ジャン=ジャック・ルソー

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テンプレート:複数の問題テンプレート:Infobox 哲学者 ジャン=ジャック・ルソーJean-Jacques Rousseau, 1712年6月28日 - 1778年7月2日)は、ジュネーヴ共和国に生まれ、主にフランスで活躍した[1]哲学者政治哲学者[2][3][4]作家作曲家である。

啓蒙思想の時代にあった18世紀フランスで活躍した。ドゥニ・ディドロジャン・ル・ロン・ダランベールヴォルテール等、同時代の多くのフランスの知識人とともに百科全書派の一人に数えられる。

生涯

ジュネーブでの幼年期

1712年、フランス語圏の都市国家ジュネーヴにて、市民階級の時計師の息子として出生。生後8日にして母を喪う。

7歳頃から父とともに小説や歴史の書物を読む。この時の体験から、理性よりも感情を重んじる思想の素地が培われた。1725年、父は退役軍人との喧嘩がもとでジュネーヴから逃亡せねばならぬ仕儀となる。兄も家出してしまい孤児同然となったジャン=ジャックは、母方の叔父によって牧師に預けられ、その後、公証人の許で書記の仕事を覚えようとしたり、彫金工に弟子入りするなど苦しい体験をする。3年後、出奔して放浪生活に入る。その後もさまざまな職業を試したが、どの職にも落ち着くことができなかった。たとえ成功しても放浪は止むことなく、自分の進むべき道を探求した[5]

1732年、ジュネーヴを離れ、ヴィラン男爵夫人の愛人となり、その庇護の下でさまざまな教育を受けた。彼は一人で膨大な量の書物を読み、教養を身につけた。また、孤独を好んだ。この時期については晩年、生涯で最も幸福な時期として回想している。

フランス時代

ヴィラン男爵夫人と別れた後、1740年から1741年にかけて、リヨンのマブリ家(哲学者マブリ、エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤックの実兄の家)に滞在、マブリ家の家庭教師を務める。

この職を辞めた後、1742年に音楽の新しい記譜法を発表し、それを元手にパリに出て、ドゥニ・ディドロらと親しくなる。これが契機となって後の一時期、『百科全書』に寄稿している。1745年、下宿の女中テレーズ・ルヴァスールを愛人とし、10年間で5人の子供を産ませ、5人とも養育院に入れてしまった[6][7][8]。しかし、1750年にディジョンのアカデミーへの懸賞論文「学問及び芸術の進歩は道徳の純化と腐敗のいずれに貢献したか」において彼が執筆した著作『学問芸術論』が入選して、この不遇状態は一変、以後、次々と意欲的な著作・音楽作品を創作する。1753年、41歳にして書き上げた『人間不平等起源論』は初の大作であり、懸賞論文への解答であった[9]。ベストセラーとなった書簡体の恋愛小説『新エロイーズ』(1761年)、『社会契約論』(1762年、50歳)等はこの時期に執筆されている。ただしこの間、ヴォルテール、ジャン・ル・ロン・ダランベール、ディドロら当時の思想界の主流とはほとんど絶交状態となった。1756年(44歳)、ヴォルテールの著作『リスボンの災禍にかんする詩』に対してルソーが異論を唱えた時、対立関係は決定的なものとなった。

晩年

1762年、教育論『エミール』が世に出ると、その第4巻にある「サヴォア人司祭の信仰告白」のもつ自然宗教的な内容がパリ大学神学部から断罪され、『エミール』は禁書に指定され、ルソー自身に対しても逮捕状が出たため、スイスに亡命した。亡命中はスイス、イギリスなどを転々としたが、彼を保護したイギリスの哲学者デイヴィッド・ヒュームと不仲になり、1770年、偽名でパリに戻った。

パリでは、亡命中から執筆していた自叙伝『告白』を完成させ、続いて最後の著作『孤独な散歩者の夢想』の執筆を開始したが、この作品の完成を見ることなくパリ郊外のテンプレート:仮リンクにて死去した。

哲学、思想、学術研究

ルソーは、一般的に政治哲学社会思想の側面から語られることが多いが、哲学倫理学人間学自然学の他、音楽音楽理論文学文学理論舞台芸術などの芸術分野など、幅広い関心を持ち、多方面で独自の思想を残している。

ルソーを含む近代哲学者の思想的影響を受けたとされ[10]、ルソーの死後に始まったフランス革命[11]においては、「反革命派」と名指しされた者に対して迫害、虐殺、裁判を経ない処刑が行われるなど、恐怖政治が行われた[12]マクシミリアン・ロベスピエールナポレオン・ボナパルトといった指導者たちが「一般意志」などルソーの概念を援用し、人民の代表者、憲法制定権力を有する者と自称して、独裁政治を行ったということは、歴史的事実である[13]。しかし、ルソーの存在しない時代において行われたそれらがルソーの理想するところであったかどうかについては、留意すべき点である[14]。後述のように、そもそもルソー自身は、その思想において、代表制の政治に非常に懐疑的である[15]

