大宮アルディージャ
テンプレート:告知 テンプレート:サッカークラブ テンプレート:Infobox 大宮アルディージャ(おおみやアルディージャ、Omiya Ardija)は、日本の埼玉県さいたま市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。
目次
概要
1969年創部の電電関東サッカー部が前身であり[1]、1999年にJリーグへ加盟した[1]。ホームスタジアムはNACK5スタジアム大宮、練習場は大宮アルディージャ練習場(さいたま市高木サッカー場)である(詳細は#ホームスタジアム・練習場を参照)。運営会社はエヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ(NTTスポーツコミュニティ)株式会社である[1]。
クラブ名の「アルディージャ(Ardija)」は、スペイン語でリスを意味する「Ardilla」に由来[1] し、読みやすいように変更した造語(Ll参照)である[2] 。なお、リスは、大宮市(現:さいたま市)が1990年の市制施行50周年記念の際に定めたマスコットである[1][2]。
歴史
前史
テンプレート:Main 1969年に結成された電電関東サッカー部が前身であり[1]、1987年から1992年まで日本サッカーリーグ2部に在籍した。1998年、旧大宮市をホームタウンとして、アマチュアチームのままチーム名を「大宮アルディージャ」へ改称[1]。1998年12月、東日本電信電話[注 1] が中心となりNTTドコモ、NTTデータ、NTTファシリティーズ、NTTコムウェア、日本コムシスなどのNTTグループおよび関連企業18社が出資して運営会社となる「エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社」が設立された[1]。
1999年 - 2004年(J2)
1999年、オランダ人のピム・ファーベークが監督に就任。序盤は首位争いをしていたが、その牽引役だったFWヨルン・ブーレが深夜の飲食店で暴漢に襲われ左眼失明の重傷を負い、引退を余儀なくされるという事件が起きて以降失速し、最終成績はリーグ6位。
2000年、三浦俊也が監督に就任。この年、初めて浦和との「さいたまダービー」が行われた(大宮の1勝3敗)。
2001年、前半戦を17勝3分2敗の首位で終えたが、後半戦はFWジョルジーニョおよびパナマ代表FWのバルデスが共に重傷を負い、後半戦より加入したバレーが活躍したが、後半戦は9勝3分10敗の成績で最終順位は5位であった。なお、この年限りで三浦は監督を辞任した。
2004年、3シーズンぶりに三浦が監督に就任。11月20日の水戸戦で勝利してJ1自動昇格条件の2位以上を確定。シーズン2位の成績で2005年からのJ1昇格を決めた。
2005年 - (J1)
2005年
- クラブスローガン :「「Departure」→走り出す大宮→」
元ブラジル代表のFWクリスティアンや、地元大宮出身のFW桜井直人、元日本代表MF藤本主税などを補強。 リーグ戦は第16節時点で7位につけたが、リーグ戦15試合で6得点のたクリスティアンがサンパウロFCに移籍した。また、桜井をはじめ故障者が続出し、第22節から第28節まで7連敗。第28節時点で16位まで順位を下げたが、レアンドロ、若林学らの活躍もあり第29節から4連勝して、最終成績は13位。優勝したG大阪に2戦2勝だったほか、ホームのさいたまダービーに勝利した。ナビスコ杯はベスト8。天皇杯はベスト4へ進出した。
2006年
- クラブスローガン :「OMIYA EXPRESS 加速するオレンジ魂」
柏からDF土屋征夫、波戸康広、東京VからMF小林慶行、小林大悟、神戸から佐伯直哉を獲得し、またFWには吉原宏太(G大阪)、サウル・マルティネス(前・上海申花・ホンジュラス代表)、GK江角浩司(前・大分)など各ポジションに選手を補強、シーズン途中に元磐田のFWロドリーゴ・グラウを獲得した。 しかし、マルティネスは不振のため4月末で解雇され、グラウはレンタル移籍であったが本人の希望により契約延長せず、わずか3ヶ月で退団した。 シーズン終盤にブラジル人FWのアリソンを補強したが、チーム浮上のきっかけとはならず、12位でシーズンを終えた。 シーズン終了後、三浦が監督を退任。
2007年
- クラブスローガン :「シンカ ~進化、真価、深化」
