ダナン

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テンプレート:Redirect テンプレート:Pathnav テンプレート:基礎情報 ベトナムの省 ダナンテンプレート:Vieテンプレート:Lang-en-short)とは、ベトナム中部の中央直轄市。ベトナムの主要な港湾都市である。行政的には7区に分かれる。仏領インドシナ時代にはトゥーラン (Tourane) と呼ばれ、中国語では峴港と呼ばれる。

歴史

ファイル:Marble Mountains, Vietnam.jpg
ダナン近郊にあるテンプレート:仮リンク(Ngũ Hành Sơn, マーブルマウンテン)

16世紀には広南政権の首府フエの外港ホイアンでは南蛮貿易が行なわれていたが、ダナンは小漁村に過ぎなかった。

18世紀になるとテンプレート:仮リンクの河口にあるホイアン港が上流から運ばれたの堆積によって、次第に使用できなくなったため、ハン川の河口にあるテンプレート:仮リンクが成長し始めた。1835年阮朝明命帝は全ての欧州船にダナンに入港するよう勅令を発したため、ダナンがベトナム中部最大の港となった。1847年4月15日、テンプレート:仮リンク1858年9月、フランス・スペイン連合艦隊、ダナンに進行し、テンプレート:仮リンク1858年-1862年)が勃発。1883年6月、テンプレート:仮リンク1883年6月 - 1886年4月)が勃発。1887年10月、フランス領インドシナ連邦の成立。1889年、フランスのインドシナ総督府はダナンをクアンナム省から切り離し、トゥーランと命名して、総督直轄地とした。

20世紀始めのトゥーランはインフラストラクチャーが整備されて、食品加工業や造船業が発達し、ハイフォンサイゴンと並んでベトナムの主要貿易港となった。

1965年3月、ベトナム戦争の際には、朝鮮戦争以来のアメリカ海兵隊が上陸して、大規模な米軍基地を建設し、1967年には中央直轄市となった。1968年の旧正月に南ベトナム解放民族戦線がダナン駐留米軍に大攻勢をかけたテト攻勢ベトナム戦争の激戦の一つである。ベトナム戦争後、ダナンはクアンナム省と合併して「クアンナム=ダナン省」となった。

ダナンには空港、港湾、倉庫、銀行、工場などが次々に建設され、大規模な産業都市に発展する。1996年7月6日には再びクアンナム省から分離して中央直轄市となり、現在に至る。 テンプレート:-

地理

気候

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行政区画

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ダナンは、以下の行政単位に区分される。

  • 区(Quận、郡)
  1. ハイチャウ区
  2. タインヘー区
  3. ソンチャー区
  4. グーハインソン区
  5. リエンチェウ区
  6. カムレ区
  • 県(Huyện、縣)
  1. ホアヴァン県
  2. ホアンサー県中華人民共和国と領有権係争中)

教育

交通

空港

鉄道

道路

港湾

ファイル:Tien Sa Port.jpg
ダナン港のティエンサ(Tiên Sa)コンテナターミナル
  • ダナン港英語版
    • ハン川河口部からダナン湾内の沿岸部にかけて、一般雑貨、コンテナ貨物、木材・チップ、セメントなどのターミナルが設けられている。港湾施設は当初河口部に建設され、サイゴン港ハイフォン港などの他のベトナムの主要港と同様に河川港であったが、拡張によりダナン湾沿岸部に新たなターミナルが建設されたことで、外洋と直接アクセスできる海港となり、入出港水路の水深等の制約が少ないという好条件を備えている。ベトナム中部における主要外貿拠点となっている。
    • また、海軍海上警察の根拠地も置かれており、艦船の造修施設もある。

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友好都市

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友好港

出典

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関連項目

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外部リンク

ベトナム社会主義共和国政府
現地日本語メディア
現地日系企業

テンプレート:ベトナムの地方行政区画