにリーチ差を生かすアウトボクサーに対しての戦績は芳しくない。

来歴

アマチュア時代

6歳まで体操をしていたザンビディスは、その後松濤館流空手を2年間経験し茶帯を獲得。

11歳の時に空手道場でキックボクシングの練習を開始。練習を始めて2か月程度で試合に参加し、キックボクシングのギリシャ・ジュニア王者のタイトルを獲得した。

15歳になる頃には既にキックボクサーとして大人とも対戦し、16歳でアマチュア戦歴は60戦48KOに達していた。

16歳から3年間アマチュアボクシングも経験。国内王者となり、ジュニアナショナルチーム入りを果たした。アテネオリンピックの際にはギリシャ代表候補にもなったが、K-1を優先させるために辞退した。

同時期、ギリシャで開催された「Best of the Best」75kgトーナメントに負傷して試合に参加できなくなった選手の代わりに参加。体重62kgではあったものの3試合を勝ち抜き優勝し、この時を境にプロキックボクサーとなることを決意。

プロキックボクサー時代

2000年11月19日、オーストラリアで開催された「K-1 Oceania Star Wars 2000」のスーパーファイトに出場。スタン・ザ・マンが創設した世界オリンピックキックボクシング協会(WOKA)の世界スーパーウェルター級王者決定戦でバリス・ネジフと対戦。12RにレフェリーストップによるTKO勝ちで王座を獲得した。

2001年4月3日、オーストラリアビクトリア州メルボルンクラウンで行われたWAKOの防衛戦で、クロングサック・レックタイ)を執拗なボディ攻撃で、8RにレフェリーストップによるTKO勝ちで同王座の防衛に成功する。11月11日、「K-1 WORLD MAX OCEANIA 2001」に出場。1回戦でマイク・コープに1RでTKO負け(カットによるレフェリーストップ)を喫した。

2002年11月26日、「K-1 WORLD MAX OCEANIA 2002」に出場。1回戦でビリー・マムーに2RKO勝ち、続く準決勝ではジェンク・ベヒックに3RKO勝ち、決勝ではジョン・ウェイン・パーを3R判定勝ちで下し優勝。

2003年2月18日、オーストラリア・メルボルンで開催された「NO RESPECT」でISKA世界スーパーウェルター級タイトルマッチ(2分12R)をニクラス・ヴィンベリ(スウェーデン)と行う。3Rに2度のスタンディングダウンを奪うと、直後に右フックでKO勝ちし、王座防衛を果たした。同年3月1日に来日。「K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜」のスーパーファイトで、初代優勝者アルバート・クラウスと対戦し、2R右フックでKO勝ち。初代王者から奪った衝撃的なKO劇で名を高めた。

2003年5月17日、イタリアミラノで開催された「KING OF THE RING」のスーパーウェルター級トーナメントに出場し、3試合勝利し優勝。7月5日に「K-1 WORLD MAX 2003 〜世界一決定トーナメント〜」の1回戦で魔裟斗と対戦し終始優勢に試合を進めるも、ダウンを奪われ判定負け。

2004年4月7日、「K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜」の1回戦でHAYATOと対戦。3Rに右フックでダウンを奪い判定勝ち。7月7日、「K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント〜」の準々決勝で小比類巻貴之と対戦、判定負け。8月にナソス・アルギロプロス(元ギリシャムエタイスーパーミドル級王者)を新しいトレーナーとした。

2004年11月28日、オーストラリア、メルボルンで開催された76kg級のワンデイトーナメント「A-1 World Combat Cup」に出場。1回戦でピート・スプラットに2RKO勝ち、準決勝でグルカン・オスカンに判定勝ち、決勝戦でプリンス・ハミッドに判定勝ちを収め、優勝を果たした。

2005年3月12日、シドニーで開催された「GREECE&SERBIA FIGHTS THE WORLD」のキング・オブ・ザ・リング世界ミドル級タイトルマッチで、ゴラン・ボロビッチ(クロアチア)を5Rに右フックでKOし、新王者となった。4月30日、フランスリヨンで開催された「A-1 World Combat Cup」に出場予定であったが、出場をキャンセルした。翌月の5月4日に「K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜」のスーパーファイトに出場。山本"KID"徳郁と対戦、右フックで失神KO勝ち。

2005年7月20日、「K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜」の準々決勝で魔裟斗と2年ぶりに再戦。3Rにダウンを奪われ、判定負け。同年11月7日、オーストラリアのメルボルンで開催された「NO RESPECT 3」にて、WKBF世界スーパーウェルター級王座に挑戦。カラ"ザ・スーパートルク"ムラットトルコ)に5R3-0の判定勝ちで同王座を獲得。

2006年4月5日、「K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜」の1回戦で佐藤嘉洋と対戦、判定負け。同年6月28日、K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜の1回戦でドラゴに延長判定勝ち。

2007年10月3日、「K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜」の準々決勝でアルトゥール・キシェンコに延長判定負け。終始キシェンコのリーチとブロックワークに苦戦していた。12月9日、地元ギリシャでベルナルド・マーバン・デラホーラにKO勝ち。

2008年3月3日、オーストラリア・メルボルンのボーダフォンアリーナで行われた、「NO RESPECT 4」のA1世界ミドル級タイトルマッチでダニエル・ドーソンと対戦。判定勝ちした。

2008年4月9日、K-1 WORLD MAX 2008のトーナメント1回戦で前年度王者のアンディ・サワーと対戦。延長Rまで縺れ込むも、最後は左ハイキックでKO負け。

2008年7月7日、K-1 WORLD MAX 2008のトーナメント敗者復活戦でアルバート・クラウスと対戦し、3R終了時、左目カットによるTKO負け。

2009年5月8日、オーストラリア・メルボルンで開催された「It's Pay Back Time」でジョン・ウェイン・パーと再戦し、5R判定負け。

2009年11月20日、War of the Worldsにてジャバル・アスケロフと対戦し、2-0の判定勝ちを収めた。

2010年10月3日、K-1 WORLD MAX 2010 FINAL16シャヒッドと対戦し、延長Rに右フックでダウンを奪い3-0の判定勝ちを収めた[1]

2010年11月8日、K-1 WORLD MAX 2010 FINALの準々決勝で長島☆自演乙☆雄一郎にKO勝ちするも、続く準決勝でジョルジオ・ペトロシアンに0-3の判定負けを喫した。

戦績

プロキックボクシング

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獲得タイトル

  • アマチュア
  • プロ
    • ISKAバルカン半島王座(1997年)
    • World Profi ヨーロッパミドル級王座(1998年)
    • WOKA世界ミドル級王座(2000年)
    • K-1 WORLD MAX OCEANIA 2002 優勝(2000年)
    • KOTR世界ミドル級王座(2005年)
    • King Of The Ring イタリア大会 優勝(2003年)
    • A-1 World Combat Cupトーナメント 優勝(2004年11月)
    • WKBF世界スーパーウェルター級王座(2度防衛)

出典

脚注

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関連項目

外部リンク

  • 【K-1MAX】ペトロシアン、危なげなくFINALへ!キシェンコ、注目のサガッペットは敗退 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年10月3日