元監督ピム・ファーベークの弟であるロバート・ファーベークが監督に就任。トニーニョが退団。久永辰徳はレンタル期間満了(福岡へ復帰)、土屋が東京Vへ完全移籍した。リーグ戦は前半戦で3勝7分8敗の16位(入れ替え戦圏内)と低迷。ロバートは解任され、強化育成部長の佐久間悟が監督に就任。 その後もチームの調子は急浮上と行かなかったものの、15位でJ1残留となった。
2008年
- クラブスローガン :「シンカ NEXT~進化、真価、深化」
三浦の退任時からオファーを出していた山形元監督の樋口靖洋が監督に就任。 樋口は攻撃的なサッカーを志向し、第14節時点で7位につけたが、後半は無得点記録と6連敗を記録し、12勝7分け15敗の12位に終わり、1年で退任となった。
2009年
- クラブスローガン :「橙想心 AGGRESSIVE SHIFT 2009」
監督に東京Vや札幌で指揮を執っていた張外龍が就任。 GK荒谷弘樹(札幌へ)、MF佐伯直哉(千葉へ)、MF小林大悟(ノルウェー1部・スターベクIFへレンタル)、FW吉原宏太(水戸へ)が移籍した一方、札幌にレンタル移籍していたGK高木貴弘が復帰。 湘南からFW石原直樹、鳥栖からFW藤田祥史、韓国・水原からDFマト、浦項からMF朴原載が移籍。 またレンタル移籍だったMF内田智也が完全移籍となった。 開幕当初から主将のMF小林慶行などケガ人が続出したうえ、その小林慶が張の構想から外れて柏へレンタル移籍するなど苦戦が続き、またもやシーズン終盤で辛くもJ1残留を果たすに留まった。 そんな中、“アルディージャの誓い”の中に目標として掲げていた「2009年までに年間観客動員300,000人!」をリーグ戦ホーム最終戦(J1残留を決めた柏戦)で達成した(後に水増しであったことが発覚)。
2010年
- クラブスローガン :「橙想心 より強く、より高く、より深く」
張が監督を続投。主力選手だったDF波戸康広が横浜FMへ、DF冨田大介が神戸へ、MF片岡洋介は京都へ移籍したが、新潟の正GKだった北野貴之、大分からDF深谷友基、甲府からDF杉山新らを獲得した。 また、開幕直前にはDF塚本泰史が右大腿骨の骨肉腫を患っていたことが明らかになった。 3月7日のC大阪戦に3-0で勝利し、第1節終了時ではあるが、チームとして初のJ1単独首位に立ったが、第8節終了時で1勝2分5敗の成績で、張が監督を辞任。後任に元新潟監督の鈴木淳が監督に就任すると、チーム状態は上向き、結果的にホーム最終戦の第33節でJ1残留を決めた。
10月2日に埼玉スタジアムで行われた浦和戦で観客数水増しが発覚、発覚当初、クラブ側は全面否定したものの、翌日にリーグ事務局の本格調査が入ると一転して4,000人以上の水増しを認め、10月19日に渡邉誠吾は代表取締役を辞任した。2007年11月以降に主管した58試合で観客数を水増しし、その合計は111,737人であった[3]。11月16日、社団法人日本プロサッカーリーグより譴責(始末書の提出)および制裁金2,000万円の処分が課せられた[4]。
2011年
- クラブスローガン :「上昇宣言 ~リスの木登り~」
鈴木体制2年目。マトと李浩が退団。安英学が柏へ、藤田祥史が横浜FCへ、内田智也が甲府へ完全移籍。市川雅彦が東京Vへレンタル移籍。レンタル移籍で加入していた多田大介は鳥取へ移籍した。土岐田洸平(大分)、新井涼平(FC岐阜)のレンタル移籍期間も延長された。
一方、京都から片岡洋介が復帰。同じく京都から渡邉大剛、FC東京から金英權、大分から東慶悟、磐田から上田康太が完全移籍で加入し、レンタル移籍だった坪内秀介は完全移籍となり、清水慎太郎が加入した。8月にはCRヴァスコ・ダ・ガマから、7月までC大阪に所属していたホドリゴ・ピンパォンをレンタル移籍で獲得した。
リーグ戦は連勝も連敗(3連敗が1度だけ)もないという星取りで、ホームゲームで勝てない(8月27日の第24節・磐田戦でようやく1勝目。12月3日の第34節・甲府戦で2勝目)という状況だったが、11月19日の第32節・鹿島戦前にJ1残留が確定。最終順位は13位。ヤマザキナビスコカップ[注 2] は初戦敗退。天皇杯は初戦で福岡大学にPK戦で敗退した。
2012年
- クラブスローガン :「上昇宣言2012 ~リスの木登り~」