また、「ダランベール氏への手紙:演劇について」においては、演劇の持つカタルシスの機能を批判した[16]

社会契約説

テンプレート:See also 先駆のトマス・ホッブズジョン・ロックと並びルソーは、近代的な「社会契約(Social Contract)説」の論理を提唱した主要な哲学者の一人である。

まず、1755年に発表した『人間不平等起源論』において、自然状態と、理性による社会化について論じた。ホッブズの自然状態論を批判し、ホッブズの論じているような、人々が互いに道徳的関係を有して闘争状態に陥る自然状態はすでに社会状態であって自然状態ではないとした。ルソーは、あくまでも「仮定」としつつも、あらゆる道徳的関係(社会性)がなく、理性を持たない野生の人(自然人)が他者を認識することもなく孤立して存在している状態(孤独自由)を自然状態として論じた。無論、そこには家族などの社会もない。理性によって人々が道徳的諸関係を結び、理性的で文明的な諸集団に所属することによって、その抑圧による不自由と不平等の広がる社会状態が訪れたとして、社会状態を規定する(堕落)。自然状態の自由と平和を好意的に描き、社会状態を堕落した状態と捉えるが、もはや人間はふたたび文明を捨てて自然に戻ることができないということを認め、思弁を進める。

ルソーは、自然状態の人間について次のように語っている。テンプレート:Quotation

1762年に発表した『社会契約論』において、社会契約と一般意志なる意志による政治社会の理想を論じた。社会契約が今後の理想として説かれる点で、ルソーの社会契約説は、イギリスにおいて現状の政治社会がどのような目的の社会契約によって形成されたのかについて研究したホッブズやロックの社会契約説と異なる。『社会契約論』においてルソーは、「一般意志」は、単純な「特殊意志(個人の意志)」の和(全体意志)ではないが、そのそれぞれの「特殊意志」から、相殺しあう過不足を除けば、「相違の総和」としての「一般意志」が残るのだと説明している。ルソーは、ロック的な選挙を伴う議会政治(間接民主制、代表制、代議制)とその多数決を否定し、あくまでも一般意志による全体の一致を目指しているが、その理由は、ルソーが、政治社会(国家)はすべての人間の自由と平等をこそ保障する仕組みでなければならないと考えていたためである。そのため、政治の一般意志への絶対服従によって、党派政治や政治家による抑圧を排した直接民主制を志向した。ルソーの議論が導く理想は、政治が一般意志に服従するというものであり、絶対的な人民主権(国民主権)となる。ただしルソーは、一般意志による政治について、君主政貴族政を排除せず、政体はあくまでも時代や国家の規模によって適するものも異なるとし、社会契約による国家が君主政であるにせよ、あるいは貴族政であるにせよ、いずれにしても統治者が一般意志に服従することを重要視している[17]

言語論

『言語起源論』は、『人間不平等起源論』とともに構想されたルソーの著作であり、言語の起源を音声音声言語)に求める。そしてエクリチュール(書かれたもの)については、情念から自然に発声される詩や歌を文字で表そうとする試みが、あくまでもその根源であるとする。そして歴史的な過程の中で言語からは情念が失われ(堕落)、理性的で合理的な説得の技術が重要となり、そしてそれは政治的な権力に代わったと、ルソーは考える。

20世紀ジャック・デリダは、存在論に関する主著『グラマトロジーについて』の中で、ルソーの『言語起源論』を何度も引用しながら、言語におけるエクリチュールに対するパロール(話し言葉)の優越を語ってきた思想史を批判し、エクリチュールとパロールの二項対立と差異について論じている(デリダ哲学における脱構築も参照)。

文明論

文明を主題にしたルソーの著作は、『学問芸術論』、『言語起源論』、『人間不平等起源論』など多い。その一貫した主張として、悪徳の起源を、学問、言語など、文明にこそ求めている点は非常に特徴的である[18]。それらは、文明による「堕落」という言葉を以て示される。その文明に関する考え方は、まず『人間不平等起源論』に示される。前提として仮定される自然状態における自然人は、理性を持たず、他者を認識せず、孤独、自由平和に存在している。それが、理性を持つことにより他者と道徳的(理性的)関係を結び、理性的文明的諸集団に所属することで、不平等が生まれたとされる。東浩紀は、ルソーの一般意志に関する研究書のなかで、「社会の誕生を起源とみなす。人間と人間の触れあいを否定的に評価する。これは社会思想家としては稀有な立場である。ルソーは、多くの哲学者と異なり、人間の社交性に重要な価値を認めなかった[19]」と特筆し、思想史上、極めて特異なルソーの文明観に着目している。ルソーが、「人間が一人でできる仕事(中略)に専念しているかぎり、人間の本性によって可能なかぎり自由で、健康で、善良で、幸福に生き、(中略)。しかし、一人の人間がほかの人間の助けを必要とし、たった一人のために二人分の蓄えをもつことが有益だと気がつくとすぐに、平等は消え去り、私有が導入され、労働が必要となり、(中略)奴隷状態と悲惨とが芽ばえ、成長するのが見られたのであった」[20]と述べている部分に、その主張を端的に読み取ることができる。

