クロード・マケレレ

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テンプレート:サッカー選手 クロード・マケレレ・シンダ(Claude Makélelé Sinda, 1973年2月18日 - )は、コンゴ民主共和国(旧ザイールキンシャサ出身の元フランス代表サッカー選手

キャリアを通して守備的MFでプレー。中盤の底のポジションはマケレレのポジションとして「マケレレロール(Makélélé Role)」と呼ばれることもある[1]

来歴

1973年2月18日にザイールにて生まれ、1977年フランスサヴィニー=ル=タンプルへと移る。15歳の頃にムランのクラブであるUSムランに加入し、そこではリリアン・テュラムらと共にプレーした。

1993年リーグ・アンFCナントでキャリアをスタートし、フランス国籍を獲得。身体能力の高さを活かした活躍が評価され、1995年7月22日ノルウェー戦でフランス代表デビューを果たす。また1995-96シーズンではUEFAチャンピオンズリーグベスト4進出に貢献した。さらにその年に、アトランタ五輪にフランス代表として出場するがベスト8で敗退。

その後オリンピック・マルセイユを経て、1998年リーガ・エスパニョーラセルタ・デ・ビーゴへ移籍。UEFAカップにおいてリヴァプールFCユヴェントスFCら強豪を破った試合で活躍し、マケレレの評価は上昇した。

2000年にはレアル・マドリードへ移籍し、超攻撃的サッカーを標榜するスター集団の中において、中盤の守備を担うハードワーカーとして活躍し、2001-02シーズンにはチャンピオンズリーグの制覇に貢献。当時のチームメイトから「彼こそ、俺たちのバロンドールだ」という、最大級の賛辞が送られた。2002年、フランス代表は日韓W杯に出場するが、マケレレは出場機会に恵まれず、FWの不調やエースジネディーヌ・ジダンの故障も響きグループリーグで敗退する。しかし、クラブでは攻撃重視の選手を擁する中盤の底で守備を担い、イバン・エルゲラや最終ラインを支えるフェルナンド・イエロと共に守備の役割をしっかりとこなし、チームに欠かせない存在であった。しかし2002-03シーズン終了後、給料の問題などもありレアル・マドリードを退団。もっとも自身は後のインタビューの中で、自身の仕事に敬意を払われなかったことが問題なのであり、当時のレアル・マドリードの会長、フロレンティーノ・ペレスに「どんなに金を積まれても、私は出て行く」と言ったと述べている。

その後ロシアの石油王、ロマン・アブラモヴィッチが新オーナーとなったチェルシーFCへ移籍。移籍後初シーズンはプレミアリーグ2位、UEFAチャンピオンズリーグではASモナコに準決勝で敗れるなど、タイトルを手にすることはできなかった。しかし2004-05シーズンにはプレミアリーグとフットボールリーグカップを獲得。2004年より監督に就任したジョゼ・モウリーニョはマケレレをシーズンの最優秀選手と褒め称え、FIFProによる2005年のベストイレブンにもチームメイトであるフランク・ランパードジョン・テリーらと共に選出された[2]

また、EURO2004以降代表から遠ざかっていたが、2006年ドイツW杯の欧州予選でフランス代表は予選敗退の危機を迎える。ドメネク監督の希望によりジダン、リリアン・テュラムとともに代表に復帰し、見事土壇場からの予選通過に貢献する。2006年5月15日、本選出場メンバーに選ばれ決勝戦まで進んだが、PK戦の末に準優勝に終わる。W杯終了後、地元のTV局のインタビューで、代表引退を明らかにしたが、ユーロ2008の予選でドメネク監督に招集され、モウリーニョ監督を巻き込み騒動となった。EURO2008本大会にも招集されたものの、チームはグループリーグ敗退。改めて代表引退を発表した。代表引退の記者会見の席で、フランス代表としてはメジャーなタイトルを得られなかったことについては「フランス代表のユニフォームを着ることができたことが、私のトロフィーだ」と語っている。

ファイル:Makélélé PSG.png
PSGでのマケレレ

2008年7月21日パリ・サンジェルマンFCがマケレレの獲得に関してチェルシーと合意。同時にキャプテンにも就任した。2010-11シーズン終了後に現役引退。

指導者として

古巣のパリ・サンジェルマンで名将カルロ・アンチェロッティ監督の下でアシスタントコーチを経験した後、リーグ・アンの2014-2015シーズンからSCバスティアの監督に就任。

所属クラブ

選手

監督

タイトル

ナント
レアル・マドリード
チェルシー
パリSG

その他

  • 元妻はラッシュアワー3に出演している女優でスーパーモデルノエミ・ルノワール。息子が一人いる。
  • スパイクやその他の用具はNIKE社と契約している。
  • イングランドでは現在もボランチという言葉はあまり使われず、ディフェンシブミッドフィルダーもしくはマケレレポジションと呼ばれている。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

テンプレート:SCバスティアのメンバー

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  1. テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite web