カトマンズ

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テンプレート:インド系文字 テンプレート:世界の市 カトマンズテンプレート:Lang-ne、ローマ字転写:kaṭhmaḍaũ、テンプレート:Lang-en)は、ネパール首都で最大の都市である。カトマンドゥとも呼ばれる。

概要

首都という場合、通常カトマンズ市をさすが、単にカトマンズという場合、カトマンズ盆地全体、カトマンズ郡(カトマンズ市部を含む)、あるいはカトマンズ首都圏(カトマンズ、パタンバクタプルの各市部)を指す場合もあるので注意が必要。

カトマンズ旧王宮広場ダルバール広場)の南西の隅に、一本の木(काष्ठ、カスタ)からできたという伝説をもつ祭場(मण्डप、マンダプ)がある。この建造物の名称、カスタマンダプ (काष्ठमण्डप、kashthamandap) がカトマンズの名の由来だと言われる。建立年は不明だが12世紀頃ではないかと考えられている。 テンプレート:Clearleft

歴史

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5世紀の仏教建築と言われるボダナート

古代より、現在のネワール族の祖先であろうと思われる非インド・アーリヤ先住民がこの地で生活をしてきていたが、4世紀の後半にはインド・アーリア系のリッチャヴィ王朝カトマンズ盆地を征服しネパール(ネーパーラ)王国を興した。

9世紀、リッチャビ王朝の衰退以降はデーヴァ王族(リッチャビ王族とは別)がカトマンズ盆地を治めた。 その後13世紀初頭ころから、それまでのデーヴァ王族に代わりマッラ王族が台頭しはじめ、15世紀にはヤクシャ・マッラ王の死後、長男ラーヤ・マッラ王が統治するバクタプルから二男のラトナ・マッラが独立し、カトマンズ・マッラ王朝を開く。17世紀にはカトマンズ・マッラ王朝から独立したシッディナラシンハ・マッラがパタン・マッラ王朝をひらいた。こうして中世後期にはカトマンズ近辺にマッラ王朝の3つの王国(カトマンズ、パタンバクタプル)がこの地を治めていた。

1768年ゴルカ王のプリティビナラヤン・シャハがこの地を三王国を倒し、カトマンズを首都として定めた(シャハ王朝)。1769年にネパールを統一するまでは、「ネパール」というと「カトマンズ」を指していた。 テンプレート:Clearleft

気候

最暖月の平均気温は24℃、最寒月の平均気温は10℃、と気温は年中温暖である。年降水量の約4分の3の雨が雨季に降る[1]

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交通

観光

観光業はカトマンズの主要な収入源の一つである。 王宮やヒンドゥー教仏教寺院などがあり、代表的な建造物としてスワヤンブナート寺院、国立博物館、ダルバール広場、バラジュ庭園などが知られる。17世紀の歴史的な建造物が多く残るカトマンズ盆地全体が、カトマンズの渓谷として1979年ユネスコ世界遺産に登録されている。

市内のタメル地区には、ホテルやゲストハウスが多く集まり、バックパッカー、登山者、長期滞在者などで賑わっている。 ヒマラヤ登山を志す者はほぼここで旅の支度をする。中国チベット自治区側からは規制が厳しく、ネパール側から登る人が多い。そのためネパールの最大都市であるカトマンズで必要なものを取り揃えるのである。

かつては、多くのマジックバスの終着地であった。

主な寺院

友好都市

関連項目

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脚注

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  1. 2008年度大学入試センター試験 第4問 問2