1755年リスボン地震に関して、啓蒙思想家ヴォルテールが発表した『リスボンの災禍に関する詩』に対するルソーの批判にも、その文明観を見ることができる。ヴォルテールは、理性主義(合理主義)と理神論、理性的な文明を志向する思想の下、精力的に宗教批判や教会批判を行ってきた。そのためヴォルテールは、罪なき多くの人間が犠牲となったリスボンの災禍を教会批判に用い、非合理的な宗教を誤謬の象徴として捉え、教会が守ろうとしてきた社会に対して、その最善の世界で何故このような災禍が起こるのかと問いを提起した(教会信者の楽天主義に対する批判)。これはヴォルテールの啓蒙活動のなかでも重要なものとなり、ヴォルテールは理性による社会改革を訴える。そうした一連の主張に対して、ルソーは強く批判を行った。ルソーの考えによれば、自然災害にあたって甚大な被害が起こるとき、それは、理性的、文明的、社会的な要因により発展した、人々が密集する都市、高度な技術を用いた文明が存在することによって、自然状態よりも被害が大きくなっているということなのである。ルソーは『ヴォルテール氏への手紙』において、次のように述べている。「思い違いをしないでいただきたい。あなたの目論見とはまったく反対のことが起こるのです。あなたは楽天主義を非常に残酷なものとお考えですが、しかしこの楽天主義は、あなたが耐えがたいものとして描いて見せてくださるまさにその苦しみのゆえに、私には慰めとなっています」[21]、そして「私たちめいめいが苦しんでいるか、そうではないかを知ることが問題なのではなくて、宇宙が存在したのはよいことなのかどうか、また私たちの不幸は宇宙の構成上不可避であったのかどうかを知ることが問題なのです」[22]

教育論

上述のように、ルソーは、理性とそれによる文明や社会を悲観的に捉えている。それゆえ、ルソーは、主に教育論に関して論じた『エミール』において、「自然の最初の衝動はつねに正しい」という前提を立てた上で、子の自発性を重視し、子の内発性を社会から守ることに主眼を置いて、消極的な教育論を展開している。初期の教育について、「徳や真理を教えること」ではなく、「心を悪徳から、精神を誤謬から保護すること」を目的とする[23]

音楽

音楽理論家であり、また自身も音楽家作曲家であったルソーは、音楽理論を整理し、を、より数学的に表現するため、「数字記譜法」を発案し、『音楽のための新記号案』を科学アカデミーにおいて発表。その後、自身の音楽研究を『近代音楽論究』としてまとめている。また、作曲の他に、晩年には『音楽事典』も出版している。

また、起源を音声に求めるルソーの言語論は、その音楽論と表裏一体の議論である。

1750年代のブフォン論争においては、イタリアのオペラ・ブッファの擁護者の代表として、フランス音楽を痛烈に批判した。

植物学

博物学的な観察によって、植物を分類し、植物学に関する体系的な著作を残している。『孤独な散歩者の夢想』においてルソーが自認しているとおり、ルソーは、他者との社交よりも、自然と孤独を好んだ。そして思想的進歩性から迫害されることもあったルソーは、特にスイス亡命中に植物の観察を多く行っている。ルソーは、長い時間をかけて植物の形態と表象的な記号を詳細に記録し、分類した。『植物学』は、ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテが博物画を担当し、ルソーの死後に刊行されている。また、ルソーは独自に編纂した『植物用語辞典』の出版を計画しており、遺稿として残されている。

テンプレート:Botanist

人物

ディドロやダランベール等、いわゆる百科全書派と深い交流を持ち、自身も百科全書のいくつかの項目を執筆したが、後に主義主張の違いやルソー本人の被害妄想の悪化から、決裂することになる。

