ステン短機関銃

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1942年、カナダの工場で組み立て上がったステンガン。第二次大戦中、軍需生産には多くの女性が動員された
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1944年9月、マーケット・ガーデン作戦中に空挺部隊員によって使用されるステンMk-V

ステンガン (“Stengun”,もしくは単に“STEN”)とは、第二次世界大戦中のイギリスで開発された短機関銃(SMG)である。傑出した生産性を備え大量生産されて連合国軍やレジスタンスの主力小火器として大戦を通じて用いられた。

開発経緯

ダンケルク撤退とバトル・オブ・ブリテン

第二次世界大戦初期の1940年ナチス・ドイツ軍によるフランス侵攻作戦で敗北したイギリス及びフランス軍の残存部隊は、同年5月以降、イギリス本土への撤退作戦を開始した(いわゆるダンケルク撤退)。多大な犠牲を払いつつ、イギリス軍は10万人のフランス兵を伴い撤退に成功した。この大規模撤退に際し武器・弾薬などは多くを放棄せざるを得ず、イギリスまで逃れた英仏軍の兵士たちの多くが無装備状態であった。従ってこれを補う小火器の大量供給は急務となった。

しかし1940年7月以降、ドイツ空軍の英国上空侵攻が始まり、英国側は厳しい防衛航空戦を強いられる(いわゆる「バトル・オブ・ブリテン」)。イギリス空軍の奮戦によって侵攻は食い止められたものの、イギリス国内の軍需工場や施設などもかなりの損害を受け、英国における兵器生産にも障害が生じた。このような厳しい状況に対し、生産手法の新たな打開策が求められた。

ステンガンの登場

1941年に入り、英国軍はロンドンの北部にあった国営兵器工場・エンフィールド王立造兵廠に、扱いやすく生産性の良い短機関銃の開発を要請した。

エンフィールド造兵廠の技師であるレジナルド・V・シェパードとハロルド・J・ターピンは共同で新型サブマシンガンの開発にあたった。開発にあたって彼らが参考にしたのはドイツ軍のMP28MP40だった。

特にMP40は当時における最先端の短機関銃であり、銃としての性能自体もさることながら、鋼板プレス部品の多用など、それ以前のサブマシンガンとは隔絶した生産合理化策が加えられた、極めて斬新な銃だった。シェパードとターピンらはドイツ製SMGを徹底的に調査・分析した。

実包はドイツ軍の制式拳銃弾である9mmパラベラム弾を使用する。一般的にSMGの弾薬は自軍の制式拳銃と互換性があるのが望ましいが、弾薬補給の複雑化を承知でこの実包を採用した背景にはイギリスの制式拳銃弾である38エンフィールド(9mm)弾がリムド(有起縁式)実包であり、自動火器の使用に向いてないためであった。

また従前では考えられないほどの特異な合理化設計を図り、1941年6月に試作銃を完成させた。この銃は、二人の技師の頭文字(SとT)と、エンフィールド造兵廠の頭文字であるENを合わせ「STEN」(ステン)。第二次世界大戦初期の英国では短機関銃をMachine Carbineと呼称していたため、ステンガンも採用当初の制式名称は Sten Machine Carbine(“ステンマシンカービン”)とされた。制式火器採用トライアルをパスし、その後イギリス政府はさっそく、大手銃器メーカーのBSA社(バーミンガム・スモール・アームズ)にステンガンの量産を依頼した。8月に入るとBSA社は試験的に25丁を生産し軍に納入した。その後9月、10月と生産を増やしていった。

最初の生産型MK-Iは、まだ伝統的な小銃形式を模した第一次世界大戦型の短機関銃の姿を残しており、左から水平に差し込まれる箱形弾倉。木製の先台。折り畳み式フォア・グリップ。フラッシュハイダーなどが装備されていた。しかし、まだ量産するには念入りすぎるとされ、更に省力化とコスト削減を高める努力がなされた。

その結果、誕生したMK-IIは生産性を重視し設計は極限まで単純化・簡易化された。機構その物はMK-Iと大差ないが木製部品やフラッシュハイダーはそっくり廃され、フル・バレルジャケットの代わりに短めのベンチレーデットパイプに変更。円筒状のボルトを同じく円筒状のレシーバーに収めていたが、その外観は水道管の鉄パイプに引き金と箱形弾倉を差し込んだような異様な姿となった(このため「パイプ・ガン」との別名もある)。

ストックは一本の鋼管にバッドプレートとグリップ代わりとなる三角形の孔開き鉄板を溶接した物[1]。前方のフォア・グリップは省かれ、レシーバー先端部に留めたバレルカバー(ベンチレーデットパイプ)を代用にしていた[2]。これらは本来、銃器生産に携わらぬ工場で下請け生産するために取られた措置であったが、意外なことにこれだけ省力化されてもフルオート専用ではなく、セミ/フル切り替えセレクターによって単発射撃が可能であった。

