メルボルン

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テンプレート:複数の問題 テンプレート:世界の市 メルボルンMelbourne: : テンプレート:IPA2, テンプレート:IPA2[1]、発音の音声データについては参考資料のセクションを参照)は、オーストラリアビクトリア州州都で、オーストラリア大陸南東部、ポート・フィリップ湾に面したヤラ川河口の港市。オセアニア有数の世界都市

概要

メルボルン都市圏 (テンプレート:Lang-en-short) の推定人口は、2010年6月現在約408万人であり[2][3]シドニーに次いで同国第2位である。 2010年における都市的地域の人口では348万人であり、世界第94位、同国では第2位である[4]

しばしばシドニーとの比較がなされるが、近代的で忙しい大都市のイメージが強いシドニーと比べると、歴史的な建物や文化が残り、のんびりして住みやすいという印象を持たれており、2002年2004年の二度、エコノミスト誌の「世界で最も暮らしやすい都市」で一位を獲得している。市内各所には、未だにイギリス風の建造物が多く残っており、アフタヌーン・ティーをたしなむ習慣も残っている。

ロンドンニューヨークパリに次ぐ多さで世界の学生が学ぶ。

2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス人材文化政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第25位の都市と評価されており、オーストラリアではシドニーに次ぐ第2位であった[5]

歴史

主要記事:History of MelbourneTimeline of Melbourne history

初期

ポートフィリップヤラ川の辺りは30000年前からその地に住むと思われる先住民族クリン (Kulin) の地であった。彼らは漁業狩猟採集などを行いポートフィリップの豊かな資源によって生活していた。ヨーロッパ移民により持ち込まれた病気に多くが打撃を受け、虐待、誤治療、アルコール、性病、によってクリンの人々の数は急激に減った。クリンは1870年代までに滅びてしまい、今日メルボルンに住むアボリジニーの殆どは他の地域から来た人々である。今日アボリジニーの歴史を残すものは少ない。例えばカヌーに使われた木がメルボルンクリケットグラウンドの近くにある他、ポートフィリップ沿岸にある貝塚くらいである。

1798年テンプレート:仮リンクまで行ったジョージ・バスによって、バス海峡が発見される。レディーネルソン号1802年ジョン・マレーがポートフィリップを発見すると、マシュー・フリンダースが後に続いた。1803年チャールズ・グリムズはヤラ川の河口を発見し、今のケイラー地区まで到達。同1803年のちに、NSW総督フランスのバス海峡地域の占領を恐れ、デイヴィッ・コリンズ大佐を300人の囚人とともにポートフィリップ、テンプレート:日本語版にない記事リンクのソレントに送り居住地を拓かせようとするが、淡水の不足のために断念。1804年タスマニアへ居住地を移しホバートを創る。その囚人のなかには後の開拓者、政治家テンプレート:仮リンクがいた。

バス海峡の北岸はクジラ狩猟者、アザラシ狩猟者が20年ほどいた。1824年ハミルトン・ヒュームウィリアム・ホヴェルは陸路でNSWからウェスタンポートを目指してきたが、代わりにコライオ湾に着き、良質な放牧地を発見する。10年後、タスマニアで放牧をしていたエドワード・ヘンティは今のヴィクトリア西部、テンプレート:日本語版にない記事リンクの王領地に違法で羊牧地を設立した。

北タスマニアで成功していた農家ジョン・バットマンは更に放牧地を求めて1835年4月、バス海峡をポートフィリップに渡りヤラ川の河口に着く。6月8日彼の手記に、「そしてボートは広い河を上った... そして... 6マイル上流に良質でとても深い河を見つけたことを嬉しく思う。この場所は村を作るのに適している (テンプレート:Lang-en-short)」と書いてある。この最後の文は後にメルボルン建設憲章として採用されている。

バットマンはローンセストン (Launceston) に戻りヤラに居住地を拓くための大規模な探検の準備をする。しかし同時期にその時にはローンセストンで実業家となっていたテンプレート:日本語版にない記事リンクは同じアイディアを持っていた。フォークナーはスクーナー船エンタープライズ号を買い、移住しようとする人々とともに4月4日に出航した。1835年4月30日に代理艦長を務めていたJohn Lancey は居住地になる土地を選び、船を泊め船上の荷物を下ろした。そのスポットはヤラ川北岸、今のスペンサーストリートとキングスブリッジの間の辺りである。