  • 私生活においては、マゾヒズム露出癖、晩年においては重度の被害妄想、内縁の妻であるテレーズ(晩年に正式に結婚)との間に生まれた5人の子供を経済的事情と相手側の家族との折り合いの悪さから孤児院送りにしたこと、精神の変調の萌芽は若い頃からあり、少年時代には街の娘たちに対する公然わいせつ罪(陰部を露出)で逮捕されかかったことなどが知られている。自身の著書『告白』などでそれら様々な行動について具体的に触れている。
  • 生涯、ルソーが経済的に裕福だったことは一度もない。当時はまだ著作権が整備されておらず、本がどれほど売れようと原稿は買い取り制だった。また本人が年金制度を晩年まで嫌悪していたため、他人の世話になって生活することが多く、定職と言えるものは若い頃から趣味でやっていた楽譜の写し書きくらいで、これが貴重な収入源だった。しかし最後には年金への主張を改め、それを受け取るために各方面に働きかけた。
  • 生涯において、公的な学習機関を修了したことは一度もない。一度だけヴァランス夫人の進めで神学校に通ったことがあるが、一年と持たなかった。ルソーは幼少時の家庭教育と、読書による独学と、知識人達との交流と、自然に対する観察によってのみ、その哲学体系を構築した。

評価・影響

ルソーから影響を受けた者としては、哲学者のイマヌエル・カントが有名である。 ある日、いつもの時間にカントが散歩に出てこないので、周囲の人々は何かあったのかと騒ぎになった。実はその日、カントは、ルソーの著作『エミール』を読み耽ってしまい、いつもの散歩を忘れてしまったのであった。カントは、ルソーに関し、『美と崇高の感情に関する観察』への覚書にて次のように書き残している - 「わたしの誤りをルソーが訂正してくれた。目をくらます優越感は消え失せ、わたしは人間を尊敬することを学ぶ」

ルソーの思想は、イマヌエル・カントの他、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルなどにも影響を与え、ドイツ観念論の主軸の流れに強い影響を及ぼした[24]

ルソーと同じくカントに影響を与えた哲学者の一人として知られるイギリスのデイヴィッド・ヒュームは、ルソーと交友関係があった。しかし、ヒュームとルソーは後に絶交する[25]

ルソーの影響は、20世紀以降のフランス現代思想にも見られる。クロード・レヴィ=ストロースは、人類学の一つの起源としてルソーを再評価している[26]。ポスト構造主義の現象学系哲学者ジャック・デリダは、『グラマトロジーについて』(特にルソー論となっているその後半部部)において、脱構築的読解(散種)によって、『言語起源論』をはじめとするルソーの諸著作を再読している[27]

また、詩人フリードリヒ・ヘルダーリンもルソーの影響を深く受けた。ヘルダーリンの詩編を詳細に分析したマルティン・ハイデガーがなぜかルソーに言及しないことに注目したフィリップ・ラクー=ラバルトは、ハイデガーにおけるルソー的な問題設定の逆説的な反映を『歴史の詩学』(日本語版 藤原書店, 2007)において論じた。

帝政ロシアの作家レフ・トルストイは青年期にルソーを愛読し、生涯その影響を受けた。地主でもあったトルストイの生活と作品には「自然に帰れ!」の思想が反映している。

なお、ルソーの思想を語る際に「自然に帰れ!」というフレーズがよく引き合いに出されるが、ルソーの著作には「自然に帰れ!」という具体的な文句は一度も登場しない。ルソーの著作のひとつの解釈として、ルソーはそのように言っているようなものであるという譬えであり、このような評はルソーの在世中にもあったが、誤解であると言われる[28]

哲学者としては啓蒙思想家(フィロゾーフ)に位置づけられるルソーであるが、作家としても大きな成功を収めており、その「私」を強烈に押し出した作風は、後のロマン主義の先駆けとなったといわれ、その長大かつ詳細な自伝である『告白』は『懺悔録』の名で日本語訳され、太宰治などのエッセイにもその言及がみられる。また、本人が「空想のままにペンを走らせた」という『新エロイーズ』は18世紀フランスにおける最大級のベストセラーとなり、ヴォルテールの『カンディード』と並び称された。

日本への影響

中江兆民生田長江大杉栄らはルソーの翻訳をし、また作家の島崎藤村は明治42年3月に「ルウソオの『懺悔』中に見出したる自己」を発表し、ルソーの『懺悔録』(『告白』)に深い影響を受けたと述べている[29]

明治明治10年12月に日本で初めてのルソーの日本語訳である「民約論」(服部徳訳・田中弘義有村壮一)が発表され、明治15年には中江兆民訳で「民約訳解」が発表されて以降、現在に至るまで多数の訳書が日本では刊行されている。

デリダ派哲学者として知られる東浩紀は、新しい政治構想として、解釈が難しく全体主義の一つの起源とまでされた一般意志を、ジークムント・フロイト無意識論における集合的無意識と結びつけるという思想史的に見て非常に特異な解釈を示し、それをさらに情報化社会においてデータとして蓄積される集合知と結びつけることによって、現代の政治に一般意志を用いる構想を行っている(『一般意志2.0』)。

