ケダ州

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テンプレート:Infobox settlement ケダ州(ラテン文字: Kedah, ジャウィ: قدح )は、マレーシアの行政区画 () の一つである。カタカナでは、クダ州の表記も用いられる。

概要

半島部マレーシアの北部西岸に位置しており、州の北側にはプルリス州があり、北東にタイ南端(ヤラー県ソンクラー県)と国境を接し、南側にはペナン州ペラ州と接している。州都はアロー・スター

水田が一面に広がる、国内有数の穀倉地帯である。初代首相のラーマンマハティール前首相の出身地としても知られる。

地理

ケダ州の面積は 9,428 km²で、稲作に適する平野部がそのほとんどを占めている。

州都アロー・スターは2003年12月21日に (一般) 市から特別市へ昇格した。他にも大きな町として、半島部にテンプレート:仮リンクテンプレート:仮リンクがあり、ランカウイ島にテンプレート:仮リンク(Kuah)がある。

州政府の地域行政区分

地方自治体

  • 特別市

民族構成

ケダ州の人口は、2003年のデータでは、1,778,188 人。

その内訳は、マレー系が 1,336,352 人、中国系が 252,987 人、インド系が 122,911 人、外国人が 35,293 人、その他の民族 27,532 人となっている。

歴史

4世紀にはブジャング盆地を中心としたヒンドゥー仏教文明がクダ地域に存在した。[1]

630年テンプレート:仮リンクKedah Kingdom630年-1136年)が成立。

7世紀から8世紀に渡って、ケダ王国はシュリーヴィジャヤ王国 (現在のスマトラ島を中心としたマレー系王国)の干渉を受け、統治された。

1136年テンプレート:仮リンクKedah Sultanate1136年-現在)が成立。この時から現在の州知事までスルタンの称号が続いている。

14世紀にはスコータイ王朝(現在のタイ)が強勢となり、統治された。

15世紀に、マラッカ王朝の発展により、マラッカに統治された。

17世紀に、香辛料貿易の独占を巡る争いがマラッカ海峡で激化し、マラッカを倒したポルトガルに次いで、アチェ王国 (現インドネシアアチェ州) からも攻撃を受け敗戦した。最終的に、オランダ東インド会社が独占に成功した。

18世紀末、イギリス東インド会社の謀略とイギリスとの戦争の敗戦によりペナン島を譲渡することになった。イギリスはテンプレート:仮リンクを派遣し、1786年にペナンが東インド会社に賃貸という形で譲渡され、フランシス・ライトはケダに有事の際に兵力援助を行う事を約束した。しかし、イギリスの本音は、ケダを攻めようとしているタイとの貿易が国益に占める割合が大きかったために下手に出るとイギリスが大損をしかねないため、最初から派兵の意思はなく、フランシス・ライトは東インド会社の承認を得ずに兵力援助の約束をした。いずれにしても、ケダ王国に嘘をついていた。

1791年、タイが隣国のパタニ王国(現在のタイ深南部三県)まで攻めて来たため、イギリスに派兵を要求したが断わられたことで、ケダはフランシス・ライトに5年間騙されていた事が発覚した。

1791年5月1日、ケダ王国は10,000人からなる大軍によるペナン島回復戦を計画したが、事前にフランシス・ライトに察知され、ペナンを取り返すどころか拠点のスブラン・プライを奪われてしまい、ペナンを正式にイギリスに明け渡すことになった。

1821年、ケダはシャム(現タイチャクリー王朝の古名)に征服され、統治された。

1824年、イギリス・オランダ両国にて、マレー半島(マラッカ海峡)を中心とする地区の勢力範囲を定めた英蘭協約を締結(現マレーシア領をイギリス、現インドネシア領をオランダが支配するように分割整理)。

1909年テンプレート:仮リンクによってイギリスに移譲され植民地になる。

1942年 シャム領から上陸した日本陸軍の部隊が半島西部に侵攻した。日本軍はシャムとの約束通りに、ケダ州をシャムに移譲した。

1948年、戦後にイギリスに返還されていたが、マラヤ連邦 (Federation of Malaya) に加入した。

近年は、政府主導による工業団地建設や、自然豊かな観光資源を活用した観光開発がすすめられており、今日、一大リゾートアイランドとなったランカウイ島 (Pulau Langkawi) もこのケダ州に含まれる。

経済

ケダ州は昔から農業が盛んでいて、マレーシアの米の3割を生産し、マレーシア有数の穀倉地帯である。そのほか、ゴムアブラヤシタバコの生産地でもある。

近年では観光業の発展も著しく、特に、ランカウイ島は有数の観光地となっている。ランカウイ全体は免税地域となっているので、品物は格安である。

1996年クリム郡に、クリム・ハイテック・パークができて、富士電機グループ、濱田重工HOYAなどの日本企業、インテル等の海外企業がプラントを設けた。海外からの投資を呼び込むための各種設備・制度が完備しており、かつ国際空港のあるペナン島とは橋と高速道路によって接続しているため、海外の進出企業にとっても魅力は大きい。

脚注

テンプレート:Reflist

テンプレート:マレーシアの州テンプレート:Malaysia-stub
  1. 古代についてはHistory of Malaysiaを参照。