アジャ・コング

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テンプレート:Infobox プロレスラー アジャ・コング1970年9月25日 - )は、東京都立川市出身の女子プロレスラー女優タレント。本名は宍戸 江利花(ししど えりか)。プロレスラーとしてはOZアカデミーに、芸能人としてはWAHAHA本舗に所属。リングネームは「アジアキングコング」の意[1]

100kgを超える体重から繰り出すパワフルなファイトが特徴。

「A・コング」と表記されることもある。

所属

来歴

幼少期

父親がアフリカ系アメリカ人米軍立川基地に勤務していた。名をヘンリー・マニゴールド)で母親が日本人(事実婚関係にあった)のハーフ。「江利花」という名前は父親がエリカ属の花から命名した。しかし幼少時に父の突然の本国召還のため離別を余儀なくされ、母子家庭に育ち(母は父との関係から親戚全てから絶縁されていた)、中学卒業まで深刻なイジメに悩み続けていたという[2]

全日本女子プロレス時代

中卒後、全日本女子プロレス(以下「全女」と表記)入門。1986年(昭和61年)9月25日、秋田県男鹿市体育館の対豊田記代戦でデビュー[3]。当時ジャパン女子プロレスでプロデビューした1期生が丁度同期であることから、対抗戦ブームの頃には同期対決で活躍した。1990年に母が肝臓癌で死去する事態に見舞われたが、その悲しみをバネに奮起することになった。母の死去の際にはアジャは試合会場におり、突然、理由を告げられずに試合の繰上げを申し渡されたことで、母親の死を察したという。その直後、リング上で対戦相手が涙を流して向かってきた(対戦相手にも繰上げを了承してもらうため、事情を説明していたため)ことで、悲しい予感の的中を確信した。

当初はブル中野率いるヒール軍団獄門党の一員であり、新人時代は極悪同盟のメンバーで中野の付き人を担当していたことから入門当時から現在までプライベートでとても可愛がってもらっていると本人も度々語っている。しかし長与千種に憧れ、ベビーフェイス志向だった本人にとっては不本意であった。長与とは試合をしたくないという思いで悩んでいて、リーダーのダンプ松本に悩みを相談して話し合っていたときに通りかかった長与がアジャへサングラスを渡して「このサングラスが似合う悪党になれ。」と励ました事で(このサングラスは今も大切に保管してあるとのこと)踏ん切りがつき、悪役レスラーの道を突き進んだ[4]

男子中心に興行を行っていたユニバーサル・プロレスリングに全女の選手が出場し、そのセコンドとしてリング下にいた際、フェイスペイントやモヒカン刈りと巨体により観客から注目され、その後選手としても参戦した。この試合が好評を得て男子プロレスファンを全女リングに呼び込むことに成功し、飛躍のきっかけを掴んだ。試合内容で高い評価を受けたことで男性ファン層を拡大し[5]、単純な勧善懲悪アングルが常だった女子プロレスに変革をもたらした。メドゥーサとの一連の抗争を経て、1990年代にはブル中野に反旗を翻して同期のバイソン木村と共に獄門党を離脱しジャングル・ジャックを結成(後に高橋美華神谷美織も加入)。中野ら獄門党との抗争を繰り広げ、団体対抗戦突入以前の全女を盛り上げた。特に中野との抗争は、金網デスマッチでは金網最上段からのギロチンドロップを受けたり(それまで男子も含め日本の試合で金網最上段からの攻撃を見せた者は70年代後半に国際プロレスでヒールとして活躍したジプシー・ジョー以外いなかった)、タッグマッチでは盲腸の手術1週間後に強行出場し試合中に傷口が開いて大流血するなど苛烈を極めた。

団体対抗戦に入ってからは、WWWA世界シングル王座を巡ってのダイナマイト・関西(JWP)とのヘビー級対決や、新人時代に苦手としていた工藤めぐみFMW)と対戦した。(この時、リングサイドには2人の師匠のジャガー横田がおり、試合後に2人で礼をし「こんなに大きくなりました」と感謝の言葉を述べた。ジャガーも立派に育った教え子の姿に涙を流していたという。

また、1995年にはWWE(当時WWF)のPPV・サバイバー・シリーズに出場し。モンスター・リッパーやライオネス飛鳥、渡辺智子と「チーム・フェイ」を組み、アランドラ・ブレイズ、井上京子、チャパリータASARI、長谷川咲恵ら「チーム・ブレイズ」とのエリミネーションマッチを戦う。最後まで残ったアジャは、当時のWWF世界女子王者のブレイズを裏拳で倒し日本だけにとどまらずアメリカにもその名を広めた。(その年末の全女・後楽園大会にて、現地でもらったディーゼルのTシャツ等をチャリティーオークションに出した際、WWF出場は夢だったと心境を語った)

フリー時代

1997年に全女を退団し、小川宏(元全女企画広報部長)とアルシオンを設立する(ファイティングプロデューサーの肩書きを持っていたが、所属選手ではなくフリーランスとして参加していた)が、のち小川と対立し退団。GAEA JAPANに戦いの場所を移す。2000年代はハッスル等の男子プロレスにも活動領域を広げている。尚ハッスルではリングネームを本名から取ったEricaとしており(アジャ本人はEricaは友人と主張)、「Erika乙女軍団」を率いて「高田アマゾネス軍」との抗争を繰り広げた。2006年に入り、更なる飛躍を目指して男子との対戦を開始し、全米No.1タッグチームともいわれるチーム3Dとの対戦を実現させた。