一方でバットマンはレベッカ号で出航し、9月2日にヤラに着いたが既にフォークナーの人々がいるのに落胆し、憤慨した。2つのグループにとって十分な土地があり、10月16日フォークナーが他の居住者とともに到着すると、彼は土地を分配して、誰が最初に着いたかで論争しないことに同意した。バットマンとフォークナーは新しい町に住み、1837年3月に時の英国首相メルバーン卿にちなんで正式に "Melbourne" と名付けられるまで幾つかの仮の名前がその町に使われた。

メルボルンはヤラ河岸にテントや小屋の集まりで始まったが10年もしないうちに牧畜の中心地となり、石やレンガで金融ビルが建てられた。1836年9月にはニューサウスウェールズ植民地のポートフィリップ地区の行政中心地になる。

1851年7月居住者はヴィクトリアを独立した植民地にする運動を治め、ラ・トローブは最初の総督代理になった。数ヶ月後金がBallarat、Bendigoを初めとする植民地の各地で見つかった。続いて起こったゴールドラッシュはヴィクトリア、特にメルボルンを急激に変革させた。

ゴールドラッシュ以降

1850年代にヴィクトリア州中央部で金が発見されたことによりゴールドラッシュが始まり、港による貿易の必要性から急速に発展した。1880年代は大英帝国で2番目に大きな都市となり、「素晴らしいメルボルン」として知られた。今日ではヴィクトリア女王時代の建築物がロンドンを除く世界中の都市で最も多く残っている。

1901年オーストラリア連邦が成立してから、1927年キャンベラに移転が開始されるまでは連邦の臨時首都であった。

第二次世界大戦での移民の流入により20世紀前半は着実に拡大を続けた。1956年に南半球で初の夏季オリンピック大会(メルボルンオリンピック)が開催された。 2000年にシドニーオリンピックが開催されるまでは、南半球で唯一の開催地であった。

1990年代を通じて、クラウン・カジノやメルボルン博物館、メルボルンエキシビション・コンヴェンションセンターなどの公共建築物が積極的に造られた。

地理

ファイル:沖合いから見たメルボルンシティ.JPG
沖合いから撮影したメルボルン
ファイル:ヤラ川から撮影したMelbourne City.JPG
ヤラ川から撮影したシティ。
中央の木々に隠れた黄色い建物がフリンダーズ・ストリート駅である。
ファイル:Map of central Melbourne 3384553.PNG
メルボルン中心部の地図
ファイル:Greater Melbourne Map 4 - May 2008.png
ポートフィリップ湾全体から見たメルボルン都市圏とジーロングの位置

メルボルンはオーストラリア大陸の南東部に位置し、大陸では最南に位置する州都である。ポート・フィリップ湾に面し、郊外は東に広がる。湾口の南東に位置するダンデノン丘陵とヤラ丘陵からヤラ川が注ぎ、テンプレート:日本語版にない記事リンクとその支流の西と北は平坦な農業地域になっている。

旧市街地 (City) では超高層ビルが並ぶ風景が見られ、その南端はヤラ川に接する。郊外では人口密度が低く、片側4車線程度の道路が碁盤の目状に敷かれ、一戸建てで広大なを持った家々が並ぶ。

地球上での位置

日本では一般に、「オーストラリア国旗にはイギリス国旗(ユニオンジャック)も描かれている」または「オーストラリアはアメリカやイギリスと同じくアングロサクソンの国」との認識より、メルボルンに対してもアメリカやイギリスの都市と同じ印象を持たれているようである。それに加え、日本からメルボルンへの距離や飛行時間は方角が違うだけでアメリカ西海岸あたりとほぼ同じな為、「豪州=欧米」感覚の人が多い。しかし、逆にメルボルンから世界を見れば、実のところ地球上ではかなり特異な場所に位置しており、パース (オーストラリア)・アデレードと同じく「世界から隔離された都市」テンプレート:要出典という感覚を受ける人がいるテンプレート:誰

メルボルンを中心とした正距方位図法の世界地図を見ると、ロサンゼルスシアトルシカゴマイアミニューヨークアンカレッジバンクーバートロントアテネローマウィーンベルリンフランクフルトパリアムステルダムロンドンなどを含む「北半球のアメリカ本土(ハワイは除く)・アラスカ・カナダ・ヨーロッパ諸国」とはすべて12000km以上遠く離れている。東京から12000kmといえば、アメリカを超えて大西洋に浮かぶバハマ、ヨーロッパを越えてアフリカのモロッコ、インド洋を越えて南半球のアフリカ南部のマラウイ、オーストラリアを越えて南極大陸にまでそれぞれ届く距離であり、また、世界の他の都市間で12000kmといえば、文化的接点が全く無いと言っても過言ではないテヘラン(イラン) - リオ・デ・ジャネイロ(ブラジル)間にもほぼ相当し、それら以上に離れているということである。