鈴木体制3年目。ホドリゴ・ピンパォン、李天秀、2010年2月に右大腿骨骨肉腫を患い、人工関節への置換手術を受け復帰を目指していた塚本泰史[注 3] が退団(その後アンバサダーに就任)。7年間在籍していた藤本主税が熊本に、石原直樹が広島に、杉山新が横浜FCに、2年間岐阜にレンタル移籍していた新井涼平が北九州に完全移籍。木原正和が福岡へ、宮崎泰右が湘南にレンタル移籍。富山にレンタル移籍していた福田俊介、大分にレンタル移籍していた土岐田洸平はレンタル移籍期間延長となった。
補強としては新潟からチョ・ヨンチョル、川崎から菊地光将、山形から長谷川悠、G大阪から下平匠を完全移籍で獲得。また、新外国人選手としてサンパウロFCからカルリーニョスを期限付き移籍で獲得し、市川雅彦をレンタル移籍から復帰させた。
シーズン開始後、第2節終了時に8位であったが、2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選によるリーグ戦中断直前の第13節終了時点で15位の順位であった。5月、監督の鈴木淳、ヘッドコーチの石井知幸を解任し、6月に千葉などの元監督のズデンコ・ベルデニックが監督に、ユースコーチだった井上卓也がヘッドコーチにそれぞれ就任した。戦力面では7月にFWラファエルがボタフォゴFRへ移籍した一方、FWノヴァコヴィッチ、ズラタンやDF河本裕之を獲得した。第24節時点で17位に順位を落としたが、第24節・浦和戦(引分)から最終節までリーグ戦11戦連続(5勝6分)、天皇杯を含めて公式戦13試合連続負けなしを記録。第33節の磐田戦に勝利した時点でJ1残留を確定。最終順位は13位。
2013年
- クラブスローガン :「大宮共闘」
ベルデニック体制2年目。市川雅彦が退団。東慶悟がFC東京に、深谷友基が大分に完全移籍。レンタル移籍していた木原正和(福岡)、土岐田洸平(大分)が完全移籍に移行。河本裕之は期限移籍満了で神戸に復帰。金久保順は福岡に、イ・グノが北九州にレンタル移籍した。
補強は東京Vから高橋祥平を、レンタル移籍だったカルリーニョスが完全移籍で獲得。福田俊介、宮崎泰右がレンタル移籍から復帰。富山貴光、今井智基、川田修平が加入した。
リーグ戦は、前年後半からの無敗を継続。第7節浦和戦で鹿島が持っていたJ1連続無敗記録を更新すると、次の柏戦で首位に立ち、第11節仙台戦で敗北を喫するまでにJ1記録を21(13勝8分)に伸ばした。ナビスコカップはグループリーグ敗退。J1リーグ戦でも、コンフェデレーションズカップによる中断明けの7月、第16節から連敗を喫し、5連敗目となった第20節の翌日の8月11日にベルデニックを解任して、小倉勉が監督に就任。なお、カルリーニョスが磐田へ、清水慎太郎が岡山へレンタル移籍したが、仙台から和田拓也、元シドニーFCでオーストラリア代表のニールを補強した。しかし、小倉指揮下でもJ1リーグ戦で連敗を止めることができず、結果的に連敗は8まで伸びたが、第24節横浜F・マリノス戦で連敗を止めた。第25節から第32節までシーズン2度目の8連敗を喫したが、第33節・第34節と連勝して最終順位は14位。なお、第34節湘南戦の勝利により、J1通算100勝を達成した。シーズン終了後に小倉が監督を退任した。また、岡本武行がGM、古矢武士が強化部長をそれぞれ退任した。
2014年
- クラブスローガン :「大宮共闘」
元FC東京監督の大熊清が監督に就任。橋本早十がタイのチョンブリーFCへ、青木拓矢が浦和へ、下平匠が横浜FMへ、鈴木規郎が仙台へ完全移籍、宮崎泰右が群馬へ、福岡へレンタル移籍した金久保順が川崎へ、北九州へレンタル移籍してた李根鎬がJ3・ブラウブリッツ秋田へレンタル移籍、清水慎太郎(岡山)のレンタル移籍期間が延長、ノヴァコヴィッチがレンタル移籍期間満了(後に清水へ移籍)、ニールが退団した。
一方でC大阪から横山知伸を、FC東京から中村北斗を、水戸から橋本晃司を、RCDマヨルカから家長昭博を完全移籍で獲得。藤井悠太、高瀬優孝、大山啓輔、泉澤仁が加入した。
W杯中断中には2010年W杯セルビア代表のムルジャを補強した。
成績
ダービーマッチ
さいたまダービー
その他のダービー
- 東武野田線ダービー
- 大宮アルディージャ vs 柏レイソル(2005年、2007年-2009年、2011年-現在)
各種記録
項目 | 記録 | 時期 | 対戦相手、結果および試合会場 |
---|---|---|---|
最多連勝 | 13連勝 | 2004年J2第32~44節 | |
最長無敗期間 | 21試合 | 2012年J1第24~2013年J1第10節(うち引分8試合)[注 4] | |
