東海村
テンプレート:Infobox 東海村(とうかいむら)は、茨城県北部の村。那珂郡に属する。
目次
概要
日本で初めて原子力の火が灯った村として有名である。1957年(昭和32年)に日本原子力研究所(当時)東海研究所が設置され、日本最初の原子炉であるJRR-1が臨界に達して以来、多くの原子力関連施設が集積することとなった。現在も日本原子力研究開発機構、日本原子力発電東海発電所・東海第二発電所など多くの原子力施設が村内に所在し、近隣市町をあわせた茨城県の太平洋沿岸部は日本の原子力産業の拠点となっている。
1999年9月30日に東海村JCO臨界事故が発生した。村内では、施設の周辺住民の中性子線被曝や風評被害など、様々な影響があった。
全国の村では、沖縄県中頭郡読谷村に次いで2番目に人口が多い。また、人口密度は4番目に高い。茨城県条例による町制施行要件は満たしている。
地勢
水戸市から北東へ約15kmの距離にあり、東は太平洋に面し、西は那珂市、南はひたちなか市、北は久慈川を境に日立市に接している。常陸台地の北端に位置する一帯で、久慈川の南側と真崎浦、細浦などの低地は沖積層で、水田地帯となっている。一方、台地は洪積層で、畑地と平地林が広がり、東へ緩やかに傾斜したその先端が砂丘となっている。砂丘は現在、防砂林として活用されているほか、日本原子力研究開発機構、日本原子力発電株式会社などの敷地となっている。
歴史
村名の由来
藤田東湖の『正気歌』にある「…卓立東海浜」による。1955年(昭和30年)の発足時の新命名。1948年(昭和23年)には、村松村石神村組合立による東海中学校が設立されており、東海村が成立する前から、当地において「東海」の名称が採用されている。
沿革
- 平安時代 - 久慈郡に属し、美和郷、神崎郷とよばれた。
- 1594年(文禄3年) - 豊臣秀吉の検地以後は、那珂郡に属するようになる。
- 1602年(慶長7年) - 佐竹氏が秋田藩に移り、水戸徳川家の支配下に入る。
- 1898年(明治31年)4月1日 - 石神駅(現在の東海駅)が開業。
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 町村合併促進法によって村松村と石神村が合併し、東海村が発足[1]。
- 1990年(平成2年)3月1日 - 一部を勝田市に編入(境界変更)。
行政区域変遷
- 変遷の年表
東海村村域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 現東海村村域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行により、以下の村がそれぞれ発足。[2] |
1955年(昭和30年) | 3月31日 | 村松村と石神村が合併し、東海村が発足。 |
- 変遷表
東海村村域の変遷表 | ||||||
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1868年 以前 |
明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |
亀下村 | 石神村 | 石神村 | 昭和30年3月31日 東海村 |
東海村 | 東海村 | |
竹瓦村 | ||||||
石神内宿村 | ||||||
石神外宿村 | ||||||
舟石川村 | ||||||
村松村 | 村松村 | 村松村 | ||||
石神白方村 | ||||||
石神豊岡村 | ||||||
須和間村 | ||||||
船場村 | ||||||
照沼村 |
人口
テンプレート:人口統計 日本の村としては、2番目に人口が多い。
行政
- 村長 山田修
産業
- 農業
- 原子力産業:電源開発上非常に重要であり、村もその政策で存立している。催し物も原子力政策にまつわるものが多い。
原子力産業
- 独立行政法人 日本原子力研究開発機構(旧日本原子力研究所及び旧核燃料サイクル開発機構が統合)
- 日本原子力発電
姉妹都市
学校
交通
鉄道
路線バス
高速バス
- 東海・勝田 - 東京駅(茨城交通)
- 水戸・東海 - 仙台駅(茨城交通)
- 日立・東海・勝田・水戸 - 羽田空港(茨城交通・日立電鉄交通サービス・羽田京急バス)
- 日立・東海・勝田・水戸 - 成田空港(茨城交通・日立電鉄交通サービス・千葉交通)
道路
港湾
東海村を舞台とした作品
観光地
出身有名人
- 橋本昌(茨城県知事)
- 田口洋美(民俗学者)
- 小林康剛(サッカー選手、ファジアーノ岡山所属)
- 小林久晃(サッカー選手、サガン鳥栖所属)
- 村松茂清(和算家、日本で最初に円周率を、数学的に正しく計算した人物)
脚注
関連項目
- 茨城県
- 那珂郡
- 東海村JCO臨界事故
- 東海(様々な「東海」)
- 東海村 (曖昧さ回避)(その他の「東海村」)
- 村松軌道 - かつて石神村と村松村を結んでいた鉄道。