逆に、12000km圏内にあるメルボルンと同じ欧米系の民族のいる国・地域(中東系は除く)は、隣国のニュージーランドハワイグアム(アラスカとカナダとアメリカ本土は入らない)・南アフリカ共和国ジンバブエナミビア共和国・ウラル山脈以東のロシア(モスクワやサンクトペテルブルクは入らない)・中央アジア5ヶ国(旧ソ連諸国で圏内に入るのはロシア以外この5カ国のみ)・チリアルゼンチンウルグアイ(中南米&カリブ海諸国の中で圏内に入るのはこの3カ国のみ)しかない。

それでも、タラマリン空港からは超長距離用特別仕様のカンタス航空機による12000km超えのロサンゼルスへのノンストップ便が就航している(飛行距離(片道):約12800km。所要時間:メルボルン発= 14時間20分、ロサンゼルス発= 15時間25分)。このメルボルン-ロサンゼルス便は、世界でも有数の長距離路線として知られている。日本発の片道12000kmを超える国際線のノンストップ便は一便もない。

この12000km超えのノンストップ便は現在ロサンゼルス便のみで、他のアメリカの都市やカナダやヨーロッパ諸国、モスクワ、中米&カリブ海諸国などへはロサンゼルス以上の遠さのため、それらの場所へノンストップ便が就航している日本や同じアングロサクソンのアメリカ・イギリス・カナダ・南アフリカ共和国とは違い、ノンストップ便は就航していない。

この為、世界の航空業界では『国際線が超長距離便ばかりになるのはオーストラリアの宿命』と云われている。毎年メルボルンで開催されているテニスの「全豪オープン」は、他のテニストーナメントが主に北半球の欧米諸国で開催されている中で、選手達にとって長時間かつ長距離の移動と時差があり、また真冬の北半球とは季節が逆の真夏の大会で、様々なハードな調整を必要とするため、番狂わせが起こりやすいテンプレート:要出典

一方、日本との距離は8000km強で、メルボルンからだと『近隣諸国の一つ』との見方もあるテンプレート:要出典。東京-メルボルン間にはノンストップ便が就航していないが、2014年4月29日からは直行便が復活する。[6]

気候

ケッペンの気候区分によると海洋性の影響の強い西岸海洋性気候(Cfb)に分類されるものの、日によって天気が目まぐるしく変わり、年間通してはっきりした四季は無く、一日の中に四季があるとも言われている。

冬季は最も寒い7月の平均最低気温が6.0℃とオーストラリアの大都市の中で最も冷え込むものの、降雪は周囲の山々で起きる程度で、平地では非常に稀であり、霜が降りることも少ない。過去最低気温の記録は1901年7月4日に記録した−2.8 °C に過ぎず、冬は温暖である。冬季は比較的曇天が多く日照時間が少ないが、日中は10度前後の日々が続いた後に20℃以上まで上がることも多い。

夏季は最も暑い1月の平均最高気温は25.9℃と低くなっているが、実際には内陸の砂漠地帯から吹き付けるフェーン現象により、年に数日は40度を超えるのような酷暑となることも多く、2009年2月7日には観測史上最高気温の46.4℃を観測している。時に内陸部では気温が50度近くに達することもあり、メルボルン近郊のラバートンでは同日に47.5℃を観測している。しかし、非常に乾燥しており湿気は少なく、夏季は山火事の起きやすい環境となっている。また、そのような酷暑の日であっても朝晩は涼しくなり、熱帯夜となることはほとんど無く、平均最低気温が最も高い2月でも14.6℃と低く快適である。

2006年には観測史上最悪の旱魃に見舞われ、例年ならば年間でも比較的降水が多い9月、10月に全く雨が降らなかった

テンプレート:Weather box

人口構成

国別海外出生者数
出生国 人口 (2006)
イギリス 156,457
イタリア 73,801
ベトナム 57,926
中華人民共和国 54,726
ニュージーランド 52,453
ギリシャ 52,279
インド 50,686
スリランカ 30,594
マレーシア 29,174
クロアチア 24,568
ドイツ 21,182
マルタ 18,951
南アフリカ 17,317
マケドニア 17,287
香港 16,917
ポーランド 16,439
フィリピン 15,367
レバノン 14,645
オランダ 14,581
ボスニア・ヘルツェゴビナ 13,332
メルボルン
都市部人口密度
(人/ha)
1951 23.4
1961 21.4
1971 18.1
1976 16.75
1981 15.9
1986 16.05
1991 16.8
1996 17.9
メルボルンの人口
1836 177
1851 29,000
1854 123,000 (gold rush)
1860 140,000
1880 280,000
1890 490,000
1895 900,000 (economic collapse)
1956 1,500,000
1981 2,806,000
1991 3,156,700 (economic slump)
2001 3,366,542
2004 3,592,975
2006 3,720,300 (2006 estimate)
2030 4,500,000 (projected)