最多連敗 | 8連敗 | 2013年J1第16~23節、第25~32節 | |
最長未勝利期間 | 10試合 | 2003年J2第8~17節 (うち引分4試合) | |
最多得点試合 | 5得点 | 1999年J2第3節 | 大分トリニータ 5-0 (大宮公園サッカー場) |
2012年J1第26節 | コンサドーレ札幌 5-0 (札幌厚別公園競技場) | ||
最多失点試合 | 6失点 | 2000年J2第14節 | 浦和レッズ 0-6 (大宮公園サッカー場) |
2003年J2第21節 | コンサドーレ札幌 2-6 (札幌ドーム) | ||
最多入場者数 | 29,575人 | 2010年J1第25節 | 浦和レッズ (埼玉スタジアム2002) |
42,346人 | 2009年J1第29節 | 川崎フロンターレ (埼玉スタジアム2002) | |
最少入場者数 | 5,627人 | 2011年J1第18節 | ヴィッセル神戸 (NACK5スタジアム大宮) |
844人 | 2000年J2第35節 | モンテディオ山形 (大宮公園サッカー場) |
- 入場者数の上段は水増しが発覚した2010年J1第25節以降の数値。なお、下段(灰色、小文字)は2010年J1第24節以前(水増し発覚以前)の参考数値。
ホームスタジアム・練習場
ホームスタジアムはNACK5スタジアム大宮(略称:NACK、旧称:さいたま市大宮公園サッカー場)であり、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場でも不定期にホームゲームを開催する。なお、過去の開催スタジアムは下表を参照のこと。
練習場は2013年1月よりさいたま市西区の大宮西部特定土地区画整理事業地内にある「大宮アルディージャ練習場」(さいたま市高木サッカー場)を使用し、クラブハウス「オレンジキューブ」を併設している[6][1]。なお、2012年以前はNTT東日本総合グラウンド(志木市)や秋葉の森総合公園サッカー場(さいたま市西区)を使用していた。
年度別・スタジアム別のホームゲーム試合数
テンプレート:未検証 (アルディージャホームページにデータが記載されている2001年以後。天皇杯は除く -=建設・改修中 ナ杯=ナビスコカップ) [7]
年度 | リーグ戦 | ナ杯 | 備考 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
大宮 (NACK) |
駒場 | 埼玉ス | 熊谷陸 | その他 | |||
2001年 | 21 | 0 | 0 | - | 鴻巣1 | 大宮1 | |
2002年 | 20 | 1 | 1 | - | なし | ||
2003年 | 20 | 0 | 2 | - | なし | ||
2004年 | 19 | 0 | 2 | 1 | なし | J1昇格 | |
2005年 | 5 | 2 | 8 | 3 | なし | 大宮1 埼玉ス2 駒場1 熊谷陸1 |
大宮は当時J1規格外であったため試合数を制限し、 事実上埼玉スを準本拠とした |
2006年 | - | 10 | 5 | 2 | なし | 駒場3 | この年、大宮改修のため駒場を暫定本拠とする |
2007年 | 2 | 13 | 2 | 1 | なし | 駒場3 | この年、10月まで駒場を暫定本拠とする。 11月よりNACK(大宮)に本拠復帰 |
2008年 | 17 | 0 | 0 | 2 | なし | NACK2 熊谷陸1 |
|
2009年 | 13 | 0 | 3 | 1 | なし | NACK3 | |
2010年 | 15 | - | 1 | 1 | なし | NACK3 | |
2011年 | 16 | - | 0 | 1 | なし | NACK1 | |
2012年 | 16 | 0 | 0 | 1 | なし | NACK3 | |
2013年 | 16 | 0 | 0 | 1 | なし | NACK3 |
ホームゲームの席割
マスコット
リスをモチーフとしており、アルディは1998年、ミーヤは2008年に登場した[2][8]。なお、2009年に公式マスコットとして認定された。両名とも2012年より「ゆる玉応援団」メンバー。
アルディとミーヤは仲良しのカップルであり、公式プロフィールにもアルディの欄には「好きな女性のタイプ:ミーヤ」、ミーヤの欄には「将来の夢:アルディとNACK5スタジアム大宮で結婚式をあげること」と書かれている[8]。