その他

マリー・アントワネットが言ったという「パンが無ければお菓子(ケーキまたはクロワッサン)を食べればいいじゃない」の台詞がよく知られているが(原文は S'ils n'ont pas de pain, qu'ils mangent de la brioche.、訳せば、パンがないのであればブリオッシュを食べてはどうか)、これは告白録の第6巻の記事が原典であると言われている[30]

単著

  • 1742 : 『音楽のための新記号案』 Projet concernant de nouveaux signes pour la musique
  • 1743 : 『近代音楽論究』 Dissertation sur la musique moderne
  • 1750 : 『科学と技芸についてのディスクール』日本語訳『学問芸術論』[31] Discours sur les sciences et les arts
  • 1751 : 『英雄の徳とはなにか』 Discours sur la vertu du héros
  • 1752 : 『幕間劇、村の占い師』 Le Devin du village — Opéra représenté à Fontainebleau devant le roi le 18 octobre 1752. C'est un succès. Première représentation à l'Opéra le 1er mars 1753, c'est un désastre.
  • 1752 : 『ナルシス まえがき・ナルシス、またの名、おのれに恋する男』 Narcisse ou l’Amant de lui-même, comédie représentée par les comédiens ordinaires du roi, le 18 décembre 1752.
  • 1755 : 『人間不平等起源論[32] Discours sur l'origine et les fondements de l'inégalité parmi les hommes
  • 1755 : 『政治経済論』 Economie Politique (『百科全書』の中の一項)
  • 1756 : 『ラモー氏が『「百科全書」の音楽に関する誤謬』と題された小冊子で主張する二つの原理を吟味する』 Examen de deux principes avancés par M. Rameau
  • 1755 : 『フィロポリス氏への手紙・サン=ピエール師の永久平和論』 Jugement du Projet de paix perpétuelle de Monsieur l'Abbé de Saint-Pierre
  • 1758 : 『法律に関する書簡』 Lettres morales, écrites entre 1757 et 1758, publication posthume en 1888
  • 1758 : 『真理に関する書簡』 Lettre sur la providence
  • 1758 : 『付録 - ダランベールによる「ジュネーヴ」の項目』 J.-J. Rousseau, Citoyen de Genève, à M. d'Alembert sur les spectacles
  • 1761 : 『ジュリ または新エロイーズ』[33] Julie ou la Nouvelle Héloïse
  • 1762 : 『エミール または教育について』[34] Émile, ou De l'éducation, dans lequel est inclus La profession de foi du vicaire savoyard au livre IV.
  • 1762 : 『社会契約論[35] Du contrat social
  • 1762 : 『マルゼルブ租税法院院長への四通の手紙』 Quatre lettres à Monsieur le président de Malesherbes
  • 1764 : 『山からの手紙』 Lettres écrites de la montagne
  • 1764 : 『コルシカの法律に関する書簡』 Lettres sur la législation de la Corse
  • 1771 : 『ポーランド統治論』 Considérations sur le gouvernement de Pologne
  • 1771 : 『ピグマリオン』 Pygmalion
  • 1781 : 『言語起源論・発音について』[36] Essai sur l'origine des langues (posthume)
  • 1765 : 『コルシカ国制案』または『コルシカ憲法草案』(遺作) Projet de constitution pour la Corse (posthume)
  • 1767 : 『音楽辞典』 Dictionnaire de musique (écrit à partir 1755 il paraît à Paris en 1767)
  • 1770 : 『告白』[37] Les Confessions (écrites de 1765 à 1770, publication posthume)
  • 1777 : 『ルソー、ジャン=ジャックを裁く - 対話』 Rousseau juge de Jean-Jacques (posthume)
  • 1778 : 『孤独な散歩者の夢想』[38] Les Rêveries du promeneur solitaire (posthume)
  • 1781 : 『エミールとソフィ または孤独に生きる人たち』 Émile et Sophie, ou les Solitaires (publication posthume en 1781, la suite inachevée de l'Émile)

共著

  • 百科全書l'Encyclopédie : 共同執筆。代表編集者はディドロとジャン・ル・ロン・ダランベール。

音楽作品

日本語訳

明治時代から平成に至る日本語への翻訳一覧についてはルソー翻訳作品年表を参照[40]