MK-IIは推定200万挺にも及ぶ大量生産が行われ、自転車部品メーカー、装身具メーカー、果ては醸造所に至るまでの町工場やカナダなど英連邦の兵器工場などでも生産された。

ステンガンの構造

ステンガンの構造はオープンボルト式で、引き金を引くとボルトが弾薬を叩くが、チェンバーが空でボルトが閉鎖されていても強い衝撃を与えると、安全装置を掛けていないと次弾を拾って発火してしまうオープンボルト式SMG共通の欠点がある。照準器は固定式ピープサイトで微調整は効かず、マガジンハウジングは90°回転させることで、排莢口からの異物侵入を防ぐダストカバーになる。

生産を開始してからも長らく弾倉部の給弾不良が多発し(これはMP38/40同様、シングル・フィード・マガジンの構造から来る問題でどうしようもなかった)、MK-IIやIIIの初期生産ロットでは新品配布時の分解調整が必須という、粗製濫造を画に描いたような銃であった。弾倉は32発だが、作動を円滑にするには1、2発少なく装填した方が良いとされた。ランチェスター短機関銃用の50発弾倉も流用可能で、これは孤立を余儀なくされる状況が多い空挺隊員が好んで使用している。また、動作不良を減少させるため、実包は通常の9mmパラベラムより、装薬量を増した専用実包[3]の使用が推奨された。

小火器としての性能はMP40や米軍供与のトンプソンM1短機関銃に遠く及ばなかったが、SMGの正しい運用法である100m以内での射撃に徹していれば実戦的には問題にはならず、むしろ軽量さやバランスの良さ、耐久性が評価されている。また低性能なイメージが先行しすぎだが、MK-IIの実射レポートでは「噂の装弾不良はなく、問題なく全弾発射した」「M3グリースガンやトンプソンと違い、発砲時に銃口の跳ねや首振りもなく、非常にコントロールしやすい」と評価されており[4]、後にドイツ軍がコピー生産(後述)した事実や、1943年以降、兵器不足の危機が過ぎた後もステンに代わるSMGが大戦中に制式化されなかったことからも、完璧とは言えないものの、銃器としての優秀さは見て取れる。

英軍将兵からは「ステンチ(悪臭)ガン」や「ウールワース (「ウールワース」は安売りスーパーマーケットチェーンの名) ガン」、はなはだしくは「プランパーズデライト(デブ女の性具)」という蔑称で呼ばれたが、一丁あたりの製造単価わずか7ドル60セントで、これほど低コスト、したがって大量に製造できる銃は、当時他に類がなかった[5]。最終的に400万挺以上が生産され、これによってイギリス軍は歩兵用兵器の再整備を図ることができた。

ステンのバリエーション

  • ステンMk-I・・・初期生産タイプ。木製部品を多用しているのが特徴。生産数は少ない。
  • ステンMk-II・・・Mk-Iを徹底的に省力化した本格的量産型。第二次世界大戦中最も生産された(総生産数約200万挺)。
  • ステンMk-II(S)・・・Mk-IIにサプレッサーを装着させたタイプ。主に奇襲攻撃を行うために使用され空挺部隊に配布された。
  • ステンMk-III・・・玩具メーカーであるラインズ・ブラザーズが開発。MK-IIの改良型ではなく、Mk-Iの機関部を更に簡易化したもので、開発時期はMK-IIとほぼ同時。主にフランスなどのレジスタンスに供給された。バレルとレシーバーが一体化され、部品の数は僅か47個、5時間で完成できる。簡素化したことで潤滑油が不要だが、動作不良が多く評判は余り良くない。
  • ステンMk-IV・・・空挺部隊向けに設計されたモデルで握把の下に付属する銃床(ストック)を回転して折りたたむ事により全長を短くできる。試作のみに終わった。
  • ステンMk-V・・・ステンガンの最終生産型モデル。木製グリップ・銃床を採用。リー・エンフィールド小銃用の銃剣を装着可能。
  • ステンMk-VI・・・Mk-Vにサプレッサーを装着させたタイプ。主にSASに支給された。

カナダやオーストラリアで製造されたものには独自に再設計されたものも存在する。

  • ステンMk-I (カナダ製)・・・本土のMk-Iと違い木製部品を使っておらず、外観はMk-IIに近い。
  • ロータリーマグ・ステン・・・カナダで開発されたステンガン。マガジン投入口が下方になっており、バレルカバー前部に木製の小型グリップを装備する。
  • オーステン (オーストラリア製)・・・ステンMk-IIをベースに、MP40に似た方式のピストルグリップが機関部と弾倉投入口の下に追加された。また、やはりMP40のものをコピーしたユニット式遊底と折りたたみストックとを備える。
  • デンマーク・ステン・タイプ短機関銃・・・デンマークのレジスタンスがステンMk-IIをベースに開発した短機関銃。一部パーツはオリジナルと違うものだがシルエットはステンMk-IIである。

