ブライアン・ギブンス

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テンプレート:Infobox baseball player ブライアン・ギブンスBrian Givens1965年11月6日 - )は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

1984年のMLBドラフト10巡目でニューヨーク・メッツから指名を受け、入団。4年目のテンプレート:ByにはAAAのタイドウォーター・タイズに昇格し、マイナーリーグでは先発投手を務めていた[1]テンプレート:By6月19日にテンプレート:仮リンクとのトレードでシアトル・マリナーズに移籍したがテンプレート:Byに放出され、同年カンザスシティ・ロイヤルズに入団した[2]

テンプレート:Byオフにシカゴ・ホワイトソックステンプレート:Byオフにミルウォーキー・ブルワーズに移り、テンプレート:By6月24日にメジャー初登板を果たした。7月16日にはシカゴ・ホワイトソックスからメジャー初勝利を挙げている。同年は19試合に先発して5勝を挙げ、26,000ドル増の年俸135,000ドルで契約を更改した[2]テンプレート:Byはメジャーで6月の4試合に先発して3敗を喫したが、AAAのニューオーリンズ・ゼファーズでは10勝を挙げている[1]。同年12月に西武ライオンズと年俸5,000万円(推定)で入団契約を結んだ[3]

テンプレート:Byオープン戦で四死球で崩れるパターンが多かったが、シーズンに入ると外国人投手としてはパ・リーグ初の、初登板での完封勝利を達成した[4]伊東勤の好リードもあって4月30日にも完封勝利を挙げた[5]が、その後は制球難などで勝利がなかった。7月にはチームはルディ・ペンバートンを獲得し、外国人枠の制限からギブンスが二軍に行く予定だった[6]。7月4日に好投を見せて2ヶ月ぶりの勝利を挙げたため一軍での起用が続いた[6]ものの、8月15日の対オリックス戦では先発して先頭打者本塁打の後に2連続の押し出しがあって0回1/3で降板し、以降は敗戦処理として起用された[7]。10月12日に試合前の打撃練習で手首を痛め、そのまま日本シリーズに登板することなく解雇された[8]

プレースタイル

身長198cmと大柄だったが、球速は140km/hそこそこで低めに変化球を集め、エリック・ヒルマンに近いタイプと言われた[4]カーブを決め球としており、コントロールの悪さが課題だった[9]

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 MIL 19 19 0 0 0 5 7 0 -- .417 481 107.1 116 11 54 0 3 73 3 2 71 59 4.95 1.58
テンプレート:By2 4 4 0 0 0 1 3 0 -- .250 81 14.0 32 3 7 0 0 10 0 0 22 20 12.86 2.79
テンプレート:By2 西武 19 13 2 2 0 4 6 0 -- .400 354 77.2 80 7 58 1 4 45 5 0 47 44 5.10 1.78
MLB:2年 23 23 0 0 0 6 10 0 -- .375 562 121.1 148 14 61 0 3 83 3 2 93 79 5.86 1.72
NPB:1年 19 13 2 2 0 4 6 0 -- .400 354 77.2 80 7 58 1 4 45 5 0 47 44 5.10 1.78

個人記録

MLB
NPB

背番号

  • 13 (1995年 - 1996年)
  • 50 (1997年)

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

  • 1.0 1.1 BASEBALL-Reference.com Minor League Statistics
  • 2.0 2.1 BASEBALL-Reference.com Major League Statistics
  • 朝日新聞、1996年12月19日付朝刊、P.25
  • 4.0 4.1 読売新聞、1997年4月11日付朝刊、P.19
  • 毎日新聞、1997年5月1日付朝刊、P.17
  • 6.0 6.1 毎日新聞、1997年7月5日付朝刊、P.17
  • 読売新聞、1997年8月16日付朝刊、P.19
  • 朝日新聞、1997年10月25日付朝刊、P.33
  • 読売新聞、1997年3月26日付朝刊、P.21