全集等
  • 小林善彦作田啓一ほか訳『ルソー全集』(全14巻・別巻2巻、白水社、1979-84年)と、新書版で上記の主な著作を収めた『ルソー選集』全10巻も刊行。全集の収録作品を以下に記述。別冊は伝記、文献目録、および総索引につき省く。
    • 第1巻
      • 「告白 第一部・第二部」 Les confessions
    • 第2巻
      • 「告白 第二部」 Les confessions、小林善彦
      • 「孤独な散歩者の夢想」佐々木康之訳
      • 「夢想のための下書」佐々木康之訳
      • 「マルゼルブ租税院長官への四通の手紙 - 私の性格のほんとうの姿と私のあらゆる行動のほんとうの動機がわかる」佐々木康之訳
      • 「嘲笑家」宮ケ谷徳三訳
    • 第3巻
      • 「ルソー、ジャン=ジャックを裁く - 対話」小西嘉幸訳
      • 「伝記的断章・わが肖像・楽しみの技術および他の断章・さまざまなエクリ」宮ケ谷徳三訳
    • 第4巻
      • 「学問芸術論」山路昭訳
      • 「レナル師への手紙」山路昭訳
      • 「スタニスラス王への回答」山路昭訳
      • 「グリム氏への手紙」山路昭訳
      • 「ボルド氏への最後の回答」山路昭訳
      • 「ディジョンのアカデミー会員「ルーアンの外科医、ルカ」の学問芸術論についての新しい反論に対する手紙」山路昭訳
      • 「ボルド氏への第二の手紙の序文」山路昭訳
      • 「英雄の徳とはなにか」浜名優美
      • 「人間不平等起源論」原好男
      • 「フィロポリス氏への手紙・サン=ピエール師の永久平和論抜粋」宮治弘之訳
      • 「永久平和論批判」宮治弘之訳
      • 「戦争状態は社会状態から生まれるということ」宮治弘之訳
      • 「戦争についての断片」宮治弘之訳
      • 「戦争についてのほかの断片」宮治弘之訳
      • 「サン=ピエール師のポリシノディ論抜粋」宮治弘之訳
      • 「ポリシノディ論批判」宮治弘之訳
      • 「ポリシノディについての断片」宮治弘之訳
      • 「サン=ピエール師についてのある作品への序論案」宮治弘之訳
      • 「サン=ピエール師についての断片と覚書き」宮治弘之訳
    • 第5巻
      • 「ヴォルテール氏への手紙」浜名優美訳
      • 「富に関する論」清水康子訳
      • 「政治経済論」阪上孝
      • 「社会契約論-または政治的権利の諸原理・社会契約論または共和国の形態についての試論(初稿)」作田啓一
      • 「コルシカ憲法草案」遅塚忠躬
      • 「ポーランド統治論」永見文雄訳
    • 第6巻
      • 「エミール(上)」
    • 第7巻
      • 「エミール(下)」樋口謹一
      • 「ご子息の教育に関するド・マブリ氏への覚え書」松田清訳
      • 「サント=マリ氏のための教育案」松田清訳
      • 「ジュネーヴ市民ジャン=ジャック・ルソーからパリ大司教クリストフ・ド・ボーモンへの手紙」西川長夫
      • 「付録:ジュネーヴ市民ジャン=ジャック・ルソー著『エミール、あるいは教育について』と題する書物の論難を内容とするパリ大司教猊下の教書」西川長夫訳訳
    • 第8巻
      • 「演劇に関するダランベール氏への手紙」西川長夫訳
      • 「付録 -ダランベールによる「ジュネーヴ」の項目」西川長夫訳
      • 「山からの手紙」川合清隆訳
      • 「エミールとソフィ または孤独に生きる人たち」戸部松実訳
      • 「ド・フランキエール氏への手紙」永見文雄訳
    • 第9巻
      • 「新エロイーズ (上)」
    • 第10巻
      • 「新エロイーズ (下)」
      • 「エドワード・ボムストン卿の恋物語」戸部松実訳
      • 「道徳書簡」戸部松実
    • 第11巻
      • 「ヴァランス男爵夫人の果樹園・ポルド氏への書簡詩・パリゾ氏への書簡詩」松田清訳
      • 「シルヴィの小道」海老沢敏訳
      • 「ナルシス まえがき・ナルシス、またの名、おのれに恋する男」佐々木康之訳
      • 「気まぐれ女王・エフライムのレヴィ人」松田清訳
      • 「ピグマリオン」松本勤訳
      • 「先見者こと山のピエールの黙示」戸部松実訳
