アーサー (コノート公)
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アーサー・ウィリアム・パトリック・アルバート(Prince Arthur, Duke of Connaught and Strathearn、全名:Arthur William Patrick Albert、1850年5月1日 - 1942年1月16日)は、イギリスの王族。ヴィクトリア女王の三男でコノート公。次兄エディンバラ公アルフレッドとは対照的に陸軍の道に進んだ。1911年から1916年までカナダ総督を務めた。日本では「コンノート殿下」として知られている。
1890年(明治23年)、1906年(明治39年)、1912年(大正元年)、1918年(大正7年)の4回来日している。1890年の来日では上村松園の「四季美人図」を買い上げて話題となった。1906年の来日は明治天皇にガーター勲章を奉呈するために、エドワード7世の名代となったもので、英国王室の日本公式訪問としては最初のものであった。2月19日から3月16日まで滞在し、日本各地を訪問している。このときの主席随員は、明治維新期に英国公使館に勤務したリーズデイル卿であった[1]。1912年の来日は明治天皇の大喪の礼に参列するため、1918年の来日は大正天皇への元帥杖授与のためのものであった。
家族
1879年、アーサーはプロイセン王族(フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の曾孫)のルイーゼ・マルガレーテと結婚した。
- 長女マーガレットはスウェーデン王太子(後のグスタヴ6世アドルフ)と結婚したが王妃になる前に薨去、その後グスタヴ6世アドルフは彼女の従姉ヘッセン大公女ヴィクトリアの次女ルイーズと結婚。マーガレットはデンマーク女王マルグレーテ2世、スウェーデン国王カール16世グスタフの祖母にあたる。
- 次女パトリシアは姉同様美人の誉れが高く、ポルトガルの王子・ブラガンサ公ルイス・フィリペとマヌエル(後の国王)の兄弟やスペインのアルフォンソ13世、ロシア皇帝ニコライ2世の弟ミハイル大公の妃候補であったが、父の部下アレクサンダー・ラムジーと結婚した。
脚注
テンプレート:Reflist- ↑ このときの様子を、リーズデイル卿は「ミットフォード日本日記」(長岡祥三訳、講談社、ISBN 9784061594746)として残している