レジスタンスとドイツ軍

供給先としてイギリス軍はもちろんのこと、当時ドイツ軍に対しゲリラ攻撃を行っていたフランスほかヨーロッパ諸国のレジスタンスに対しても盛んに供給され、またデンマークのように現地でコピー生産された例もある。

小型軽量なステンMK-IIは弾倉を外し、ストックとバレルを分解すると大きめのハンドバッグにも収納可能なため隠密行動に適し、組み立ても簡単だった。しかも使用する9ミリパラベラム弾はドイツ軍装備の収奪で賄えるなど、レジスタンスが使うには多くの面で好都合だったのである。中にはポーランドのブリスカヴィカのようにレジスタンス組織がステンを基に独自改良型の短機関銃を設計した例もあった。

大量に供給されたことからドイツ軍の手に落ちる機会も多く、ドイツ軍では鹵獲したステンガンにMP749(e)の制式名称を付与した。大戦後半にはドイツ国内でステンガンの模倣品も生産され、Mk.IIのコピー品である通称「ポツダム器材(Gerät Potsdam、ゲレート・ポツダム)」、弾倉をMP40互換としたMP3008、通称「ノイミュンスター器材(Gerät Neumünster、ゲレート・ノイミュンスター)」が知られている。

ステンガンのその後

大戦終結後もステンガンは英連邦の主力火器として朝鮮戦争他で活躍したが、英軍は後継として1953年にスターリング・サブマシンガン[6]を制式採用し、L85が制式化される1985年までフルオート射撃不可能なL1A1ライフルを補完することとなる。これに伴ってステンは特殊部隊用のMk-VIを除いて現役を退き、Mk-VIも1960年代に運用を終えている。

また、建国当初のイスラエル軍や旧英領植民地でも中印国境紛争頃まで使用された。だが、これらも時代の趨勢には逆らえず、1960年代にはより威力があり、射程も長いアサルトライフルに取って代わられた。非正規装備としてはベトナム戦争ボスニア紛争での使用が確認されているが、造りの荒さのためか、これだけ大量生産された火器にしては1970年代以降の使用例はあまり見られない。

遊戯銃

ステンガンの遊戯銃は総じてモデル化された例は少なく、2014年現在に至るまでエアソフトガン電動ガンでは日本製の製品は皆無である。

モデルガンでは1970年代にハドソンがMK-II(バリエーションとしてMK-IIS)。MGCがMK-IIIをそれぞれフルオートモデル化していたが、52年度規制で鋼製プレス加工が規制されたり、会社が倒産、または遊戯銃部門を廃業したために現在では絶版。

モデルガン以外ではLSが、過去に1/1のプラ製組み立てキットとしてMK-IIを製品化[7]していた。他に玩具としてステンをデフォルメ化した拳銃型銀玉鉄砲[8]も存在したが、製造元他の詳細は不明[9]

ステン短機関銃の登場するメディア作品

テンプレート:Hidden begin 主に第二次世界大戦を描いた作品に登場する。

映画

Darwin Tremor役、Chris Pineが使用。

ゲーム

漫画・アニメ

特撮

MK-II及び、MK-IIIをブレイン党員が使用。

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関連項目

脚注

  1. ワイヤーストック仕様など他にもバリエーションがある。
  2. 本銃は見た目の第一印象から、弾倉基部をフォア・グリップ代わりに握って射撃すると思われ、またそう描かれている映像作品も多い。
  3. MK-IZ弾及び、MKII-Z弾。
  4. 1987年、月刊コンバット・マガジン別冊No12「世界のSMG」
  5. コストは英ポンドで2.5ポンド。これはMP40(価格約57マルク)の約1/7である。
  6. トライアル時にライバルであったランチェスター短機関銃から発展した銃。英軍は伏射に拘ったせいか、スターリングも弾倉配置はステンと同じく水平だった
  7. BB弾仕様ではなく、鼓弾をスプリングで発射するストライカー式射的銃。
  8. 正確には銀玉ではなく、水平に差し込むマガジンに装填したプラスチックの弾をストライカー式に飛ばすタイプ。マガジンはバネで一発ずつ弾を押し出す実物同様の構造。
  9. 製造元の表記はないが、本体左側面に「W.W.W. AUTOMATIC MACHINE GUN」、右側面に「MADE IN JAPAN」、グリップに「SA-1000」の文字がモールドされている。

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