朝陽市
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朝陽市(ちょうよう-し)は中華人民共和国遼寧省に位置する地級市。
目次
地理
朝陽市は遼寧省西北部の大凌河流域に位置し、北から西にかけては内モンゴル自治区、西は河北省、南は錦州市、東は阜新市と接する。
歴史
古くは新石器時代の紅山文化が栄え、殷代の青銅器も出土する。戦国時代には燕が勢力を延ばし、遼西郡柳城となる。柳城遺跡は朝陽城東南郊に位置する。漢代も同様。342年鮮卑系の燕王慕容皝が柳城の北、龍山の西に龍城を築き、三燕(前燕、後燕、北燕)の都城となった。唐代にはこの地に営州が設置され、東北アジアを制する軍事要衝であった。
龍文透彫鞍
近年朝陽市北票県で発掘された喇嘛洞IIM101号墓から出土した龍文透彫鞍は大阪府羽曳野市誉田丸山古墳(応神陵陪塚)出土の2号鞍と細部に至るまでほとんどまったく同一で、丸山2号鞍は北燕の製品である可能性が高いことが判明した(リンク「さわらび通信」参照)。
行政区画
2市轄区・2県級市・2県・1自治県を管轄する。
年表
朝陽市(第1次)
- 1958年12月20日 - 錦州専区朝陽県の一部が分立し、朝陽市が発足(1市5県1自治県)。
- 錦州専区朝陽県・北票県・凌源県・建昌県・建平県・カラチン左翼モンゴル族自治県を編入。
- 1959年5月5日 - 双塔区・鉄西区を設置(2区5県1自治県)。
- 1962年2月21日 - 北票県の一部が分立し、北票鉱区が発足(3区5県1自治県)。
- 1964年2月12日 - 双塔区・鉄西区が朝陽県に編入(1区5県1自治県)。
- 1964年3月7日 - 朝陽県・北票県・建昌県・建平県・凌源県・カラチン左翼モンゴル族自治県・北票鉱区が朝陽専区に編入。
朝陽地区
- 1964年3月7日 - 朝陽市朝陽県・北票県・建昌県・建平県・凌源県・カラチン左翼モンゴル族自治県・北票鉱区を編入。朝陽専区が成立(1区5県1自治県1鎮)。
- 朝陽県の一部(旧・双塔区)が分立し、朝陽鎮が発足
- 1969年1月19日 - 北票鉱区が北票県に編入(5県1自治県1鎮)。
- 1969年2月24日 - 朝陽鎮が朝陽県に編入(5県1自治県)。
- 1970年7月13日 - 朝陽専区が朝陽地区に改称(5県1自治県)。
- 1979年8月30日 - 朝陽県の一部が分立し、朝陽市が発足(1市5県1自治県)
- 1980年1月31日 - 朝陽県の一部が朝陽市に編入(1市5県1自治県)。
- 1984年6月30日
- 朝陽市が地級市の朝陽市に昇格。
- 朝陽県・北票県・建平県・建昌県・凌源県・カラチン左翼モンゴル族自治県が朝陽市に編入。
朝陽市(第2次)
- 1984年6月30日 - 朝陽地区朝陽市が地級市の朝陽市に昇格。竜城区・双塔区を設置(2区5県1自治県)。
- 朝陽地区朝陽県・北票県・建平県・建昌県・凌源県・カラチン左翼モンゴル族自治県を編入。
- 朝陽県の一部が竜城区に編入。
- 1985年1月17日 - 北票県が市制施行し、北票市となる(2区1市4県1自治県)。
- 1989年6月12日 - 建昌県が錦西市に編入(2区1市3県1自治県)。
- 1991年12月21日 - 凌源県が市制施行し、凌源市となる(2区2市2県1自治県)。
- 2006年4月11日 (2区2市2県1自治県)
- 北票市・朝陽県の各一部が双塔区に編入。
- 双塔区・朝陽県の各一部が竜城区に編入。
経済
現代の朝陽市は小麦、トウモロコシ、ビート、豆、ジャガイモなど農畜産業を基幹産業とする一方、製鉄所、ディーゼルエンジン工場、タイヤ製造工場など新興工業都市としても大発展を遂げている。また空路、鉄路、道路など交通の便がよく、観光客も多い。
交通
- 朝陽空港 中型の航空機の離着陸できる民用空港で、北京、煙台(大連経由)、大連と結ぶ国内線が飛ぶ
- 鉄道 6路線あり、北京、瀋陽、大連、丹東、錦州、承徳などの都市と連結する
- 国道 101国道を中心に東西南北に通じるネットワークを形成する
友好都市
関連項目
外部リンク
- 朝陽市人民政府(中国語)
- さわらび通信ホームページ(日本語)
- 朝陽市付近地図(英語)