アルファ型原子力潜水艦

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アルファ型原子力潜水艦(-がたげんしりょくせんすいかん Alfa class submarine)は、ソヴィエト/ロシア海軍の攻撃型原子力潜水艦である。 アルファ型NATOコードネームであり、ソ連海軍の計画名は705型潜水艦“リーラ(竪琴)Подводные лодки проекта 705 "Лира")である。

1971年1981年に全部で7隻が建造され、すべてが北方艦隊に配備された。厳密には、1番艦と2番艦以降では原子炉の型式が異なり、後者を705K型潜水艦と呼ぶ。

特色

アルファ型の基本は、1957年の「水中高速迎撃艦構想」に由来する。これはアメリカ海軍空母機動部隊に対して、高速の潜水艦を直ちに発進させて迎撃する、「水中の迎撃戦闘機」とも言える構想だった。そのため、アルファ型には可能な限りの高速性と運動性能が要求され、数々の新機軸が織り込まれることとなった。

最大の特徴は、高速を出すために必要な高出力を得るために、溶融金属(ビスマスの合金)を冷却材とする溶融金属冷却原子炉を搭載したことだった。艦船用原子炉として主流の軽水炉にくらべて、溶融金属冷却原子炉は高い熱効率を持ち、出力調整のレスポンスも高かった。重量・サイズとも従来の物より小さく、艦全体のサイズも大幅に小型化できた。また、高速による水圧に耐えるため、パパ型に続いてチタン製の頑丈な船殻も採用され、優れた高速性と最大潜行深度を誇った。

なお船殻については、当初西側では単殻式と見られていたが、その後の情報公開により、他のソビエト原潜と同じく複殻式であることが判明している。当初は船体をより小型化できる単殻式も模索されていたが、予備浮力の減少を危惧した上層部の許可が得られず、複殻式を選択することになった。それでも、原子炉の小型化によって、従来型の原潜より300tもの軽量化に成功したという。

推進方式についてはターボ・エレクトリック方式だとする資料が多いが、アンドレイ・V・ポルトフの資料(2005年)では、特にターボ・エレクトリック式との記載はない。従来、溶融金属冷却原子炉では冷却材の性質上、ターボ・エレクトリック式と組み合わせるとされていた。しかし、方式はやや異なるものの、同じく溶融金属冷却原子炉を搭載していたアメリカ海軍シーウルフ (SSN-575)も、より一般的なギアード・タービン(蒸気タービン)推進を採用しており、アルファ型についても、ギアード・タービン式である可能性がある。

他にも、高度の自動装置による省力化(たとえば自動装填装置の採用による魚雷発射管室の無人化)、最大深度からも脱出可能な脱出装置「レスキュー・チェンバー」の採用など、多くの新機軸が用いられた。

原子力潜水艦としては小型であったが、自動化が進んでいたため乗員は僅か32名(士官のみ)しか必要とせず、居住環境はソビエト(ロシア)の潜水艦のみならず各国の潜水艦と比較しても高く、艦長のみならず各長の個室が用意され、全乗組員分のベッドが設置されている(潜水艦は3交代制下での非番乗組員分しかベッドが設置されないのが通例である)。艦内食も改善が加えられ、保存食の技術向上によりメニューが豊富となり、特にインスタントコーヒーが好評だったという。

運用

水中で40ktを超える世界最高速の攻撃型潜水艦として知られており(他種類の原潜を含めれば、パパ型の44.7ktが最高記録である)、静止状態から40ktに加速するまでわずか1分、3ktから42ktまでは3分しか必要とせず、全速であれば速度の遅い魚雷を振り切ることさえできた。最高速で180度反転するのに要する時間も、わずか42秒に過ぎなかったといわれる。水中騒音はやや大きく、ソナーなどの性能も劣っていたが、その高速・機動性に物言わせて、ヴィクター3型との訓練などでは常に勝利し、アメリカ海軍ロサンゼルス級も、その速度に振り切られ、米海軍は対応を余儀なくされた。

一方、整備や運用面では問題が少なくなかった。最大の問題は溶融金属冷却原子炉で、設計意図通り、小型・軽量・大出力を発揮し、出力レスポンスも良好だった反面、未経験の問題が続出した。加温しないと冷却材が凝固する、鉛ビスマス合金がステンレス鋼よりイオン化傾向が少なくステンレス鋼が腐蝕する、ポロニウムと鉛酸化スラッグの発生という問題である。

