パレストリーナ

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テンプレート:コムーネ パレストリーナ (Palestrina)、古代の名ではプラエネステ (Praeneste) は、イタリアラティウム(現在のラツィオ州)にある古市。ローマの東、ティヴォリの北東、アペニン山脈の山脚部に位置する。標高は海抜450m。現在コムーネローマ県に属し、人口は18,012人。面積は 46 km²。現在の市長はルドルフォ・レーナで、2004年6月より就任した。司教座がおかれ、大聖堂と神学校がある。神学校はバルベリーニ宮殿を使用している。

古代にはフォルトゥナの神殿があり、その一部が遺跡として残っている。モザイクの床が残る(現在はバルベリーニ宮殿中)。古代遺跡は中世に転用されており、アルクス・プラエネスティナは現在カステル・サン・ピエトロとして残っている。1332年コロンナ家が立てた宮殿と教会は、全面をアラバスター大理石で覆われた壮麗な建物である。

歴史

古代

遺跡からはプラエネステに紀元前8世紀から7世紀にすでに集落が作られていたことが知られている。古代の街があった丘のふもとにある平原に、古代には墓地が設けられていた。おそらくはカルタゴ産であるフェニキア様式の銀杯や金と琥珀による装飾品、エトルリア様式の青銅細工や象牙細工の副葬品が、墓地から出土している。紀元前7世紀から3世紀の間に帰せられる出土品はないが、紀元前250年頃から、独特な作りの墓地が見られるようになる。この墓地からはエトルリア文字の刻まれた手鏡などが出土している。また出土品からはエトルリア人だけでなく、ギリシア人とも交易があったことが伺われる。

プラエネステはおそらくアルバ・ロンガの勢力圏にあり、共和政ローマと同盟関係にあった。紀元前390年、ガリア人との戦争でローマが弱体化すると、プラエネステは同盟を解消し、ローマと敵対するようになった。この敵対関係はラテン戦争で頂点に達した。戦争はローマの勝利に終わり、プラエネステは賠償として領土のいくらかをローマに割譲した。戦後はローマの同盟都市となった。ローマ軍団が駐屯し、またローマから亡命したものがプラエネステに住むことが許された。ローマからの亡命者は富をもたらし、プラエネステの繁栄と成長に寄与した。

ローマ共和国末期、紀元前90年に、プラエネステに対してローマ市民権が提供された。ローマ内乱では、紀元前82年に、プラエネステで小マリウススッラに包囲され、結果、小マリウスは自殺し、プラエネステの男性市民が虐殺されるという事件が起こった。おそらくはこの後、プラエネステの街は、より低地に移設され、丘上にあったフォルトゥナ神殿が移転した後の市街へと拡張された。

丘陵地であるプラエネステには涼しい風が吹くため、帝政期には、ローマに近い避暑地として富裕層に好まれ、多くの別荘が立てられた。カエサル・アウグストゥスが滞在し、ティベリウスはプラエネステで病気療養をした。ハドリアヌスのものとされる別荘の遺跡が、街から1.2kmほど離れた平野上に残っている。小プリニウスシュンマコスもプラエネステに別荘を持っていた。富裕な滞在者たちが剣闘士試合を催したことが布告から知られる。

古代にプラエネステを有名にしたのは、フォルトゥナの神殿とそこで与えられる神託である。神託はプラエネステの籤 (sortes praenestinae) と呼ばれていた。遺跡から、神域は紀元前2世紀にはすでに築かれていたことが分かっている。神殿の前にはクラウディウスが建立したオベリスクが建てられていた。これは現在も残っている。

プラエネステのフォルトゥナはプリミゲニア(最初にもたらすもの)の名により崇拝された。この女神は2人の赤子に乳をやる女の姿にかかれ、これはユピテルユノであると言われた。主な崇拝者は既婚の女性たちであった。神託はキリスト教が広まってからも依然として与えられていた。テオドシウス1世のとき、神託は禁止され、神殿は閉鎖された。

中世

キリスト教の司教座が初めて文献に触れられるのは313年である。大聖堂は以前の街のバシリカ(集会場)を転用したものであった。

1297年、当時プラエネステ(パレストリーナ)を領有していたコロンナ家がローマ教皇に反乱をおこした。その翌年、教皇軍はパレストリーナを制圧し、街を完全に破壊した。1437年、教皇軍の将軍ヴィッテレスキ枢機卿は、再建されたパレストリーナを占領し、ふたたび完膚なきまでに破壊した。1448年ステファノ・コロンナは街を再建し要塞化した。1630年、街はバルベリーニ家へ売却された。

パレストリーナはルネサンスの大作曲家ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナの生地である。

現代

現在のパレストリーナは古代のフォルトゥナ神殿のあった高台に設けられている。

行政

  • 山岳共同体"Castelli Romani e Prenestini"に属する

脚注

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外部リンク

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