ツェルベルス作戦

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ツェルベルス作戦ドイツ語:Unternehmen Cerberus)とは、第二次世界大戦中の1942年2月にフランスブレスト港にいたドイツ巡洋戦艦シャルンホルストグナイゼナウ重巡洋艦プリンツ・オイゲンなどがドイツ空軍の航空支援を受けイギリス本土近くの危険なイギリス海峡を通ってドイツ本国への帰還に成功した作戦を指す。ツェルベルスとはドイツ語でギリシャ神話における地獄の番犬ケルベロスを意味する。イギリス海峡 (English Channel) をダッシュしたことから英語チャンネルダッシュ (Channel Dash) とも呼ばれる。

概要

ファイル:Unternehmen Cerberus.jpg
ツェルベルス作戦の航跡図

フランスのブレストには通商破壊作戦(ベルリン作戦)を終えたシャルンホルスト、グナイゼナウとライン演習作戦戦艦ビスマルクと共に出撃したプリンツ・オイゲンが在泊していた。しかし、ブレストはイギリス軍の空襲を繰り返し受け、またアメリカ合衆国の参戦もあって大西洋への出撃もほぼ不可能となっていた。ヒトラーはこれらの艦のノルウェーへの配置を命じ、イギリス海峡を突破して本国へ帰還するという作戦が実行されることになった。

1942年2月11日夜、オットー・チリアクス中将が率いるシャルンホルスト、グナイゼナウ、プリンツ・オイゲンおよび駆逐艦6隻はブレストを出港した。12日10時42分、スピットファイアが艦隊を発見し、高速魚雷艇5隻が攻撃を試みるも失敗した。12時45分、ソードフィッシュ6機が攻撃を行ったが、護衛の戦闘機と対空砲火で全滅し艦隊に損害を与えることはできなかった。14時31分、海峡を通過したところでシャルンホルストが触雷(機雷に接触)した。シャルンホルストは応急修理の後30分後に航行を再開した。ドイツ艦隊の海峡通過後からイギリスの爆撃機が攻撃を開始したが、損害は与えられなかった。その後19時55分にグナイゼナウが触雷、21時34分にはシャルンホルストが再度触雷するも3隻ともドイツ本国にたどり着くことができた。

英仏海峡を白昼堂々突破されたことで、イギリス海軍には轟々たる非難の声が殺到し、海軍は真相隠蔽に狂奔、数少ない攻撃隊の数少ない生存者に勲章をばらまいてお茶を濁した。しかし、突破したドイツ艦隊は狭い水域に封じ込められた事になり、スカパフローの英海軍本国艦隊に動きを遮断され、連合軍の制海権を脅かすものではなかった[1]。結局、ドイツ海軍は戦術的にかろうじて成功したが、戦略的には完敗した。

その後、この3艦はブレストがキールに変わっただけで相変わらず空襲を受け続け、まずグナイゼナウが1942年2月26日に空襲を受けて大破、結局廃艦となった。シャルンホルストはキールからさらにノルウェーに避退したが、1943年12月26日北岬沖海戦で撃沈された。プリンツ・オイゲンは同じくノルウェーに避退したが潜水艦雷撃されて中破。本国回航と修理に成功し以後バルト海にて対地支援に従事する。終戦を迎え、ビキニ原爆実験の標的艦となり、実験後曳航中に沈没した。

文献

  • John Deane Potter (Non-fictions): 『高速戦艦脱出せよ』、内藤 一郎訳、早川書房、1990年、ISBN 4-15-050002-9

脚注

  1. 「Engineers of Victory」Paul Kennedy p42

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