      • 「啓示に関する虚構あるいは寓意的作品」松田清訳
      • 「サラへの手紙」戸部松実訳
      • 「優美な詩の女神たち・ラミールの饗宴・村の占い師」海老沢敏
      • 「言語起源論・発音について」竹内成明訳
      • 「わが生涯の悲惨の慰め」海老沢敏訳
    • 第12巻
      • 「植物学についての手紙」高橋達明訳
      • 「植物用語辞典のための断片」高橋達明訳
      • 「植物学断片」高橋達明訳
      • 「植物学の記号」海老沢敏訳
      • 「音楽のための新記号案」海老沢敏訳
      • 「近代音楽論究」海老沢敏訳
      • 「グリム氏に宛ててフランスとイタリアの音楽劇を論ず」海老沢敏訳
      • 「ブランヴィル氏考案の新旋法についてレナル師に寄す」海老沢敏訳
      • 「『「オンファルに関する書簡」考』についてグリム氏に寄せる手紙」海老沢敏訳
      • 「同僚たちに寄せるアペラ座管弦楽団員の手紙」海老沢敏訳
      • 「フランス音楽に関する手紙」海老沢敏訳
      • 「ラモー氏が『「百科全書」の音楽に関する誤謬』と題された小冊子で主張する二つの原理を吟味する」海老沢敏訳
      • 「バーニー氏に宛てて音楽を論ず - グルック氏のイタリア語版『アルチェステ』に関する考察の断章を付す」海老沢敏訳
      • 「グルック氏の『オルフェーオ』のさる楽曲を論じる小ペテン師の名義人宛返書抄」海老沢敏訳
      • 「軍楽論・鐘の曲・音楽辞典(主要項目抜粋)」海老沢敏訳
    • 第13巻
      • 「新世界発見 - 悲劇」宮治弘之訳
      • 「戦争捕虜 - 喜劇」戸部松実訳
      • 「向こう見ずな約束 - 喜劇」宮治弘之訳
      • 「不覚にも恋に落ちたアルルカン」戸部松実訳
      • 「書簡集 (上)」原好男訳
    • 第14巻
      • 「書簡集 (下) 1762年-1778年」
その後の日本語訳
  • 岩波文庫において、本田喜代治・平岡昇訳『人間不平等起源論』、今野一雄訳『エミール』、桑原武夫・前川貞次郎訳『社会契約論』、桑原武夫訳『告白』、今野一雄訳『孤独な散歩者の夢想』などの日本語訳がある。『学問芸術論』や『政治経済論』も岩波文庫から刊行されたことがある。
  • 中央公論社版『世界の名著30 ルソー』(平岡昇責任編集)に、平岡昇訳『学問・芸術論』、小林善彦訳『人間不平等起原論』、井上幸治訳『社会契約論』、戸部松実抄訳『エミール』があり、のち「中公バックス36巻」(1978年)が出された。
  • 2005年に『人間不平等起原論・社会契約論』が、小林善彦・井上幸治訳で新書版の中公クラシックスが刊行、かつては中公文庫2冊で刊行された。
  • 2007年に小林善彦訳で、『言語起源論 - 旋律および音楽的模倣を論ず』が現代思潮新社古典文庫から刊行された。同書の同訳者による邦訳は1970年にも同出版社から刊行されていたが、改定されたものである。
  • 2008年に中山元訳で、『人間不平等起原論』、『社会契約論』が光文社古典新訳文庫2冊で刊行された。
  • 2011年に淵田仁・飯田賢穂訳で、未訳作品『化学教程』が月曜社公式サイトにて連載訳出され始めた。
  • 『ルソー全集』および『ルソー選集』を刊行した白水社から、改訳と新しい解説を含む新規の選集『ルソー・コレクション』が刊行されている。ただし、ルソーの著作において政治哲学の分野で最も読まれている『社会契約論』はこのコレクションには含まれていないため、注意が必要である。
    • 『ルソー・コレクション 起源』(『人間不平等起源論』『言語起源論』)、白水社、2012年。
    • 『ルソー・コレクション 文明』(『学問芸術論』『政治経済論』『サン=ピエール師の永久平和論抜粋』『永久平和論批判』『戦争状態は社会状態から生まれるということ』『戦争についての断片』『戦争についてのほかの断片』『サン=ピエール師のポリシノディ論抜粋』『ポリシノディ論批判』『ポリシノディ論についての断片』『ヴォルテール氏への手紙』『─ 一七五五年のリスボン大震災をめぐる摂理論争』)、白水社、2012年。
    • 『ルソー・コレクション 政治』(『コルシカ国制案』『ポーランド統治論』)、白水社、2012年。
    • 『ルソー・コレクション 孤独』(『孤独な散歩者の夢想』『マルゼルブ租税法院院長への四通の手紙』)、白水社、2012年。