レイザーラモンHGこと住谷正樹のことが好きで、2005年9月のテレビ番組にて愛の告白をしたこともある。HGからは「友達から始めましょう」と言う返事をもらい、交友関係が生まれている。その後、HGもハッスルに参戦したが、試合での接点は無かった。

OZアカデミー時代

2006年10月23日にOZアカデミー参戦を発表、チャンピオンベルトコレクターとして同団体の初代女王を目指すためと公言。後に尾崎魔弓の策略にはめられてOZ入りしたと発言。

2007年3月10日の新宿FACEにおける第25回OZアカデミー興行「女王誕生」におけるOZアカデミー認定無差別級初代王者決定トーナメント決勝戦で、永島千佳世を破って宣言どおりに初代女王となった。

2007年12月25日のハッスルでの試合では、めちゃ×2イケてるッ!のコーナーフジTV警察24時(2007昼の部)でもやった沢尻エリカネタを披露、「特にありません」「別に」という映画館での態度を真似し、金村キンタローに「ネタが古いねん」と突っ込まれた。

2008年1月、カルロス天野に王座を奪われると、松本浩代AKINO輝優優(後に中川ともかが加入)をメンバーに迎え、尾崎軍に続く派閥を結成。後にチーム名を「ジャングル・ジャック21」と命名。2009年1月には、松本浩代と共にOZアカデミー認定タッグ王座を獲得した。

2011年現在、プロレスラーとしてはOZアカデミーの他、プロレスリングWAVEやJWP、センダイガールズにも参戦している。特にセンダイガールズでは、代表者・里村明衣子の最大の敵として、旗揚げ戦や眼窩底骨折からの復帰戦など、節目の試合などでシングル戦の相手を務める事が多い他、里村の良き理解者として里村が主催するトークショーにも出席したりする。

俳優・タレントとしての活動

1994年から1997年にかけて、キリンビバレッジ社の清涼飲料水「きりり」のCMで瀬戸朝香と共演し、これがきっかけで瀬戸が所属していた芸能事務所フォスターに全女退団時より所属し、テレビ番組にも出演するようになった。一斗缶裏拳お笑い芸人を殴るスタイルは有名となり、芸能人としても全国区の知名度になった。レギュラー化される前のクイズ!ヘキサゴンでは決勝まで残った。

2007年10月27日公開の映画「自虐の詩」に主人公の親友「熊本さん」役で出演した。

2010年6月末には、芸能活動の所属を同年7月1日よりWAHAHA本舗に移すことを発表した。移籍理由は「[居心地が良すぎると、居心地が悪くなる]という、私のおかしな性質がムクムクと頭をもたげてきてしまいまして」と自身のブログで説明している[6]。WAHAHA本舗では劇団本公演への出演はもちろんのこと、猫ひろしとのユニット結成などを計画していることを明らかにしている[7]。同年8月、老人介護の闇を暴く映画「老獄/OLD PRISON」(辻岡正人監督)で、主演の看護婦役に抜擢された。[8][9][10]

得意技

裏拳
グローブをはめた拳を叩いてアピールし、その拳を前に突き出して体を時計回りに一回転させその勢いのまま相手を手の甲で殴りつける技。
ここぞと言う場面ではグローブを外し素手で繰り出す場合もある。
垂直落下式ブレーンバスター
アジャ缶の上に向かって相手の脳天を落とす場合も。
トペ・スイシーダ
大一番でしか出さない技。
バックドロップ
右から投げる選手が多い中、左から投げる数少ない使い手。
一斗缶攻撃
入場時に持ってくるアジャの顔のペイントが施された一斗缶、通称「アジャ缶」で相手を殴りつける反則攻撃。ごく初期にはアルミむき出しの缶を持参していたが、ほどなくアジャ缶を自作するようになる。「ハッスル」ではハートマークのペイントが施されたエリカ缶を使う。
雪崩式水車落とし
アジャボム
変形のパイルドライバー。相手にダメージを与えるために足をおさえる
パワースラム
相手をロープに振り、戻ってきた所を受け止め、そのまま体を捻りながらマットへ叩きつける技。

入場テーマ曲

タイトル歴

全日本女子プロレス
アルシオン
GAEA JAPAN
ハッスル
  • ハッスル・スーパータッグ
OZアカデミー
DDTプロレスリング

出演

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脚注

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外部リンク

テンプレート:OZアカデミー テンプレート:WWWA世界シングル王座

テンプレート:オールパシフィック王座
  1. 北斗晶が「命名した」と2010年7月1日の「笑っていいとも!」で発言、それでアジャと呼ばれていたのと、試合中のキングコングがやるドラミングの動きから当初「アジャキングコング」とされそうになったが、本人が女だからと主張し「アジャクイーンコング」になったが長い為縮められた。
  2. 後にテレビ朝日の番組『あなたに逢いたい』の企画として父を捜索したが、元軍人であったため、保安上の問題から情報公開が認められず、捜索を断念していた。 その後TBSで放送された『情報ドラマチック もくげき!』で再調査。身元は判明したが、既に死去していたことが判明した。
  3. なお、全女では同年デビューした選手を俗に「(昭和・平成)○年組」と称するが、アジャと同期の「昭和61年組」には、工藤めぐみ、豊田に代表されるように、全女では芽が出ず他団体に移籍後その団体のエースになった選手が多い。
  4. 「超豪華!!スタア同窓会 ゲゲゲッ!の再会SP」、2010年10月5日、日本テレビでの発言より。
  5. ビューティ・ペアからクラッシュギャルズの時代には女子プロレスファンは女性がメインだった。
  6. ご報告 - アジャ・コング公式ブログ 2010年6月30日
  7. アジャコングがワハハ本舗に電撃移籍!! - WAHAHA本舗・2010年6月30日
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