オレンジ共済組合事件
オレンジ共済組合事件(オレンジきょうさいくみあいじけん)とは、友部達夫元参議院議員(旧新進党所属)の政治団体が運営していた共済団体が起こした詐欺事件。友部は逮捕され、裁判の結果懲役10年の実刑判決が確定して失職した。
概要
1992年よりオレンジ共済組合は、「オレンジスーパー定期」という年6~7%もの配当を謳った商品を出し、約93億円(うち約63億円は選挙当選後に集めている)もの資金を集めた。しかし、資金の多くが友部の選挙費用や政界工作費(約6億円)、借金返済、あるいは妻や次男らに私的に流用された[1]。その結果、1996年に同組合は倒産し、組合員にほとんど金は支払われず、大規模な被害をもたらした。
1997年、現職参議院議員の友部は参議院で逮捕許諾決議案が可決され、逮捕された。逮捕後も友部は議員を辞職せず無罪を主張していたが、2001年に有罪確定し失職した。
オレンジ共済組合、友部達夫の略史
- 1980年 - 2月1日、友部は日本中高年連盟を立ち上げ東京都西新宿に「中高年110番」を開設。年金などの無料電話相談を始める[2]
- 1983年 - 日本中高年連盟を母体として年金党を結成。友部は、同年の衆院選に東京8区から出馬するが6,042票しか獲れず惨敗に終わる。[3]
- 1986年 - オレンジ共済組合を設立。参院選に出馬し落選。
- 1989年 - 参院選に出馬し落選。
- 1992年 - 共済組合内の社内預金という名目で貯蓄型オレンジスーパー定期の募集を開始。「オレンジ年金企画」を設立。参院選に出馬し落選。
- 1995年 - 細川護煕の側近であった初村謙一郎の政治団体関係者に政官工作資金として巨額の金を渡し、新進党の比例区の高い名簿順位を獲得し、7月の参院選に当選。
- 1996年 - 11月、同組合が出資法違反容疑で捜索を受ける。12月に同組合が倒産。
- 1997年 - 1月、友部に対する逮捕許諾決議案が可決。詐欺容疑で逮捕される。以後、登院なし。
- 2000年 - 東京地裁で友部に懲役10年の実刑判決。その後、控訴・上告。
- 2001年 - 5月、最高裁で上告棄却、友部の懲役10年の実刑判決が確定。判決確定により、議員を失職。
オレンジ共済組合の事業
「オレンジスーパー定期」の他に、「オレンジ共済」、「オレンジ介護共済」などを運営していた。
出資法違反について
オレンジ共済組合は出資法違反でも捜索を受けている。これは、銀行などのように法律で許された者以外が業として預かり金を受けると出資法違反になるからである。
国会議員の地位の矛盾点
友部は、オレンジ共済組合の問題点が表面化した1996年11月の時点で、国会議員であった。院内の秩序を乱した場合を除き、有罪確定前の議員を強制的に辞職させる規定が存在しないため、友部に対しては、議員辞職勧告決議が可決されたが、法的拘束力が無いために辞職を拒み、議員の地位に留まった[4]。2001年5月に実刑判決が確定したことによって友部は議員を失職するものの、逮捕後約4年間議員に在職していた。友部の失職によって新進党の比例名簿により金石清禅が繰上げ当選。規定とはいえ存在しない政党[5]から当選するという制度に対する批判があった[6]。
逮捕後から2001年5月までの約4年間、国会議員として活動していないにも関わらず国会議員の地位にあり、合計1億6000万円の歳費(給料)を受けた。なおこの歳費はそのほとんどが被害者らに差し押さえられた。
その他
兵庫県姫路市の姫路バイパス中地ランプ付近のビルに「オレンジスーパー定期7.02% オレンジ共済」の看板が掲げられたままとなっていた(当然ながら営業していない)が2014年現在ビルは解体され存在しない。
新進党の衆議院議員だった萩野浩基(比例東北ブロック)は1997年、党がこの事件で公党の責任を果たさないことを理由に離党届を提出したが、新進党は萩野が比例選出であることを理由に離党を認めず、両者の対立が続いた。しかし、その年に新進党が解党したため、萩野は自民党入りした。
参考文献
- 『新版 日本の経済犯罪ーその実状と法的対応』(神山敏雄 著,ISBN 4535512817)
- 『金融犯罪― 個人の資産を狙う闇経済ネットワーク』(鈴木雅光 著,ISBN 4408321400)
- 『ナイトエンジェル(2)』(YUKO(金沢京子)、雅亜公 共著,ISBN 9784832230811)