脚注

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関連項目

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外部リンク

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  1. ジュネーヴは当時、フランス王国にもスイス連邦にも属していない共和制の独立都市であった。
    ジャン=ジャック・ルソーは自著に「ジュネーヴ市民ジャン=ジャック・ルソー」と署名していた(中央公論新社『哲学の歴史 6』参照)。
  2. テンプレート:Cite book
  3. テンプレート:Cite book
  4. テンプレート:Cite book
  5. テンプレート:Cite book
  6. 「J.J.ルソーの生涯」
  7. テンプレート:Cite book
  8. 浅井美智子「近代の性的主体の構造 : ルソーの『告白』を手がかりに」 大阪府立大学人文学論集23、2005年。
  9. テンプレート:Cite book
  10. 『詳説世界史』(山川書店 2008年)第10-11章が参考文献になるが、世界史に関する著書の多くに明記されているためその箇所を参照されたい。
  11. ジャン=ジャック・ルソーは1778年に死去している。フランス革命の動乱が本格的に開始されるバスティーユ牢獄への襲撃は1789年である。「フランス革命」の項も参照されたい。
  12. テンプレート:Cite book恐怖政治」も参照。
  13. この経緯については、西川長夫『国民国家論の射程 - あるいは「国民」という怪物について』(柏書房 1998年)が参考文献であるが、そこに詳細な検証が行われているため参照されたい。
  14. 例えば、東浩紀『一般意志2.0』(講談社 2011年)においては、その前半において、ルソー思想の解釈史への問題提起が主題となっている。
  15. 『社会契約論』(参考文献は、桑原武夫・前川貞次郎訳、岩波文庫、1954年)において、代表制、部分的結社を完全に否定し(第二編)、政府については「代表」ではなく一般意志(憲法)に服従するものだとしている(第三編)。
  16. テンプレート:Cite book
  17. 『社会契約論』第三編において詳しく述べられている。参考文献は、ルソー、『社会契約論』、桑原武夫前川貞次郎共訳、岩波新書、1954年。
  18. 『学問芸術論』、『言語起源論』、『人間不平等起源論』などを参照。
  19. テンプレート:Cite book
  20. ルソー 『ルソー全集』第四巻「人間不平等起源論」第二部、白水社、240頁。
  21. ルソー 『ルソー全集』第五巻、白水社、12頁。
  22. ルソー 『ルソー全集』第五巻、白水社、22頁。
  23. ルソー 『エミール』(『ルソー全集』第六巻、白水社)を参照。
  24. 高田純、「ルソー・カント・フィヒテの国家論(上)」、文化と言語 : 札幌大学外国語学部紀要 77, 179-197, 2012-11-00/高田純、「ルソー・カント・フィヒテの国家論(中)」、文化と言語 : 札幌大学外国語学部紀要 78, 187-205, 2013-03-00/ヘーゲル『法の哲学』及び『小論理学』なども参照。
  25. 池田貞夫「ヒュームの生涯と著作活動」を参照。ヒュームは同時代人と多様な交友関係を持ち、ルソーを含めたさまざまな思想家と互いに影響し合った。ドゥニ・ディドロ、ジャン・ル・ロン・ダランベール、ポール=アンリ・ティリ・ドルバック等との交友関係が知られている。
  26. クロード・レヴィ=ストロース著、山口昌男編纂、『現代人の思想セレクション3』、平凡社、2000年、所収内容から「人類学の創始者ルソー」を参照。
  27. ジャック・デリダ、『グラマトロジーについて』上・下、足立和浩訳、1972年。
  28. 中山元訳『人間不平等起源論』の原註9(他版では注i)の中に、他の版にはない「自然に帰れ!」という小見出しが加えられているが、訳者の解説にもあるように、これはルソーの主張したことではない。その箇所では、ルソー自身が野生に還ることなどできないことを認め、その前提の下に人倫の世界で美徳や社会の絆を重んじる立場を表明している(ルソー 『人間不平等起源論』 中山元訳、光文社〈光文社古典新訳文庫〉、2008年、pp.223-226, pp.335-336 参照)。
  29. 山路昭「島崎藤村とフランス ―ルソーをめぐって―」明治大学教養論集56巻、1970年。
  30. テンプレート:Cite book
  31. 岩波文庫 1968年 他。
  32. 『人間不平等起源論』岩波文庫 1972年、光文社古典新訳文庫 2008年。『不平等論 - その起源と根拠』 国書刊行会 2001年。
  33. 岩波文庫 全4巻。
  34. 岩波文庫 全3巻。
  35. 『社会契約論』 岩波文庫 1954年、白水社 2010年。『人間不平等起原論・社会契約論』 中央公論新社 2005年。『社会契約論/ジュネーヴ草稿』 光文社古典新訳文庫 2008年。
  36. 現代思潮新社 2007年。
  37. 岩波文庫 全3巻。
  38. 岩波文庫 1960年、大学書林語学文庫 2000年、ワイド版岩波文庫 2001年、新潮文庫 2006年、光文社古典新訳文庫 2012年。
  39. テンプレート:Cite book
  40. 榊原貴教「ルソー翻訳作品年表」。初出は『翻訳と歴史』36号フィリップ特集 付ジャン・ジャック・ルソー、2008年1月。