腐食問題と残存凝固冷却材のため配管の損耗やメンテナンスでは不利であり、さらに停泊中も冷却剤が凝固しないように加温装置が必要だったが、艦内設備を簡易軽量に済ませるため外部から蒸気を供給する仕様にした。そのため地上設備の整備まで必要となった(アルファ級が配備されたザパドナヤ・リツァ原潜基地では、ボイラーを新設して対応している)。1番艦K-64は、出航準備中に起きた冷却剤の凝固を止めることができず、原子炉を緊急停止、以後は実験艦として使用されることになった。2番艦以降は原子炉を全く別に設計しなおしたが、それでも根本的な解決にはならず、1次冷却系を主に、蒸気発生器への液体金属の漏出や、それによる蒸気発生器の破裂、液体金属漏れなど、たびたびトラブルに見舞われている。

人材確保の面でも問題があった。アルファ型には非常に高度な技術が用いられているため、優秀な乗組員をそろえる必要があり、さらに秘密保持のため、防諜当局の特別許可まで必要だった。新装備の習熟にも時間がかかり、結果、作戦行動期間が、他の原潜と比べて短くなってしまった。

時代もアルファ型に味方しなかった。当時のソビエト海軍は、「より大型で威力のある兵器」を「より多く積める」潜水艦を模索しており、艦型は大型化の一途をたどっていた。小型で、魚雷搭載数わずか18本のアルファ型は、要請に応えられなくなっていたのである(ほぼ同世代のヴィクター型の場合、I型では魚雷18本だが、II型以降は24本。1世代後のシエラ型アクラ型では最大40本搭載できる)。時代に逆行する小型潜水艦を設計した主任技師は大きな批判を浴び、事実上海軍から追放されることとなってしまう。

アルファ型で試みられた技術の多くは、(問題の多い原子炉を除いて)後に他のソビエト原潜にも取り入れられることとなり、設計・建造に携わった関係者1,000人以上が叙勲・表彰されるなど、ソビエト原潜の発達史において大きな貢献を果たしたことは間違いない。しかし、上記のような理由で運用実績は思わしくなく、結局、同型艦7隻(1番艦はほとんど行動できなかったので、実質6隻)で建造は打ち切られた。巡航ミサイル搭載型や、改良型も提案されたものの、実現することはなかった。

結局、1991年第一次戦略兵器削減条約調印、1989年ベルリンの壁崩壊という時代背景のなかで、1989年の加圧水型戦略核ミサイル潜水艦コムソモレツの沈没事故を機に、武器搭載量が少なく、維持に手間がかかり、安全性に不安のあったアルファ型は、1990年に3番艦以降5隻が、1996年に2番艦が除籍され、これによって全艦が退役した。

諸元

ファイル:Alfa class SSN.svg
705型潜水艦 側面図
  • 全長:81.4m
  • 全幅:10m
  • 吃水:7.6m
  • 水上排水量:2,300t
  • 水中排水量:3,100t
  • 予備浮力:31%
  • 船体構造:複殻式、6区画
  • 機関:原子力タービンエレクトリック方式 - 溶融金属冷却型原子炉×1基/OK-7型蒸気タービン(38,000馬力)×1基/スクリュー×1軸
  • 最高速力:水上14kt(26km/h)、水中43kt(80km/h)
  • 連続航海期間:50日
  • 運用深度:350~420m
  • 乗員:32名
  • 探索装置:オケアーン型ソナー
  • 航海・指揮機材:アッコールド型戦闘情報指揮システム、モールニヤ型通信システム
  • 兵装:533mm(21inch)魚雷発射管×6基 - 魚雷対潜ミサイル×18、または機雷×36

同型艦

  • プロイェクト705
1971年竣工・就役、1972年解体(事実上の退役)、1978年除籍。問題が多発し、作戦運用されることは無かった。事実上の試験艦として用いられた。OK-550型原子炉(出力155MW)を搭載。
  • プロイェクト705K
以下6隻はBM-40A型原子炉(出力155MW)を搭載。

アルファ型が登場する作品

上記のように現実には問題の多い艦だったが、その破天荒な性能から、創作の世界ではしばしば登場する「人気兵器」「定番兵器」となっている。

参考文献

  • アンドレイ・V・ポルトフ、2005、『ソ連/ロシア原潜建造史』、海人社
  • A.S.Pavlov, Gregory Toker (translator), Norman Friedman (editor, English language edition), 1997, Warships of the USSR and Russia 1945-1995, [Annapolis, Maryland]: Naval institute press, ISBN 155750671X.

関連項目

以下は、旧ソ連におけるチタン製船殻の潜水艦

脚注


外部リンク

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テンプレート:ソ連・ロシアの潜水艦(1945年以降)