この街は誕生以来、19世紀ゴールドラッシュ期、二度の世界大戦後の難民など、各国からの移民を多く受け入れてきた。人口の約74%がアングロサクソン系、約19%がその他のヨーロッパ系、約5%がアジア系(近年とみに増加率が高い)であるテンプレート:要出典ギリシャ系も多くギリシャやキプロスを除くと世界でもっとも多くのギリシャ人が居住しており、ギリシャ系のお祭りも多く行われている。中国人街ヴェトナム人街、イタリア人街など、国ごとのコミュニティを形成して住む傾向にある。そのため多種多様な食文化の影響を受け、広大な農地と隣りあって食材も豊富であるため、各国の料理を手軽に味わうことができる。国外からの留学生の受け入れにも積極的。

世界最高級の生活水準・環境、治安の良さそして英語が公式言語であることも手伝ってか移民先として世界でも屈指の人気がある。

産業

メルボルンはオーストラリアの3つの大きな企業、テルストラBHPビリトン, ナショナルオーストラリア銀行の本拠地があり、またテンプレート:日本語版にない記事リンク,テンプレート:日本語版にない記事リンクオーストラリア証券取引所に名を連ねる会社の多くがある。

オーストラリア第2の金融センターであり、多くのオーストラリアの大企業の本社(四大銀行のうち二行の本店)が立地するが、海外企業の地域本部はシドニーを好む傾向がある。オーストラリアの自動車工業の中心地であるほか、機械工業食品加工業が盛んである。繊維被服履物工業が盛んであったが輸入の影響による縮小が著しい。同国のファッションの中心地であるのはその名残である。

政治

ファイル:Queen Victoria Market.JPG
クイーン・ヴィクトリア・マーケット

メルボルン都市圏は、30の市議会(議員は公選、市長は議員から市議会が選出のen:弱い市長制)の管轄領域に分割される。オーストラリアの他州の州都と同様、都市圏全体の行政は州政府の管轄であり、メルボルン圏だけを管轄する地方自治体はない。都心部を管轄するメルボルン市議会の市長は、 "'Lord' Mayor" という上級の呼称をもっているが、権限は他の市長と変わりない。テンプレート:See

文化及びスポーツ

名所

博物館・美術館

楽団

動物園・水族館

スポーツ

テンプレート:Main

ファイル:AFL teams locations Melbourne.PNG
メルボルン近郊のAFL チーム

などが主要なスポーツイベントとして行われる。

1956年には南半球最初のオリンピック2006年にはコモンウェルスゲームズが開かれた。オリンピックが開催された都市として、および世界都市として、メルボルンは一番南に位置する都市となっている。

オーストラリアで盛んなクリケットに関しては、メルボルン・クリケットグラウンドで試合が行われている。

2007年には世界水泳選手権が当市で開催された。

オーストラリア国内サッカーリーグのAリーグには、当市に本拠を構えるメルボルン・ビクトリーFCメルボルン・ハートFCが所属している。

ショッピング

社会基盤

教育

テンプレート:Main2

交通

主要記事:Transport in Melbourne

公共交通

ファイル:Melbourne Flinders St. Station.jpg
フリンダーズ・ストリート駅
ファイル:Melbourne Central Station 1.JPG
メルボルン・セントラル駅
ファイル:メルボルン市内のtram stop.JPG
City内にある一般的なtram stop

メルボルンの公共交通機関はヴィクトリア州政府による許可のもとで、路面電車鉄道それぞれを運営する会社によって提供されている。これらは1990年代後半までは州政府が直接経営していた。現在これらのシステムは「Metlink」と命名されている。

路面電車は、約240kmという世界でも屈指の充実した路線網を誇る。旧市街 (City) から郊外へは放射状に近郊電車が伸びている。そのターミナルであるフリンダーズ・ストリート駅は、入口にずらりと時計盤(各路線の発車時刻を示す)が並んだ姿が特徴的で、メルボルンのシンボル的建築の一つである。この近郊路線は旧市街の縁を一周(City Loopと呼ばれる)しているが、北・東辺の半周三駅以外に地下鉄路線はない。