また、公式サイトの「アルディとミーヤの日記」では必ずパートナーを褒める「おのろけ」コメントが入っていたり、ホーム試合では2匹揃って登場し、手をつなぐ、抱擁する、キスをするなど、夫婦や男女ペアのマスコットの多いJリーグマスコットの中でも際だったバカップルぶりを披露している。一方でミーヤは彼氏のアルディがいるにもかかわらず、埼玉県のマスコット・コバトン[1]、さいたま市のマスコット・つなが竜ヌゥ[2] や熊谷市のマスコット・ニャオざね[3] にキスしたり、浦和のマスコット・レディア [4] と親密になったり、Jリーグ特命PR部 女子マネージャーの足立梨花に抱きついたアルディ [5] にビンタを見舞ったりもする [6] 。
なお、ミーヤは2012年にJ's Goalの「第1回 輝く!Jリーグマスコット大賞 主演女優賞」を受賞した[9]。
ユニフォーム
チームカラー
- テンプレート:Color box オレンジ[1]
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | NTTドコモ | NTT docomo | 2008年途中 - | 2000年-2004年は背中、 2007年はパンツ |
---|---|---|---|---|
背 | 東日本電信電話 | FLET'S光 | 2007年 - | 2000年-2006年は胸 |
袖 | 富士薬品 | 富士薬品 | 2005年 - | |
パンツ | 武蔵野銀行 | 武蔵野銀行 | 2012年 - |
ユニフォームサプライの遍歴
- 1999年~2006年 ミズノ
- 2007年~2008年 Lotto
- 2009年~現在 Under Armour
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 背中 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
1998 | NTT | - | - | - | Mizuno |
1999 | NTT→NTT東日本[注 5] | ||||
2000 | NTT東日本 | NTT DoCoMo |
Coca-Cola | ||
2001 | Club IT | ||||
2002 | - | NTT オートリース | |||
2003 | |||||
2004 | FLET'S | - | |||
2005 | FOMA NTT DoCoMo |
富士薬品 | アイダ設計 | ||
2006 | - | ||||
2007 | DCMX NTT DoCoMo | FLET'S 光 | NTT DoCoMo | lotto | |
2008 | DCMX→ NTT docomo |
NTT Communications | |||
2009 | NTT docomo | ひかりTV | Under Armour | ||
2010 | |||||
2011 | - | ||||
2012 | 武蔵野銀行 | ||||
2013 | |||||
2014 |
エピソード
- 2009年1月、2005年のJ1昇格以降の毎年残留争いを勝ち残ってきた「勝負強さ」や「残留力」から「落ちない!お守り」を発売したが、発売から5日間で500個全てを完売した。なお、お守りの中身は使われなかった前年のJ1・J2入れ替え戦のチケットであった[10]。
関連項目
- アルディージャと同じく、NTTグループ内のサッカー部を母体とするクラブ
注釈
出典
外部リンク
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- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ クラブハウス・練習場 大宮アルディージャ公式サイト
- ↑ フットボールガイスト テンプレート:信頼性要検証
- ↑ 8.0 8.1 アルディとミーヤのプロフィール 大宮アルディージャ公式サイト
- ↑ 第1回 輝く!Jリーグマスコット大賞 主演女優賞発表!(J's Goal 2012年12月30日)
- ↑ テンプレート:Cite web
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