アラブ連盟

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アラブ連盟(アラブれんめい、جامعة الدول العربية、Jāmi'a al-Duwal al-'Arabīya、League of Arab States)は、アラブ世界の政治的な地域協力機構。第二次世界大戦末期の1945年3月22日創設。本部はカイロにある。加盟は22(21カ国と1機構)。 現在の連盟事務局長はエジプト前外相のナビール・エル=アラビー。参加各国の代表からなる理事会が最高決定機関で、その下に実行機関である事務総局や常任委員会、共同防衛理事会、社会経済理事会、ほか専門の諸機関がある。

歴史

20世紀にはいると、アラブ民族主義の高まりを受けて、アラブ諸国家間の地域協力機構の設立が叫ばれるようになった。第二次世界大戦が始まると、アラブ諸国が枢軸国側につくことを避けるためにイギリスがこの構想を支持するようになり、1945年3月22日にアレキサンドリア議定書の発効によって、当時のアラブ7カ国が加盟して結成された。1963年からはナセルの提唱によってアラブ首脳会議が行われるようになり[1]1982年以降一時中断したものの2000年に復活し、2012年現在も継続している。首脳会議は年に一度加盟国の都市に集まって行われる。アラブ諸国が次々と独立していくにつれて加盟国数も拡大し、さらに1973年モーリタニアが加盟したのを皮切りに、それまでアラブ諸国とはみなされていなかったジブチソマリアコモロなどの加盟が認められていった[2]

後にエジプトナセル大統領の提唱により、アラブ民族主義(汎アラブ主義)に基づくアラブ世界の統一を目指した(アラブ連合構想)が、基本的にエジプトばかりかサウジアラビアシリアイラクがそれぞれアラブ圏での主導権を握ろうとし、互いに従属することを嫌ったためにいずれも頓挫した。

本部がカイロにあり、また歴代の7人の事務局長が、エジプト追放期のチュニジア人一人を除いて全員エジプト人であるように、エジプトの主導権が強く、サウジアラビアなどを中心に反発もあり、サウジアラビアがイスラム諸国会議機構の設立に積極的であった理由のひとつともされる。1979年にはエジプトとイスラエルの単独和平によって盟主であったエジプトが連盟から追放され、本部はチュニジアチュニスに移っていた。1990年にエジプトが連盟に復帰すると、本部もカイロへと戻った[3]

中東戦争には共同歩調をとったが、パレスチナ解放機構 (PLO) の暴走やエジプト・イスラエルの単独和平でまとまりは無くなり、地域ではPLOが絡んだヨルダン内戦レバノン内戦などが相次いだ。イラン・イラク戦争では一貫してイラクを支持し続けたが、1991年湾岸戦争では内部分裂の結果調停に失敗し、多くの国が対イラク攻撃に参戦した。最近ではアラブ連盟の政治的役割はますます低下しており、実質的には中東の政治問題の解決にほとんど有効な手段を取ることができていない。地域統合でも湾岸協力会議アラブ・マグレブ連合など、より狭い地域での統合を目指す動きの方が進展が見られる。

中東の非核化を求め、核武装しているイスラエルを批判している。

2008年3月にはイスラエルが核保有を公式に認める事、これに国際連合が然るべき措置を取る事を求め、容れられない場合の核拡散防止条約脱退予定を声明した。

2009年3月30日、31日の両日、カタールの首都ドーハで第21回アラブ連盟首脳会議が開かれた。会議には21カ国と1機構、国連の事務総長、イスラム諸国会議機構 (OIC) の事務局長が参加。エジプトのムバーラク大統領は欠席を表明。
最終宣言では、中東和平、イラク、スーダンの国内情勢、中東非大量破壊兵器地帯創設などの課題解決のために参加国の努力を確認した。中東非大量破壊兵器地帯創設では、核兵器保有のイスラエルに対し、核不拡散条約 (NPT) に調印し、国際原子力機関 (IAEA) の監視を受けるよう国際社会が圧力をかけることを求めた。中東和平問題では、最近のパレスチナ自治区のガザ地区に対する攻撃を「野蛮な侵略」と非難した。
討議でヨルダンのアブドゥッラー2世国王は、スーダン情勢について、国際刑事裁判所 (ICC) がオマル・アル=バシール大統領に対して逮捕状を発行したことを非難した。 2011年10月30日カタールドーハ)で外相会議が開かれ、シリア騒乱を論議した。31日には、アラビ事務局長が、シリア政府の反政府デモに対する武力弾圧を終了させるためのロードマップを明らかにした。11月2日には暴力行為停止などの調停案受け入れでシリアと合意したが弾圧は続き、11月16日をもってシリアは加盟資格が停止された[4]2011年11月16日、モロッコ・ラバトで外相会議を開き、シリア問題について話し合った。同会議は、シリア政府に対し3日以内に弾圧を停止するよう求め、これに応じなければ経済制裁を科することを決定した。 11月27日、カイロで外相会議を開き、シリアに対する制裁措置を19ヵ国(22ヵ国・機構加盟)の賛成で承認した。制裁措置は、アラブ諸国とシリア政府との関係の断絶、シリアへのアラブ各国政府の投資の禁止、アラブ各国にあるシリア資産の凍結、シリア政府高官[5]の渡航禁止、シリアへの民間航空の乗り入れ禁止[6]などから成っている。12月3日には、ドーハ(カタール)で閣僚級会合を開きシリアへの制裁について協議した。[7][8][9]

アラブ連盟加盟国(加盟順)

原加盟国

追加加盟国・機構

出典

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関連項目

外部リンク

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テンプレート:現行の軍事同盟・安全保障条約・集団安全保障
  1. 佐藤次高:編『新版世界各国史8 西アジア史I』山川出版社、2002年3月 p.501
  2. 「アラブの人々の歴史」p437 アルバート・ホーラーニー著 湯川武監訳 阿久津正幸編訳 第三書館 2003年12月31日初版発行
  3. 『イスラーム世界事典』p73 片倉もとこ、後藤明、中村光男、 加賀谷寛編、明石書店、2002年3月25日
  4. テンプレート:Cite news
  5. 精鋭部隊の共和国防衛隊を率いるアサド大統領の弟マーヘル等シリア要人19人
  6. 50%削減
  7. アラブ連盟、シリアへの経済制裁決定 在外資産を凍結 朝日新聞 2011年11月28日
  8. アラブ連盟:シリア経済制裁 毎日新聞 2011年11月28日
  9. アラブ連盟がシリア制裁決定、資産凍結や投資打ち切りへ ロイター 2011年 11月 28日