路面電車の中心部周回路線には観光客向けに無料の路面電車テンプレート:日本語版にない記事リンクが走っており、市内各所の観光名所を廻ることが出来る。外観は茶色の古電車であり、無料ゆえ、エアコンは導入されていない。

市内には多くのバス会社が存在する。長距離列車は都心部西部のテンプレート:仮リンク (テンプレート:Lang-en-short) に発着する。州内の列車はV-LINEと呼ばれる。州外への列車にはアデレード行きやシドニー行きのものがある。同駅および都心部北部に高速バスターミナルがある。

近郊電車と路面電車、それに路線バスはメットカード (Metcard) と呼ばれる共通の切符で利用することができ、購入した地域(ゾーン)内であれば一定の時間、自由に利用することができる。地域(ゾーン)はシティを中心に近い(半径約10km)地域がゾーン1、それ以外がゾーン2となる。料金システムは各ゾーンを対象に購入(ゾーン1内の利用であればゾーン1のチケットを購入)、もしくは利用するゾーンがまたがる場合はゾーン1+2のようにチケットを購入するシステムになっている。チケットには2時間券 (two-hour) ・1日券 (all-day) ・1週間券 (weekly) ・1ヶ月券 (monthly) ・1年券 (annual) があり、1週間もしくは1ヶ月券を持っていると、土日祝日に限りそのチケットでどのゾーンでも移動することができる。日曜日にはサンデイセイヴァーと呼ばれる日曜日だけの大幅に割引された特別券を利用することができ、テンプレート:要追加記述範囲

道路

メルボルンの道路は一般に道幅が広く、住宅地の一般的な道路でも片側2車線ある。また、歩道も完備されている。高速道路に関しては、信号があるものの時速100kmで走行できるハイウェイと、一般の道路とは切り離されているフリーウェイがある。どちらも無料で利用することができる。また、以前は市街地 (City) をはさんで市の東西を移動するのには大変な時間がかかるという問題点もあったが、近年開通した有料道路City Linkにより現在では解消している。ただこの City Linkも近年の人口・車所有率の上昇に対応しきれず、朝・夕の通勤ラッシュ時にはかなりの渋滞を引き起こし、ラッシュ時のさらなる渋滞を避けるため、City Link 入口に信号を設置、利用者の車の数を制限し渋滞を緩和しようと試みている。

空路

  • メルボルン空港(タラマリン空港)、国際空港、メルボルン北西のタラマリン地区、国際・国内便
  • アバロン空港、メルボルンと南西のジーロングの間に位置する第2の空港、格安航空会社による大陸部他州都への便が就航
  • エセンドン空港、メルボルンで最初の主要空港であるが、長らくの間使われていない
  • オーストラリア空軍のクック・ポイント基地は都市の南西の端に位置する

海路

メルボルン港はオーストラリアで最大のコンテナと一般貨物の港である。世界中の 300の都市との間に貨物航路があり、年間3200隻の船が発着する。メルボルン港はメルボルン中心部の西のMaribyrnong川とヤラ川の交差する地点にある。 同港とタスマニア州en:デボンポートを結ぶ定期カーフェリーen:「スピリット・オブ・タスマニア」の埠頭には、路面電車でもアクセスできる。

姉妹都市

メルボルンは多数の都市と姉妹都市提携をしている:


脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考資料

  • 「Melbourne」『FORVO』 2011年11月1日閲覧。オーストラリアの人によるとされる「Melbourne」の発音の音声ファイルを含む。
  • 「Melbourne」Weblio英和・和英辞典』 2011年11月1日閲覧。「Melbourne」の発音の音声ファイルを含む。音声は米国英語のみ。

外部リンク

テンプレート:Commons&cat 公式

日本政府

観光

教育機関

テンプレート:夏季オリンピック開催都市

テンプレート:コモンウェルスゲームズ開催都市
  1. 「Melbourne」Wiktionary英語版』 2011年7月6日 21:49 (UTC)。(オーストラリア英語における発音のIPA発音記号)
  2. 「Melbourne in numbers」(英語)City of Melbourne、2011年11月2日閲覧。
  3. 「3218.0 - Regional Population Growth, Australia, 2009-10」(英語)Australian Bureau of Statistics、2011年3月31日 11:30 (Canberra Time)、2011年11月2日閲覧。
  4. Demographia: World Urban Areas & Population Projections
  5. 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook (2014年4月公表)
  6. ジェットスター、2014年ゴールデンウィークに成田/メルボルン線を就航 FlyTeam ニュース 2013年12月11日付